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ノート:弘法口駅

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位置のズレについて

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どうも旧版5万地形図と2万5千地形図とでは解釈のズレがあったみたいです。それに伴い、やや市道の東寄りに跡地があることが判明しました。写真画像についても機会を見て更新する事とします。--水瀬悠志会話2017年7月2日 (日) 15:12 (UTC)[返信]

画像が撮影出来ましたので、入れ替えました。誤解により失礼しました。--水瀬悠志会話2017年9月8日 (金) 10:51 (UTC)[返信]

冒頭写真について

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名古屋鉄道社史に掲載された当該写真は明らかに1面1線しかありませんが、1957年時点の配線図では記述通り2面2線の交換駅となっています(各種文献で交換駅時代の様子を写した写真も確認済)。以下は推測ですが、当該写真では駅名標の隣駅が片方(写真奥側、おそらく東鏡島)しか記されておらず、また不鮮明ながら車両搭載の行先標が「徹明町・弘法口間」となっているように読めることから、おそらく1953-54年の部分再開期の写真でしょう。交換駅となったのは合渡橋延伸以降と思われます。--ButuCC+Mtp 2020年10月14日 (水) 12:58 (UTC)[返信]