ノート:役満貫/過去ログ1
このページは過去の議論を保存している過去ログページです。編集しないでください。新たな議論や話題を始めたい場合や過去の議論を再開したい場合は、現在のノートページで行ってください。 |
過去ログ1 | 過去ログ2 |
最高の役満について
最高の役満の、役満貫への統合を提案します。そもそも最高の役満における記述が必要なのかという疑問を感じますが、記述を残すとしても役満貫の中において残せば十分ではないでしょうか。--廉 2006年11月28日 (火) 10:29 (UTC)
- 最高の役満は、かなりローカルローカルしていて、あの記述が必要なのかという疑問を感じますけど、少なくとも単独の記事である必要は薄いと思うので、統合してもよいと思います。--ぽえこ 2006年11月30日 (木) 17:19 (UTC)
- 1……0点と点数がダラダラと書かれているのですが、親の点数ですか?子の点数ですか?それ以前に、この項目、見れば見るほど「この記述はやっぱり不要なのでは?」と思わずにはいられないのですが。。。--ぽえこ 2006年12月13日 (水) 16:25 (UTC)
「実現可能な役満」の削除提案
最高の役満から統合された部分全体の削除を提案します。現在の版で「実現可能な役満」の項目になっている部分です。この部分には既に独自研究タグが貼り付けられていますが、こんなもん120%独自研究です。だいたい人和と四槓子を複合させてる時点で麻雀をあまり知らない人が書いているとしか思えないし、超三元も花役満もローカル度120%です。それに役満と通常役を複合して点数計算している点も恥ずかしい事この上ない。そもそも青天井では役満は10万点ないし20万点と決まってて、いくら符が跳ねようがドラが乗ろうが、役満として和了するなら10万点(or20万点)なんです。他にも細かいところを言えば、ドラ表示牌が七萬と三索になっているのも釈然としないし、一恒河沙点に対し100点未満切り上げとしている点もオカシすぎるし、槓が入っているのにダブリーをカウントしているのもおかしいし、キリがありません。今月末までここに反論がなければ削除します。というか即削除してもいいくらいこの部分は恥ずかしい。--Nazki rhetorica 2007年12月16日 (日) 21:42 (UTC)
まったく同意見です。もはやギャグというよりファンタジーかな。早めに削除して下さい。--Compatible Access 2007年12月25日 (火) 18:31 (UTC)
- 削除して全く問題ないでしょう。一応気付いた点にコメントしておきます。
- >役満と通常役を複合して点数計算している
- 麻雀の点数計算の中に「役満相当の役は13飜格とし、通常の役とも複合する。」とあるので問題ないと思います。
- >ドラ表示牌が七萬と三索になっている
- ここに何を持ってきてもドラは増えないので適当に入れたのではないかと。
- ところで最高の役満の統合直前の版によればこの手は11倍役満+ドラ28。この時点で170飜を超えているのでどっちにしろ点数はめちゃくちゃですね。123.222.18.27 2007年12月28日 (金) 19:03 (UTC)
- 削除に賛成します。(一年前、上の節で議論しているときに削除しておくべきだったのかもしれません)--ぽえこ 2007年12月30日 (日) 01:08 (UTC)
賛成多数、反対0、よって削除いたします。--Nazki rhetorica 2008年1月2日 (水) 05:07 (UTC)
改名提案
- 役満貫は数満貫に対置される概念であり、現在一般的に言うところの役満とは多少意味を異にする。
- 役満貫は役満の正式名称というわけではない。正式名称というよりむしろ昔の時代の古い名称。(そもそも麻雀分野では正式という概念を用いないほうがいい)
- 四暗刻や大三元などを指して「役満貫」と言う場合が多いか「役満」と言う場合が多いかを考えれば、現在はやはり「役満」と言う場合のほうが多い。
簡単に解説。役満貫という言い方は、麻雀のインフレ化が始まる以前の、満貫を得点の上限としていた時代の言い方です。通常の役がいくつか複合して満貫になる場合を数満貫と呼び、ひとつの役だけで満貫とする場合を役満貫と呼んでいました。戦中戦後にドラや立直や裏ドラなどの新しいルールが加えられ、点数体系が変化して行きましたが、役満貫という言葉自体は残り、それが役満という言葉に変化していったわけです。このあたりのことは本文の概要の中でも少し触れられていますが、「歴史」の節ないし「役満貫」の節を新設して解説したほうがより適切でしょう(あとで私がやります)。敢えて正式名称という言い方を使うなら、役満貫も役満もどっちも正式名称です。
なお、このページは2006年9月に一度「役満」から「役満貫」に移動されています。その際の要約欄が「正式名称に」となっており、この判断は若干甘かったのではないかと思われます。この時どういう議論が行われたのか調べてみようと思ったのですが、それらしきログがありませんでした。移動者の履歴を追ってみましたが、どこかに諮った形跡がなく、一存で移動・改名しているようにも見えます。今回は広くご意見を募りたい。いかがお考えでしょうか。--Nazki rhetorica 2008年6月21日 (土) 13:09 (UTC) 誤字訂正--Nazki rhetorica 2008年6月21日 (土) 13:13 (UTC)
- 「役満」は単に「役満貫」の略語だと思います。「満」は今も昔も満貫の意味でしょう。Wikipedia:記事名の付け方#正式な名称を使うことにはよく使われる略称、別名、別表記などは記事名に使うのではなく、正式な記事名へのリダイレクト(転送)ページにしましょう。とありますが、略称に対して言う「正式名称」というのは単に略していない名称ということであって、どこか権威ある機関が定めたものという意味ではないと考えられます。『そもそも麻雀分野では正式という概念を用いないほうがいい』というご指摘はその通りだと思いますが、この場合はそれに当たらないと思います。略称と略さない名称なら、よほどの理由がない限り略さない方が見出しになるべきだと考えます。--Kyoku 2008年6月21日 (土) 14:17 (UTC)
