ノート:岡田信一郎
正教徒?
[編集]本文に「正教徒であり、聖名はイリヤ」という加筆がされましたが、護国寺にお墓があり、仏教徒です。 --2013年6月20日 (木) 15:19 (UTC) 一部修正 --忠太(会話) 2013年7月10日 (水) 14:26 (UTC)
「東京復活大聖堂 修復成聖記念誌」という冊子に(唐突に)正教徒であると書かれていますが、典拠は示されていません。それ以外の文献には見当たらない話であり、検証できません。--忠太(会話) 2013年7月10日 (水) 12:29 (UTC)
- (利用者‐会話:Chutaによる追記)『東京復活大聖堂 修復成聖記念誌』p80, 1998年5月17日、日本ハリストス正教会教団に、>「復興設計者は信者であった建築家のイリヤ岡田信一郎で、」という一文がある由です。利用者‐会話:Kinno Angel#岡田信一郎氏についてさん参照。 --忠太(会話) 2014年3月8日 (土) 01:16 (UTC)
利用者‐会話:Kinno Angelに御返事を書いておきました。現在調査中ですが、場合によっては削除に賛成することも有り得ます。--Kinno Angel(会話) 2013年8月13日 (火) 15:07 (UTC)
『東京復活大聖堂 修復成聖記念誌』を確認しました。確かにそのように記載されていましたが、典拠は書かれていませんでした。(例えば、「内部文書に洗礼を受けた記録が残っている云々」といったことは書かれていません)
- 岡田氏が正教会信者であったという話は、建築史関係の文献では全く見かけたことがありません。
- 葬儀は護国寺(当然仏式)で行われており、戒名が付けられています。
そのような状況から、次の3つの可能性が考えられます。
- 実は洗礼を受けていた。(家族も知らない間に、ひそかに?)
- 正教会側が、再建の功労者として名前を贈った?(←そんな制度があるかどうかは知りませんが)
- 記念誌執筆者の勘違いである。
さて「重要文化財日本ハリストス正教会教団復活大聖堂(ニコライ堂)保存修理工事報告書」P246を読んでいましたら、
- (正教会の昭和2年度公会がニコライ堂で開催され、復興委員会から再建工事の説明が行われた。)「イザヤ岡田技術士に得たる工事見積書につき一々説明せん」
とありました。この「イザヤ岡田」を「イリヤ岡田」に取り違えたのではないか、と推測した次第です。 --忠太(会話) 2013年6月27日 (木) 14:10 (UTC) 利用者‐会話:Kinno Angel#岡田信一郎氏についてからコピーしました。(詳しい内容はそちらをご覧ください) --忠太(会話) 2014年3月8日 (土) 01:16 (UTC)
- 典拠が不明なままですので、いったん該当箇所(正教徒である旨)は削除し、明らかになった場合は記述を復活させたいと思います。 --忠太(会話) 2014年3月8日 (土) 01:16 (UTC)
- 長らく御無沙汰をしておりまして申し訳ありません
- 色々調べ続けては居るのですが、まだ典拠が見付かりません。現時点での編集は止むを得ないでしょう、異議ありません。ありがとうございます。--Kinno Angel(会話) 2014年3月8日 (土) 03:45 (UTC)
勲章について
[編集]レジオンドヌール勲章(フランスの大統領が授与)を受けた、というのは間違いのようです。
- 朝日新聞の記事「仏展の関係者 仏圀から叙勲」(S3.9.27 朝日)に、レジオンドヌール勲章ほかの受賞者リストが載っており、それによると岡田は「オフィシエ・ダカデミー」を授与されるはず、と。
- 『日本の建築 明治大正昭和』年譜には、「この春[昭和三年]、上野にて開催された仏蘭西装飾美術展覧会委員として参加、その功によりフランス政府よりオフィシェ・ド・ランストリュクション・プブリーク文芸章を授与さる」とあります。
「オフィシエ・ダカデミー」と「オフィシェ・ド・ランストリュクション・プブリーク」、どちらが正しいのか、公文書等では確認できてません。これらは(現在の?)教育功労賞[1]」で、フランスの文部省?が授与するようです。なお、wikipediaフランス語版の「Ordre des Palmes Académiques」を参照。 -- 2018年12月13日 (木) 13:49 (UTC)--忠太(会話) 2018年12月13日 (木) 13:55 (UTC) 公文書で「(仏国)文部記章」などと訳されていることがある。--忠太(会話) 2018年12月16日 (日) 01:42 (UTC)