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ノート:島津斉宣

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出典の明記が無かったのでTemplate:出典の明記およびTemplate:要出典を付与いたしました。

要出典を付けたのは"(斉宣は経費が少なくて済む薩摩での隠居を度々幕府に願い出たが)却下される。そのため隠居後は一度も薩摩に帰国出来なかった。却下理由については「御台所茂姫の命により、再び斉宣によって国元で近思録崩れのような騒動を起こさせないため」と明言した文書が残っており"の部分で、その明言した文書について知りたいと思いました。

というのも、芳即正『島津重豪』(昭和55年)では、"斉宣の在国も許されなかった"とあるものの、芳即正『調所広郷』(昭和62年)では"斉宣ならば勝手次第とされた"と、同一著者でありながら反対のことが述べられているからです。

一次史料である『旧記雑録追録』で、"斉宣ならば勝手次第"という趣旨の書状があるのは確認しました。

芳即正『島津重豪』・『調所広郷』はともに古い本ですので、近年の研究の成果で新たな茂姫書状があるということであれば、出典を知りたいです。

なお、芳即正『調所広郷』では、斉宣在国が実現しなかったのは、いったんは在国を了承した斉宣が帰国はいやだとわがままを言い出し、それを誰も止めることができなかったからとしています。--Mitimasu会話2022年4月28日 (木) 12:34 (UTC)[返信]