- 役満貫の貫が取れて役満になったという経緯があるので、役満を役満貫の略と考えるのは間違ってはいません。しかし、単にと仰るほど簡単ではないです。役満貫は厳密に言うと「役・満貫」であり、内容的にはこれはかつての満貫の一つです。一方で、現在使われている役満貫は「役満(貫)」であり、これは役満そのものです。最高得点を満貫とするか役満とするかで点数計算の体系が変わってしまっているので、かつての役満貫と現在の役満貫は微妙に意味内容が異なるわけです(上の1.で指摘した点です)。そのあたりの歴史経緯や、役満と役満貫の違い、現在の役満とかつての役満貫の違いなどについて加筆するとなると、やはり概要の節を飛び出して「役満貫」の節が必要になります。ところが、ページ名が役満貫なのに記事内に役満貫の節ができるのはおかしい。そこで改名提案に至った次第です(お示し頂いた方針は知っております)。
- また、卑近な例を言うと、巷で役満貫という語を使っている例は現在きわめて少ないです。雀荘で「ロン!役満貫です!」なんて言ってあがったら、ヘタするとケンカになります。ケンカとまではいかないとしても、私が仮にその光景を目撃したら、(あんたどんだけ前のルールブック読んでここに来たんだよ)と思います。つまり役満貫という語はいわば死語なんです。少なくとも私は、死語が記事名になっていることに相当の違和感を覚えます。これは世代間でも認識の分かれる問題だとは思いますが、この点Kyokuさんの認識ではいかがでしょう。違和感ありませんか? --Nazki rhetorica 2008年6月21日 (土) 17:48 (UTC)
- 色んな話題が混ざってくるので、箇条書きで返答します。ご容赦下さい
- 「役満貫」という節名を作ることが改名の主目的なのですか?「歴史」とか「ルールの変遷」ではダメなのですか?節のために見出しを変えるというのは順序が逆だと思います。
- 「役・満貫」と「役満(貫)」は、確かに得点計算上は今と昔でずいぶん違うものになっていますが、「最高の役であり、他の役の複合を考えずそこで計算を打ち切る」という概念は変わらないと思います。全く別のものというわけではなく、同じものの評価の仕方が変わったと考える方が自然ではないかと思います。
- 「役満貫」が死語であるとは思いません。日常用語としては使われていなくても、google検索では3640件ヒットしますし、その内容を見る限り、現在の「役満」を「役満貫」の略だと認識している人は決して少なくないと思います。また専門家の間などで「役満貫」は昔の体系のもの、「役満」は現在のもの、という使い分けが徹底されているのでしょうか?「役満」=現在、「役満貫」=昔と明確に使い分けられるものである、という出典があればよいのですが、それがないとするとWikipediaが勝手に用語の意味を限定することになり、独自研究になる虞があります。
- NHKをいちいそう呼ぶ人が少なくても日本放送協会が見出しになっているように、普段使わない表現が見出しになることは少なくないし、おかしなことでもないと思います。もし「普段使わない表現が見出しになっている」ことを理由として改名をするならば、麻雀関係では他にも門前清自摸和を「ツモ」、混全帯ヤオ九を「チャンタ」、あるいは副露を「鳴き」にするなどの処置が必要になります。このようなものも合わせて改名すべきとお考えでしょうか(私はどれも改名すべきでないと考えますが)--Kyoku 2008年6月21日 (土) 22:52 (UTC)
- 色んな話題が混ざってくるので、箇条書きで返答します。ご容赦下さい
- 1つずつ回答します。
- 主たる目的は、本記事の記述をより完成度の高いものにすることです。現在の記述は概要の節で雑多な項目を羅列しており、これは整理すればよりスマートな記事になります。最もスマートな説明の仕方を考えた時、まず現在一般的に使われているところの「役満」について概説し、そののちに類義語であり語源であり同義語でもある「役満貫」について説明するのがベストです。歴史経緯に触れる形での説明になると思いますが、あくまで役満貫という語についての説明なので、節の名前は「役満貫」とするのが自然です(点数体系の歴史経緯の説明は、役満のページでやるより他のページ、例えば点数計算のページなどでやるほうがよいでしょう)。それに、節名を「役満貫」としておけば、その節をアンカーリンク[[役満#役満貫|役満貫]]の着地点にできます。この方法にデメリットがあるとは思えません。
- 役満の理論的内容は今も昔も変わっていませんが、得点計算の体系が変遷しているために、狭義の役満貫と広義の役満貫が発生している点があります。狭義の役満貫とは先に述べた「役・満貫」のことであり、こちらは古い点数計算での満貫にあたります。一方広義の役満貫とは、現在一般的に言うところの役満と同義であり、かつ狭義の役満貫を含んでいます。今の状態は狭義と広義をごっちゃにしており、百科事典的にまずいということです。
- その3640件の中には、Wikipediaの影響を受けているページがかなりの数含まれています。なにしろ2年近く役満貫が記事名になっていたのですから、役満はホントは間違いで役満貫が正しいと勘違いしてしまった人は少なからずいるでしょう。試しに調べてみると、Wikipedia外で「役満貫」を使っているのは「"役満貫" -Wikipedia」で2600件です。この中には、古いルールブックを参照して役満貫と言っている人と、Wikipediaを見て役満貫と言っている人の両方がいるでしょう(内訳比はわかりませんが)。で、同じくWikipedia外で「役満」のほうを使っているのが「"役満" -"役満貫" -Wikipedia」で37万件です。2600:370000は1:148です。これを死語と言わずしてなんと言おうか。というか、役満を指して役満貫と言っているのはWeb上の人だけと言っても過言ではないです。リアルで役満貫とか跳満貫とか言ってる人がいたら、その人は古い時代から麻雀を知っている超ベテランの人か、もしくは逆に麻雀をあまりよく知らない人です。専門家たちの間ではどうなっているかですが、片山まさゆきや馬場裕一系列の麻雀書・麻雀マンガでは、ほぼ100%役満で統一されていると思います。片山マンガで「役満貫」とか「跳満貫」とか使っているのは見たことがありません。他のプロ団体、たとえば井出洋介系列の団体でも然りです。これの16番目の項目、早見表、Q&Aなど、すべて役満貫ではなく役満を使ってます(これらはすべて麻将連合HPのルール・マナーからジャンプするページ)。最高位戦でも然り。ルールブックを見ると役満貫ではなく役満を使っています(このページでページ内検索してみて下さい)。彼らがなぜ役満貫ではなく役満のほうを使うのかと言えば、一般的に使われているのが役満のほうだからという理由のほかに、役満貫という語を使うと狭義の役満貫(昔の役満貫)と混同してしまう危険性があるからでしょう。そのことに気付いている人、つまり狭義の役満貫について知ってる人は、役満貫という語を意識的に避けると思います。Wikipediaでもこの点を考慮する必要があるのでは。
