ノート:弥生町遺跡
「弥生二丁目遺跡」と「向ヶ岡貝塚」の統合、および「弥生町遺跡」への改名提案
[編集]標題の通り、「弥生二丁目遺跡」と「向ヶ岡貝塚」の統合、および「弥生町遺跡」への改名提案です。
まず、現在のWikipediaにおいて「弥生二丁目遺跡」と「向ヶ岡貝塚」の記事が並立していますが、これを統合すべきと考えます。後者(向ヶ岡貝塚)は最古の弥生土器が発掘されたが現在は所在不明の貝塚で、前者(弥生二丁目遺跡:国の史跡)は後者の候補地(一部または近接地)とされる遺跡です。最古の弥生土器の経緯を理解するのに記事が並立するのは望ましくなく、これらを統合して一体的に解説すべきと考えます。
次に、「弥生町遺跡」への改名提案についてです。「弥生町遺跡」は、現在の弥生町において認識される遺跡名で(向ヶ岡貝塚→弥生町遺跡)、弥生二丁目遺跡はその一部になります(弥生町遺跡⊃弥生二丁目遺跡)。最古の弥生土器が出土した遺跡としては、弥生二丁目遺跡の上位概念である弥生町遺跡としての解説が望ましいと考えます。参考までに書籍での表記を確認すると、
- 事典類
- 『国史大辞典』(吉川弘文館、1997):弥生町遺跡
- 『日本大百科全書 ニッポニカ』(小学館、1989):弥生町貝塚
- 『日本歴史地名大系 東京都の地名』(平凡社、2002年):弥生町向ヶ岡遺跡
- 『世界大百科事典』(平凡社、2007):弥生町遺跡
- 報告書名
- 『向ヶ岡貝塚 -東京大学構内弥生二丁目遺跡の発掘調査報告-』東京大学文学部、1979
- 『弥生町遺跡』文京区埋蔵文化財調査報告書第13集、1996
- 書籍名
- 『文京むかしむかし -弥生町遺跡発見120周年記念-(平成16年度学習企画展)』2005
- 『「弥生時代」の発見 弥生町遺跡』シリーズ「遺跡を学ぶ」、新泉社、2008
- その他
であり、概ねの傾向として近年は「弥生町遺跡」の表記が採用されていると考えます。
手順としては、「向ヶ岡貝塚」(2021年10月23日作成、1223バイト)の記事内容が少なく新しいため、これを「弥生二丁目遺跡」(2020年12月27日作成、8999バイト)へ転記して統合(向ヶ岡貝塚はリダイレクト化)、次いで統合した「弥生二丁目遺跡」を「弥生町遺跡」へ改名の流れになります。ご意見等ございましたらよろしくお願いいたします。--Saigen Jiro(会話) 2022年9月16日 (金) 23:57 (UTC)
- 賛成 公式な報告の用例等から提案に賛成します。なお蛇足ですが、本来は、町を付けない地名で「弥生遺跡」とするのが一般ですが、元祖、弥生式遺跡のためかえって町をつけて区別しているのですね。--Customsprofesser(会話) 2022年9月21日 (水) 01:26 (UTC)
報告 ご意見ありがとうございます。相当期間超過につき統合および改名を実施いたします。--Saigen Jiro(会話) 2022年9月24日 (土) 00:29 (UTC)