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ノート:平岩親吉

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三河後風土記

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三河後風土記』の著者が平岩親吉とされます。しかし『国史大辞典』では、三河後風土記が著者不詳とされています。偽書説によるものだという指摘がありますが、不詳というのが一意見であるなら、平岩親吉が三河後風土記の著者だと三河後風土記原文以外で反論しているものはあるのでしょうか。他の書籍や論文で反論が無いなら著者不詳が定説となるため書き直し致します。--KurmUmy 2008年9月6日 (土) 11:58 (UTC)[返信]

国立公文書館 デジタルアーカイブ・システム 書名 三河後風土記 請求番号 特043-0003 階層 内閣文庫>和書>和書(多聞櫓文書を除く)

人名 著者:平岩親吉 数量 45冊 書誌事項 写本 言語 日本語 巻数 45巻 旧蔵者 昌平坂学問所

国立公文書館で、著者として登録されているし、三河後風土記の序文にも、平岩親吉と記載。

ただし、研究者は、平岩親吉ではないと言っている人もいる。偽書説もある。国史大辞典は、1出版社の本に過ぎず、絶対ではない。三河後風土記を原本として、改正が成立している以上、三河後風土記を偽書とは言い切れない。--Armyended 2008年9月7日 (日) 02:29 (UTC)[返信]

Armyended様、情報を頂けて申し訳無いのですが、偽書説が自明のことなのか議論があるものなのかが問題です。『国史大辞典』は偽書説の立場です。同じように平岩著者説をとる誰かの書物・論文・辞書類が必要です。例示の国立公文書館の情報では、写本にそう書いてあることしか証明できません。反論が少しでもあればよいのですが。また、改正三河後風土記では確か著者は否定されているはずでは?「偽書」というのは内容が間違っていなくとも、著者や成立年代を意図的に変えたものは該当してしまいます。著者が平岩親吉でないという人が居てそれが少数なら反論があると思います。無いならば現状は著者不詳とされてしまいます。私も探してみますが、よろしければArmyended様もご協力下さい。--KurmUmy 2008年9月7日 (日) 11:04 (UTC)[返信]

養子・仙千代

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「生涯」の項で「如何に親吉が功臣としても、同母弟が後に御三家筆頭となる家系の兄を養子とするとは考えにくく」とありますが、尾張義直の生誕は仙千代の死去より後のこと(当然紀州頼宣も水戸頼房も生まれていない)なので、仙千代が平岩親吉の養子となった時点にそもそも御三家という考え方があったとは思えません。この部分は独自研究でしょうか。--Nao Costas会話2023年12月3日 (日) 07:38 (UTC)[返信]