- >このようなものも合わせて改名すべきとお考えでしょうか
- まさか。チャンタと混全帯ヤオ九は同義です。同義である以上「Wikipedia:記事名の付け方#正式な名称を使うこと」に従って「略称ではないほう」を使うべきでしょう。しかし、役満と役満貫に関しては、狭義の「役・満貫」の意味がある以上同義ではない。同義ではない以上、役満=役満貫と捉えて記事名を決めるのは適切ではないということです。--Nazki rhetorica 2008年6月22日 (日) 20:33 (UTC)
おはようございます。私が2年前に項目名を「役満貫」に変更した本人ですのでその面から書かせていただきます。「役満」が項目名になっていた当時の記事本文には「役満貫の略で」というくだりがあり、Wikipedia:記事名の付け方#正式な名称を使うことの事例に従い、「役満貫」へ項目を変更し、本文を修正させていただきました。 さて、今回Nazki rhetoricaさんから「役・満貫」(あえて・を入れます)と「役満」が同義でないので「役満」への改名提案が出ているとぽえこさんから私のノートにお知らせがあり、色々読ませていただきました。その面で以下に記述します。
- あの時点で要約に「正式名称で」と書いたのは確かに判断が甘かったかもしれない。当時、反対意見は出ずそのままにしていたのは事実。
- 今回の指摘で私なりに調査してみると、「役満貫」という言い方は確かに「死語化」しているようだ。本場中国では「役満貫」に相当する言葉はないようだし、日本プロ麻雀連盟のルールでも「役満」とされている。
- さらに今回、Nazki rhetoricaさんからの書き込みにあるように「狭義の役満貫」「広義の役満貫」という解釈は間違いではないように思われる。(もっともこの事実は私は知りませんでしたが・・・)
- しかしながら、「役満」が「役満貫」と「同義でない」とすれば、Wikipediaは「事典」である以上混乱をきたす恐れがあると考える。麻雀をまったく知らない人も当然記事を見ているし。
- 「広辞苑」「大辞林」などでも「役満貫」が項目であるし、「役満」は「役満貫に同じ」となっている。
- 「同義」でないとすると「役満」と「役満貫」を別項目として作成することになりそうだ。
以上です。立場上改名提案に賛成はできかねますが、再考の余地はあると思います。経緯を見た上で発言させていただくことがあるかもしれません。--ちゃれんじ 2008年6月22日 (日) 23:45 (UTC)
- どうやら論点が2つあるようです。一つ目は、「昔の」=「役満貫」・「今の」=「役満」という明確な対応関係があるのか、そのことを記事に書くべきか、ということです。
- 示されたページを拝見しましたが、「役満貫という言葉は現在の役満と違うものを指すので、ここでは使用しない」のような意味の明確な記述を見つけることは出来ませんでした。一方で麻雀の歴史を研究している人はというと、例えば浅見了氏のサイトではQ&Aの「役満」から飛べばすぐわかる通り、少なくとも氏は「役満」と「役満貫」を同一のものと考えているようです。
- 現在の麻雀について解説している人が「役満」を多く使っていると言うことが、直ちに「役満貫」と「役満」の使い分けが徹底されている、ということの根拠にはならないと思います。昔のものと今のものに両方触れていて、その上で「役満貫」と「役満」を明確に使い分けている出典が必要でしょう。昔の「役満貫」が「役満」と略されたことはなかったのか、あったとしても少なかったことは確認されているのか? 今の「役満」が「役満貫」と主に呼ばれていた時期はないのか(これについてはおそらく過渡期にはそうであったと思うのですが)?ならば「役満」と「役満貫」の意味が明確に分化した(現在しているのだとすればとすれば)のはいつのことなのか? あるいは「現在において、役満と役満貫は現在全く違う意味を持つ」「役満を役満貫の略とするのは誤りである」というようなことが明確に示された出典があるか? という所がポイントだと思います。それがないと水掛け論になりかねない危険があります。
- そしてもう一つが、この節の提案である記事名は「役満貫」「役満」どちらであるべきか、ということです。
- 一つ目の論点で「役満貫」≠「役満」が出典付きで明確に示されたとすれば、それは現在主に使われている概念である「役満」が見出しになるべきでしょう。しかし、そうでない限りは「役満貫」「役満」の関係は単なる略語-略さない語の関係(役満の「満」が満貫の満であることは明らかです)であり、略さない方が優先されるべきだと思います。
- あとそれから、google検索についてですが、例えば"後天性免疫不全症候群"とエイズでも50倍以上の差があります。これは不思議なことではなくて、略称は略した方が言いやすい・書きやすいから存在するものですから、使用例の数で略さない方が圧倒的に不利なのはむしろ当然のことです。「役満」と「役満貫」の比を見て死語と断じるのは適切でなく、むしろ「役満貫」が2600件ヒットするということに重きを置くべきです。--Kyoku 2008年6月23日 (月) 15:15 (UTC)
- 私も「狭義の役満貫」「広義の役満貫」という概念は知らなかったのですが。。。これが真実であり、「狭義の役満貫」に特筆性があるのであれば、一つの記事に書くことは混乱を招くように思います。そこで、「死語であるか」にこだわる必要はなく、曖昧さ回避などの理由で本記事を「役満」に改名してから「役満貫」の記事を別途立ち上げるという判断もアリかと思っています。役満貫に{{Otheruses}}あたりを貼ればいいのかな。
- 「数満貫」という言葉は私もはじめて聞きましたし、ちゃれんじさんにとっても新情報と思われますので、2006年のときと判断が変わっても不思議ではないと思っています。--ぽえこ 2008年6月24日 (火) 12:28 (UTC)
