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ノート:弁財天/削除

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代替記事

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弁財天(べんざいてん)は七福神の1つ、仏教天部に属し、もとはヒンズー教インダス川を象徴するサラスバティ神。通称弁天(べんてん)弁才天と表記されることもある。これは、「弁財天」の表記が財産の幸福を強調しているのにたいし、才能の幸福を強調しているのである。もとの神と同じく水を象徴し、そのためよく川や沼や池など水地に祭祀される。また、水の流れの音色から芸能、音楽さらには弁舌転じて知恵の神様ともなった。さらにはいつのころからか金運の神ともなった。顕教では二臂(腕が2本)、密教では八臂(腕が8本)であらわされる。己巳の日には弁財天を祀れば所願が叶うとされている。因みに、大阪市港区JR弁天町駅は弁財天の社があったことが由来である。

詳しくは井戸端の代替記事の項目にこの代替記事の意見あり。西坡居士 2004年12月6日 (月) 13:56 (UTC)[返信]


「弁財天」の「代替記事」の執筆ご苦労さまです。さて、とりあえず「代替記事」なので、あまり細かい点を取り上げてあれこれ批評することはできるだけ避けたいと思いますが、一点、「顕教では二臂、密教では八臂」という部分だけは不適切な説明なので、「金光明最勝王経に基づく八臂像と、大日経に基づく二臂像とがある」と修正していただけないでしょうか。(このページはいちおうノートページなので、他者の発言を修正することは禁止されており、ふつうの記事のように私自身が編集するわけにはまいりません。)
弁才天像には二臂像と八臂像があります。インターネットの仏像関連のサイトでも「顕教では二臂、密教では八臂」と説明をしているものがあり、この俗説はかなり流布しているようですが、後述のように二臂像はむしろ密教系の像であり、「顕教では二臂、密教では八臂」という説明は明らかに誤りです。では逆に「顕教では八臂、密教では二臂」にすればよいかと言うと、そのように単純に割り切るべきではなく、もとになった経典の違いであると理解すべきかと思います。まず、琵琶を持つ二臂像は、密教の根本経典の1つである「大日経」所説に基づく像であり、胎蔵曼荼羅(胎蔵界曼荼羅)の外金剛部院や醍醐寺五重塔初層壁画に見られる弁才天像も二臂像です。なお、曼荼羅中の尊像ではなく単独像として作られた二臂弁才天像の遺品は、平安時代には皆無、中世にも、文永3年(1266年)作の鎌倉・鶴岡八幡宮像ほか数えるほどしかなく、二臂像の図像的変遷は明らかでありません。二臂像の古例としては、他に京都御苑内の白雲神社の像、大阪府高貴寺(高野山真言宗)の像などがあります。白雲神社像は琵琶をかかえている点は近世の弁才天像と同じですが、面相は天女というよりは菩薩像のような感じで、密教色の濃いものです。一方の八臂像は、金光明最勝王経の所説に基づくもので、日本では真言宗伝来以前の奈良時代から作例が見られ、東大寺、興福寺のような旧仏教系寺院に多く安置されています。東大寺法華堂(三月堂)には、奈良時代の八臂の立像があり、興福寺三重塔初層には、時代は下るものの八臂の坐像を祀っています。結論として、琵琶を持つ二臂像は、日本では神道の神と習合して、像容、信仰形態など全く日本化していますが、そのルーツは密教経典にあるわけです。したがって、むしろ「顕教では八臂像、密教では二臂像」という方が実態に近いわけですが、「顕教・密教」という区分けよりは、依拠する経典の違いと考えた方がよいでしょう。
なお、「代替記事」の話とは別ですが、この記事は記事名自体「弁財天」→「弁才天」に変更すべきものです。(現状は逆に「弁財天」が正式の記事名、「弁才天」がリダイレクトページになっています。)インド、中国を経て日本へ渡来した仏の中には、いくつもの名前を持ち、どれが正式名称であるかにわかに決めがたいものもありますが、「弁才天」に関しては、(鎌倉の銭洗弁天のように財宝神としての性格の強い所ではもっぱら「弁財天」と表記しており、「弁財天」が間違いとまでは言えませんが)、語源、歴史的経緯、漢語の意味などから考えて「弁才天」が正式名であり「弁財天」は俗称ないし通称であることが明らかです。弁才天は、古代インドの河神サラスヴァティーと言語・弁舌の神ヴァーチが同一視され、これに日本の神道の神が習合した複雑な性格をもつ神ですが、中国ではヴァーチ神としての性格の方が強調されたようで「弁才天」と漢訳されています。「弁財天」の「財」は明らかな当て字であり、「弁財天」の表記は室町時代末期ころになって初めて見られるものです。したがって、リダイレクト機能を使って「弁才天」を正式ページ名、「弁財天」をリダイレクトページとするべきですが、この記事自体が「特定版の削除待ち」で中ぶらりんの状態なので、現時点でページの移動をするのもはばかられます。Urania 2004年12月9日 (木) 15:35 (UTC)[返信]



2004年5月17日 (月) 04:47の版から追加された部分、 「八臂の弁天と二臂の弁天」の「694年から..」「728年から..」の文章が [1]の「国分寺思想の原型」の同様の部分に似ています。

また716年、805年、806年の部分は、[2]のそれぞれの年に酷似してます。偶然にしては多すぎる気がします。一応削除依頼に回します。Mintleaf 2004年9月27日 (月) 03:45 (UTC)[返信]


見てみました。こちらの編集で追記されたものですね。

類似・一致部分はそれぞれ一文づつ5箇所。特殊記号の使い方やふりがなの振り方などまで一致しているので、外部サイトに依拠して書かれた可能性は高いように思いました。特に、人名(ふりがな/生年~没年)といった表記の仕方などは偶然に一致しづらいもの、とも思いました。

仮に依拠があったとすると、これが著作権侵害にあたるかどうかですが、表現上、誰がこれらの諸事実について書いても同じような表記になるか、というとそういうことはなさそうに思いました。また、書き手の個性が何らかの形で発揮されているかといえば、そういう風に言えると思いました。

ただ、僕はこれらの主題についての知識があるわけではなく、どのような表現がどの程度必然的なものなのかについては判断が難しかったので、他のページで同じ事柄についてどのような事実の取捨選択を行っているか、簡単に調べてみました。

728年の部分については、このページ[3]にある記述が特に詳しいように思います。(これはBBSで、個別の投稿へのリンクができないようなのですが、No.456の投稿です。)。ウィキペディアの記事の文脈としては、八臂と二臂の違いをそれぞれの典拠となった経典によって説明する、というものなので、外部ページにあるようなお経の翻訳の経緯などについてはそれほど重要ではないとも思えますが。

また、他のページでは、もっと単純に、この年にこのお経が配布されたことだけを述べているようなものが多かったです。

ただそれらを考え合わせて見ると、外部ページと同じような表現を採用する必然性があったとは思えず、外部ページの創作性に依拠している、とは言えるように思いました。

716年の記述についても見てみましたが、これは善無畏の活動内容を記したページを見ると、大日経の漢訳なども含め、かなり様々な事実の取捨選択・表現が可能な部分だと感じました。[4][5]

百楽天さんが加筆されたものなので、これについて何かコメントなどが出ているかどうか、井戸端BBSで「弁財天」で検索してみましたが、特にないようです。

以上から、著作権侵害の可能性が考えられるもので、削除が適切ではないかと思いました。 Tomos 2004年11月10日 (水) 17:30 (UTC)[返信]