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ノート:岸田日出刀

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作品について

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編集前は代表作の一つに東京帝国大学図書館が挙げられていましたが、これは全くの誤りではないにせよ、大きな誤解を招くのではないかと思います。

岸田は図書館再建にあたってのコンペに参加して当選しましたが(このときの図は1929年の『建築雑誌』通巻520号に掲載、入手しやすいものでは東京大学キャンパス計画室編(2018)『東京大学本郷キャンパス』にも載っています)、岸田の案は現在の図書館と全く異なるものです。 内田祥三先生眉寿祝賀記念作品集刊行会編(1969)『内田祥三先生作品集』p.74に記されたところによれば、メンデルゾーンの影響を強く受けた岸田の案を内田祥三(図書館建築委員会の設計部長)が敬遠し、結局は内田自身が1/200の設計図を描いたとありますから、この内田案に基づいて建設され、実際に典型的な内田ゴシックとして実現された図書館を岸田の代表作のように扱うのは無理がありましょう(当該部分は専ら都文研の記事を参考にして書かれていたようですが、この記事は上記の事情を十分には考慮していないように思われます)。

記事中、図書館のかわりにいくつか建物を追加しておきました。これらは様式的にもいかにも岸田らしさが現れた作品であり、また脚注に挙げた資料で岸田の関与が述べられている建築物であります。
私は建築史等に明るいわけではないので、作品として挙げるにより適した建物があるならば追記、修正をお願いします。--末広橋会話2021年1月22日 (金) 20:26 (UTC)[返信]

外部リンク修正

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編集者の皆さんこんにちは、

岸田日出刀」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月3日 (火) 13:12 (UTC)[返信]


岸田にとっては多摩美大(の前身校)で講師を務めていたことは、特筆すべき事柄ではないだろう。 個人のHPを出典にするのも不適当である。 [1][2]  --忠太会話) 2018年3月24日 (土) 13:49 (UTC)--忠太会話2018年3月24日 (土) 13:49 (UTC)[返信]