- >「昔の」=「役満貫」・「今の」=「役満」という明確な対応関係
- これがあるのかないのかと問われれば、答えは「明確に対応させている人もいるし対応させてない人もいる」です。役満貫という語がどのように認識されているかは世代間でグラデーションを、個人間でモザイクを呈していますから、ここを追求すると泥沼に陥ります。論点とすべきはここではない。論点とすべきは、このように多様に認識され多様に解釈されうる語を略称か正称かという一基準のみで判断するのは適切なのかどうか、という点です。
- ここまでの議論で私が手を変え品を変え示してきたように、「役満 - 役満貫」には「新称 - 古称」「語とその語源」「一義語 - 多義語」といった捉え方があります。つまり「略称 - 正称」という軸のみで捉えるのではなく、多角的に捉えるべきなのです。これら幾つかの基準があることを考慮せず一面的に判断するのは危険です。実際、略称か正称かで判断したことで、「使われなくなりつつある古い呼び方」を記事名にしてしまっていた。しかも「役満貫」は、文脈によって指示内容の変わる多義語であり、「昔の満貫(=狭義の役満貫)」なのか「今の役満(=広義の役満貫)」なのか、そのつど読み手に判断を強いる語なわけです。さらに言えば、昔の点数体系について知らない人に、多義語であると知らせないまま使わせることになっている。これらの点において、Wikipediaは誤用の片棒を担いでいるわけです。どうでしょうか、一面のみで決めることに弊害があること、お分かり頂けるでしょうか。--Nazki rhetorica 2008年6月24日 (火) 14:15 (UTC)
- (ぽえこさん、ちゃれんじさん)別記事を立ててもいずれ統合されることになるでしょう。狭義の役満貫についての説明は数行程度にしかなりませんから。役満の記事内に役満貫の節を設ければ十分こと足ります。なお、「狭義の役満貫」という固定的な概念が世間一般に流布しているわけではありません。役満貫というのは元々「役+満貫」の合成語で、単語ができた当初は(役満ではなく)満貫の一種だったんだってことを説明するために使った言葉です。「狭義の役満貫」=「かつて満貫が上限だった時代の『役・満貫』」です。--Nazki rhetorica 2008年6月24日 (火) 14:15 (UTC)
- (Nazkiさん)「広義」「狭義」の件はわかりました。が、以降も、便宜的に「広義」「狭義」を使います。
- まずは、「役満」と「役満貫」が別物という前提で、さらにたらればの話をします。もしも別記事になっており、統合することになったら、これまでの話を踏まえていても、私は迷わず「役満」ではなく「役満貫」へ統合することを提案します。役満(広義の役満貫)は役満貫であるが、役満貫(狭義の役満貫)は役満でも、役満から派生したものでもないからです。もちろんそこから議論になりますが、直感的にはこれがよいと感じますし、記事名が「役満」だと主従が逆転してしまっているように感じます。
- さて。役満貫だけでは記述が不十分であれば数満貫と役満貫という記事名(役満貫は曖昧さ回避に)でもよいし、もっと広くてもいいと思うのです。方法はいくつもあると思うのですが、少なくとも役満という記事の中に、いわゆる狭義の役満貫の記述があるのは、(前回の投稿で書いたように)紛らわしいし、(たらればのくだりで書いたように)ねじれを感じています。これらの違和感を払拭するくらいに強くて明確な根拠が提示されれば、状況は変わるのかもしれません。--ぽえこ 2008年6月24日 (火) 15:14 (UTC)
- 多様に認識され多様に解釈されうる語であるのだとすれば、だからこそ「ある認識、ある解釈」に偏らないように気を付けなければなりません。
- 専門家の間でも使い分けに関して明確なコンセンサスが取れていないのであれば、「役満と役満貫は『本当は』使い分けなきゃならないんだよ」というようなことをWikipediaが勝手に決めるのはPOVや独自研究になります。そのような事情は本文に書くべきでしょうが、どちらかに肩入れをするのは問題です。「そう使い分ける人も、気にしない人もいる」と中立に書くべきです。そしてそのことが本文にきちんと書いてあれば、Nazkiさん懸念されるような誤解は起こらないでしょうから、見出しが「役満貫」「役満」のどちらであろうともそれ自体は重要ではないと思います。
- その上で、役満と役満貫の関係について一番広くコンセンサスの取れていることというのは「役満は役満貫を短く縮めたものである」ということまでだと思います。そこに立って考えるなら、記事名はやはり縮める前の「役満貫」であるべきだろう、と思います。役満と役満貫の使い分けを明確にしている人でも、さすがに「役満と役満貫の間にはもはや全く何の関係もなく、役満の満は満貫の満ではない」とまで主張する人は少ないと思いますし、いたとしても広く受け入れられているとも思えません。--Kyoku 2008年6月24日 (火) 17:30 (UTC)
改名提案を見てきたのですが、まず「役満貫・役満」が正式名称なのか…別にルールを定義しているような団体がどこかにあるわけではないので、どちらも「一般名称」だと思います。というかそんな議論はともかく、まず記事名の付け方の大原則に基づいて考えませんか?「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」はどちらなのでしょうか。--Springtide 2008年6月25日 (水) 01:46 (UTC)
- 間違いなく役満のほうです。かつ、役満貫を記事名にしておくことで弊害が出ます。リスクの少ないほうを選ぶべきなのは論を待たないでしょう。役満貫という言い方が一部にまだ残っていることは記事内で触れれば済むことです。--Nazki rhetorica 2008年6月25日 (水) 16:25 (UTC)
- (Kyokuさん)>そこに立って考えるなら、記事名はやはり縮める前の「役満貫」であるべきだろう、と
- ですから、略称か正称かのみで判断するべきではないと言っているのです。役満貫が役満の古い言い方であるというコンセンサスがあることを無視すべきではありませんし、かつ、役満貫という語が紛らわしい表現であることはこれまでに指摘した通りです。--Nazki rhetorica 2008年6月25日 (水) 16:25 (UTC)
- 思い込みではなく、出典で議論しましょうよ。役満貫が役満の古い言い方であるというコンセンサスがあるとおっしゃいますが、ただ「役満は役満貫の略である」と素朴に考える立場の人にとっては、古い新しいという区別はなく「今の役満」はそのまま「今の役満貫」でしょう。昔のものについては「昔の役満」と呼ぶかもしれません。まだ「役満」と「役満貫」を新しい・古いで明確に区別している出典は示されていませんし、私が疑問なのはそこなんです(役満と役満貫でそこまで明確な使い分けがされていると考えたことはありませんでした)。
- Nazkiさんは先に今のルールの説明のHPを提示して、そこでは圧倒的に「役満」が使われていてそれは「役満貫」が紛らわしいから避けているのだ、という説明をされていましたが、どこにもそう明記されているわけではなく、またそもそも昔のものに触れて比較しているわけではないので、出典としては弱いと思います。是非、明確な使い分けがなされているか、あるいは使い分けるべきであると主張している文献の提示をお願いします。一方、「役満は役満貫を短く縮めたものである」という点については、ちゃれんじさんによれば広辞苑と大辞林が出典になるかと思います。--Kyoku 2008年6月25日 (水) 18:18 (UTC)
- 出典の強度からしたら役満も役満貫も同程度に見受けられますが、追加出典として必要なものがあるとするならば、「役満貫が正式名称である」という出典でしょう。そもそも「役満貫」が正式に定義された言葉で無いだとするならば、そして時代の移り変わりで「役満」が一般的になっただけであるならば、議論する部分は「どっちが正、どっちが略」ではなく、「言葉が移り変わったと判断していいか否か」に変わってくると思います。--Springtide 2008年6月26日 (木) 10:05 (UTC)
- Wikipediaにおいて出典が重用されるのは充分に理解しております。が、こと麻雀分野においては出典に頼ることで却って混乱を来たします。我こそは正統なりと名乗る団体が複数あって、それぞれに細目ルールを異にするからです。提案の最初に「そもそも麻雀分野では正式という概念を用いないほうがいい」と申し上げました通り、出典にも頼らないほうがいいんです。じゃあどういうふうに文献を使うんだってことになると思いますが、複数の文献をより多く集めて、1.それがどの時代に書かれた文献なのか、2.どの程度の信頼度を持った人物が書いた文献なのか、3.その文献はどの程度流布したと考えるのが妥当か、4.麻雀史全体という観点からその文献がどのような位置づけを得ているか、、、などなどを鑑みて、総合的判断を下す際の参考資料程度に考えるのが妥当なんです。で、私は上のほうで、片山まさゆきを始め近代麻雀誌上では「役満貫」がほぼ使われていないこと、麻将連合でも使われていないこと、最高位戦でもそう言えることなど複数の状況証拠を論拠に、「役満貫は既に使われなくなりつつある古い言い方である」と言っているわけです。その結論に対してさらに出典を求めると、これも上で既に言及されていますが、果てしない水掛け論になってしまいます。
- それと、どこにもそう明記されているわけではなくとありますが、どこにも明記されていないのは当たり前です。上の該当箇所をもう一度参照してほしいのですが、私が述べているのは私の推論です。「~してしまう危険性があるからでしょう」「~を意識的に避けると思います」という語尾言葉尻からも明らかだと思うんですが、推論に出典を求められてもどうしようもありません。もしかしたら誰か私と同じことを言ってるプロの人や専門家の人やらがいるかも知れませんが、、、この推論がたわごとだと仰るならそれはそれで構いません。構いませんが、「役満貫」が多くの専門家の間で既に使われなくなっているという事とは分けて考えて下さい。むしろ、それに続く「Wikipediaでもこの点を考慮する必要があるのでは」というところに突っ込んでほしかったです。これはすぐ上でSpringtideさんの仰る点とも重なってきます。「言葉が移り変わったと言えるかどうか」で、移り変わったと言えるのなら、「古い死滅しつつある問題含みの言い方」を掲げることには問題があるんじゃないか、ということなんです。--Nazki rhetorica 2008年6月26日 (木) 17:47 (UTC)
(インデント戻します)ちょっといろいろと考え直してきました。古い役満貫の話はいったん忘れたほうがいいのかな。
まずは、少し気になるところを。ノートでの議論だからまだよいと思うのですが、Nazkiさんの「麻雀分野では出典に頼らないほうがいい」という表現は「内容に関する三大方針(右図)」に対する不理解を疑われかねない、極めて誤解を招きやすい表現だと考えます。
出典の強度という点において、「広辞苑と大辞林」というか、国語辞典というのは、単語の定義の出典としては強いものだと認識していますがそうでもないのでしょうか。「現状ではあまり使われていない」という程度ではなく、「この定義が変わった/変わりつつある」という明確な根拠が必要で、そうでなければ覆してはならないのでは。--ぽえこ 2008年6月26日 (木) 19:17 (UTC)
ううむ。ますます混迷してますね。ではあえて「役満」を項目名にする場合を考えてみました。
- Nazkiさんの主張する意味での「役満」は、現在ほとんどの場合で「子で32000点もらえる役」のことだから、「どんなに最高の役でも子で8000点しかもらえない(実際当時の点数はもっと低いはずだがわかりやすくするためあえて8000点)」時代の「役・満貫」とは明らかに性格が違う。この面では「役満」は「役満貫」に「とってかわれる」名称の候補であるとは思う。
- そこで「役満」を項目名にすると元の項目名「役満貫」の扱いはどうなるか? 「同義」でなければ「役満」へリダイレクトするのは誤りになるはずだが?(このあたりNazkiさんに方針を示していただければ。)
- さらに役満 (任天堂)やこの名称をペンネームにしている漫画家とは一意性がないのでOtherUsesタグをつけるようになるだろう。
- たとえばWiki内や辞書でも「地下鉄」や「テレビ」など実は略称なのにもはや一般名詞化している項目もあるが「役満」はこれに該当するものか?(大辞林は「地下鉄道」が「地下鉄に同じ」となっているんですよねぇ・・・)
こんなところでしょうか。--ちゃれんじ 2008年6月27日 (金) 05:52 (UTC)
ちょっと脱線します…役満=4倍満なんですが、役満=4倍満=役満貫かと言われると自信は無いです…役満貫の部分だけ分けちゃいます??そうすれば包含性は満たせると思うのですが--Springtide 2008年6月27日 (金) 06:08 (UTC)
- 改めて確認しておきますと、語「役満貫」には、8000点の「役・満貫」を指す狭義の(=原義の)役満貫と、32000点の「役満」と全く同義の「役満(貫)」の、2つの意味があります。つまり、8000点の「(原義の)役満貫」と32000点の「役満」は同義ではなく、かつ、32000点の「役満貫」と32000点の「役満」は同義なわけです。実際「役満貫」を「役満」と全く同義のものとして使っている人はまだ一定数います(ただし、それらの人は原義の役満貫について全く知らないか、原義の役満貫と混同してしまう危険性があることに気付いていない)。これを踏まえて、以下に方針を。
- (お求めの方針)ちゃれんじさんの2項目、「役満」を項目名にする場合もとの「役満貫」をどう扱うか、つまり別項目を立てるのかリダイレクトにするのかですが、私はリダイレクトで構わないと考えています。理由は利便性です。役満or役満貫について調べに来た人の身になって考えてみると、これはもう別のページになっているより一緒のページになっていたほうが良い。役満の定義や役満の歴史、役満と役満貫の違いなどについて一つのページで一括で説明されているほうが分かりやすいし、親切だと思います。参考として地和のページをご覧いただきたいのですが、今の地和について概説した後で、原義の地和について説明している。わざわざ地和_(原義)というページに分けるまでもなく、地和のページ内で説明できるし、そうしたほうが利便に優る。なので、原義の役満貫のために「役満」と「役満貫」を別ページにするには及ばないと考えます。そもそも役満貫が役満と同義ではないというのは「原義の役満貫8000点」と「現在の役満32000点」が同義ではないということです。「役満貫」の意味その1がイコール現在の役満、意味その2が原義の役満貫、と言えば分かりやすいでしょうか。意味その2のためだけに別項目を立てる必要はない、という認識です。(やくみつるにまでOtherUseをつける必要はなさそうな)
- (ぽえこさん)「誤解を恐れずに言えば」くらいの文言を挟んでおいたほうがよかったかな。麻雀分野には「弱い出典」が多く、それらの資料を踏まえて総合して判断する必要がある、ということです。三大方針についてはちゃんと理解しておりますのでご心配なく。こういうことやこういう経緯についても知ってます。--Nazki rhetorica 2008年6月27日 (金) 11:02 (UTC)
- 私はこれまで何回かNazkiさんと議論を重ねていて、基本的な理解をされていることも、上で指摘した発言の真意も理解しているつもりです。ただ、私以外が見たときに、かなりきわどい表現と思いましたので、念のためコメントさせていただきました。--ぽえこ 2008年6月27日 (金) 14:15 (UTC)
- フォローありがとうございます。--Nazki rhetorica 2008年6月27日 (金) 15:38 (UTC)
- 私はこれまで何回かNazkiさんと議論を重ねていて、基本的な理解をされていることも、上で指摘した発言の真意も理解しているつもりです。ただ、私以外が見たときに、かなりきわどい表現と思いましたので、念のためコメントさせていただきました。--ぽえこ 2008年6月27日 (金) 14:15 (UTC)
「役満」と「役満貫」の明確な使い分けを記載することの是非
話がずれてきたので分けます。こちらの節では、Nazkiさんの主張される「役満貫は昔のルールの言葉、役満は今のルールを指す言葉で、両者は別のもの」が、記事に載せて良いものであるか、に絞ろうと思います。記事名をどうするかについてはここでは忘れます(改名の議論を止める意図はありません)
さて、私の意見は上の節で述べた通りです。「役満」と「役満貫」には、同じ言葉の省略形と非省略形(略には「略式」の意味もあり紛らわしいのでここではこう呼びます)であるということ以上の使い分けの差異を明確にした出典がありません。よってそのような使い分けを載せるべきではないと考えます。
Nazkiさんが示したのは現在は「役満」が使われることが多く、「役満貫」は少ないということを示す出典ではありますが、「役満貫」と「役満」は別の言葉であるという出典ではありません。どれも「役満貫」について、使っていないと言うこと以上の何も示してはいないからです。使っていない理由については使い分けの他にも、通りがいいからとか文字数の都合とか、あるいは省略形は非省略形より使用頻度が高いという一般的な現象に過ぎないとか、色々と「推論」は出来ますが、推論は所詮ただの推論(たとえ出典を元にしていようとも)であり独自研究です。独自研究同士で争ってもお互いに意味がありません。
なので、「役満と役満貫は別だ」という積極的な出典が欲しいのです。麻雀の出典は弱いから総合的に、とはおっしゃいますが、役満と役満貫の使い分けについて明記した出典が一つもないのでは「総合的に考えて」載せるべきでないと判断せざるを得ません。ある程度出てくれば、それはまた総合的な判断と言うことになると思いますが。
一応記事名についても考えを述べておくと、私は非省略形の「役満貫」寄りですが、広く使われている「役満」もありではあると思います。「役満の方が多いから役満にしよう」という単純な話ならそれほど気にならなかったかもしれません。--Kyoku 2008年6月27日 (金) 11:32 (UTC)
- 「役満と役満貫は使い分けるべきである」なんてことは本文に書きませんし、そもそも本文にそういうことを書くなんて初めから言ってないです。--Nazki rhetorica 2008年6月27日 (金) 14:13 (UTC)
- 「役満貫」=昔、「役満」=今と使い分けるということを明記しないのですか? だとするとこの節は全く的外れになってしまうのですが、そもそも「役満貫」は「役満」と違うものであり、紛らわしく誤解を与えるからということを改名の理由として挙げていたので、当然改名後にそのことを書くつもりだと思っていたのですが、懸念するほど紛らわしいと考えていることを本文で敢えて説明しないというのはどういうことなのでしょうか。改名後のこの記事にどのような構想をお持ちなのか、よくわからなくなってきてしまいました。何か私に根本的な勘違いがあるのでしょうか…--Kyoku 2008年6月27日 (金) 14:26 (UTC)
- 勘違い、あったかもしれないです。そして、私のややドラスティックな言い方が誤解誤読を誘発させてしまったのだと思います。申し訳ない。
- さて、さっき上の節のほうにも書きましたが、語「役満貫」には、
- 32000点の「役満」と全く同義の「役満貫」
- 8000点の「役・満貫」を指す「(原義の)役満貫」
- の、2つの意味があります。つまり、8000点の「(原義の)役満貫」と32000点の「役満」は同義ではなく、かつ、32000点の「役満貫」と32000点の「役満」は同義です。ここで、32000点の「役満貫」が32000点の「役満」と今も同義である以上、「両者は使い分けるべきである」はただの主張であり独自研究です。ただ、「役満貫」という語が今の「役満」という語の由来or語源になっているという点は書くつもりですし、地の文では「役満」と「役満貫」は明確に使い分けるつもりです(説明をするんだからこれはちゃんとわかりやすいように使い分けしないといけませんよね)。まあここで抽象的なことを言うより、実際に改稿版を見てもらったほうがいいかも知れない。尤も、たいした加筆はしませんし整理整頓するだけですが。
- そもそも私の懸念は、Wikipediaの記事名になっていることで、役満貫という死につつある語が復活してしまうよ、という点です。現に使われなくなっている点は同意いただけると思いますし、紛らわしい語を復活させるべき理由は何もありませんよってことです。--Nazki rhetorica 2008年6月27日 (金) 15:38 (UTC)
- うーん、やっぱりよくわからないというのが正直な所です。地の文で明確に使い分けるなら、それは明記しているのと同じことのような気がします(「この記事では~と呼ぶことにする」と断らない限り)。暗黙に使い分けても「役満=役満貫の略」とだけ思っている人は、やっぱりNazkiさんの懸念しているような誤解をするのではないでしょうか。使い分けが独自研究なら地の文でもそういう使い分けをするべきではないのではないか、と素朴に考えてしまいます。
- あとそれとは別に、「役満⊆役満貫」ということについて一つ気になることがあるのですが、『8000点の「役満」』がある可能性はないのでしょうか? 昔の役満貫は、本当に「役満」と省略されたことがないと言えるのでしょうか? 言葉を省略すると言うことが別に戦後から始まった慣習であるわけではないですし、またルールの変化と言葉の変化の2つがあったとして、それらはいつかの時点で「8000点の役満貫は32000点の別物となった。よってこれからは『役満』と呼ぼう」と言う取り決めが為されない限り同期しないような気がします。出典もないし悪魔の証明になりかねないので強く主張はしませんが、ちょっと気になる所ではあります。--Kyoku 2008年6月28日 (土) 17:56 (UTC)
- 理屈で説明できることはもう出し尽しました。逆におききしますが、そこまで役満貫に肩入れする理由は何ですか? プロのルールブックでも近代麻雀誌上でももっぱら役満のほうが使われている現在、なぜ記事名が役満貫でなければならないのでしょう?--Nazki rhetorica 2008年6月30日 (月) 15:07 (UTC)
- 先に述べた通り、記事名なら別に「役満」でも良いと思います。「役満の方が役満貫よりよく使われているから」というだけのシンプルな理由なら、賛成はしませんが積極的な反対もしなかったと思います。
- 引っかかり続けているのは「役満貫≠役満」という主張を含んでいたからです。役満という言葉に単に役満貫を縮めただけ以上の意味の変化があるとは思えなかったからです。「貫」を略すことに時代の変化が明確に含意されているとはどうしても思えなかったからです(この点に関しては未だにスッキリと納得できていません。やはり「役満=役満貫」だと思います)。そして、そのことを明確にしないまま本文中で使い分けを行うということについてはハッキリと反対します。使い分けるのなら、使い分けについて(出典を明確にした上で)明記するのが筋だと思います。敢えて曖昧なまま使い分ける理由は何か、私が知りたいのはそこです。--Kyoku 2008年6月30日 (月) 15:58 (UTC)
- 役満貫は原義では満貫です。つまり「役満貫=満貫」。一方、現在では満貫は8000で役満は32000、つまり「満貫≠役満」。両者をつなぐと「役満貫=満貫≠役満」。したがって「役満貫≠役満」。私が言っているのはこれだけです。この論理式に出典が必要だとは到底思えませんが…。
- 「貫」を略すことに時代の変化…はあると考えたほうが妥当だと思いますよ。実際近麻誌上の諸作品では「役満貫」は一切使われなくなっているし、下の#文献資料に挙げた『新報知ルール』でも全て「役満」で統一している。しかも新報知ルールのp75には下記のような但し書きまである。ただし、ただしです、「明確な」号令や取り決めがあったとは考えにくいです。言葉の使われ方の変化の話ですから、明確な線引きはできないでしょうし、どの時点がターニングポイントだったかも指摘はできない。しかし、次第に、もろもろの理由のもとに、「役満貫」ではなく「役満」を使うようになったということは、これはもうあらゆる状況証拠が物語っている。
- もちろん「役満貫」が「役満貫=役満」の意味で現在も一部で使われているということは知ってますし、古い言葉づかいでは「役満貫=役満」ですから、「役満貫=役満」での使用を否定するつもりはありません。しかし、否定はしませんが、この人たちあんまり麻雀を知らないんじゃないか、と疑いはします。つまり記事名が役満貫になってることで、麻雀をあんまり知らない人たちが書いてるんだなって印象を持たれかねない。この一点だけでも改名に足ると私は思いますし、地の文でも使い分ける(=不用意に「役満貫」を使わない)理由はそこです。--Nazki rhetorica 2008年7月2日 (水) 18:23 (UTC)
- Nazkiさんが「役満貫」という言葉が嫌いなのはよくわかりましたし、私のことをどう思っているのかも大体わかりましたが、それはそれとして地の文の使い分けの理由を明記しない理由がやはりわかりません。使い分けの理由をちゃんと明記すれば「麻雀をあんまり知らない人たちが書いてる」という懸念も払拭できますし、死語『役満貫』を誤って使い続けるバカ者を減らす効果があるはずですよ? それに暗黙にかき分けたとしても、それを知らないバカ者が勝手に『役満』なり『役満貫』なりに直す可能性もあります。そのたびに編集合戦をするのですか? 理由を隠すのはむしろ有害です。ちゃんと本文に書きましょうよ。もちろん出典を付けて。--Kyoku 2008年7月3日 (木) 13:04 (UTC)
- 使い分けの理由まで書く必要はないと私は思っていますが、そこまで危惧されるのであれば、役満貫という語の使用状況について何らかの一文を書き足すことはできます。たとえば「古くは役満貫と言ったが、貫を略した役満という表記が昭和中期頃から使われ始め、現在では役満と表記するのが主流になっている。なお、役満貫という言い方もまだ一部に残っている」とか。こういった当たり障りのない当たり前の一文に出典が必要ですか? あるいはこの文のどこか適切なところに脚注をつけて、例えば『平成版新報知ルール Q&A付』や近代麻雀各誌での使用状況を挙げればよいですか? この論争の落とし所としてはこのあたりかと思いますが。--Nazki rhetorica 2008年7月4日 (金) 22:15 (UTC)
- そのような文章が付け加えられるのであれば問題ないと思います。ただ、その文章では「役満=役満貫」という意味になっていますが、Nazkiさんはそれで良いのでしょうか(私はその立場なので喜んで賛成しますが、Nazkiさんはそうではない、という立場ですよね)。それともこのような文章を加えた上で、やはり別の箇所では「役満貫=8000点」「役満=32000点」という使い分けを行うということでしょうか。後者の場合なら、本文と食い違った説明を載せるのは問題であると思いますが、そうでないのであれば私の懸念は払拭されますので賛成します。--Kyoku 2008年7月15日 (火) 14:32 (UTC)
- >Nazkiさんはそうではない、という立場ですよね
- んんん? 私の立場は「役満=役満貫という考え方は間違っている」という立場ではありませんし、「役満≠役満貫だからそのことを記事に反映させよう」みたいな立場でもありません。Kyokuさんがそのように捉えておられるのならそれは違います。やはりどこかに誤解があるとしか…。役満と役満貫を使い分けるというところで何か私が珍妙な使い分けをするのではと感じてらっしゃるんでしょうか? そうであるならそれは杞憂ですし、本文と食い違った説明など載せようはずがありません。--Nazki rhetorica 2008年7月16日 (水) 09:56 (UTC)
いろいろな話題があってインデントをどこにすればいいかよくわからないので、とりあえず末尾にインデントなしで書いておきます。
まず用語についての私の考えは、現代麻雀の「役満」と原義の「満貫」が (リミットハンドであるという点で) 同種であるというものです。
原義の「役満貫」は、現在でいえば「役満役」(この名称が一般的かどうかには疑問がありますが) に対応すると思います。
また、現代の「役満」という語が古来の「役満貫」から来ていることも、間違いはないはずです。
その上で記事名についてですが、ここでの混乱は用語の対応を主眼においていることによると考えます。
そこで
- この記事は「役満」に改名して現代の「役満」のみを扱う
- 別途「満貫制」という項目を立てるなどして、点数計算との関連の中でそれぞれの語の関係に触れる
のがよいように思います。
ますます引っ掻き回していたとしたらすいません。--WM 2008年7月3日 (木) 10:07 (UTC)
すいません、投稿してから#改名提案よりこちらの方が適切だったと思うので、カットペーストしました--WM 2008年7月3日 (木) 10:10 (UTC)
インデントの付け方が複雑化してますので、一度段を戻しておきます。お二人の意見はそれぞれあるようですが、違う意味で収束しそうにないので論旨整理…まず、「役満貫」には今でいう役満とそうでない部分があるわけですよね?だとすると、「昔の役満貫を補足で書く」…だとすると役満に改名した上でNazki rhetoricaさんの述べた使用状況を書き加えればいいでしょうし、「昔の役満貫と今のいわゆる役満を併記する」のであれば、役満貫の項に「昔の役満貫」という節と「今の役満貫=役満」という節を作る。この二者択一かと思うのですがどうでしょう?あとは、WMさんが書かれていたり、下名が上で述べたように「今の役満」と「それ以外の役満貫」を項目レベルで分けるしか選択肢が増えないと思います。--Springtide 2008年7月15日 (火) 03:24 (UTC)
- >まず、「役満貫」には今でいう役満とそうでない部分があるわけですよね?
- 私はそこを疑問視してるのですが… 私の立場を整理しますと、「満貫」という言葉に8000点とか32000点とかいう具体的な点数の意味はなく、単に計算を打ち切るリミットハンドの意味であって、「役満貫」とは一役で計算打ち切りの上限点を得られる役という程度の意味。従って昔の8000点のものも今の32000点のものも「役満貫」であって、ただ評価の仕方が違うだけである。「役満」という言葉は評価とは無関係な単なる「役満貫」の省略語であって、意味の違いはない。たまたま最近は略語の「役満」が多く使われていると言うだけである、ということです。評価が違うだけで別物であるというならば、昔の4点役の「搶槓」と今の1飜役の「槍槓」は別物なのかとか、色々と面倒臭いことになると思うのですが…
- ですので、「役満貫≠役満」を前提に議論を読まれると、意味が掴みにくくなるかもしれないです。--Kyoku 2008年7月15日 (火) 14:32 (UTC)
- 状況理解しました。とすると、論点整理して。Nazki rhetoricaさんが「役満≦役満貫」を主張されるのであれば、その出典が欲しいというのがKyokuさんの主張ということですかね。で、出典が出てしまえばそこまでですし、逆にNazki rhetoricaさんがそこにはこだわらないもしくは今回の改名考慮の論点から除外することに同意されれば、Kyokuさんの懸念は払拭されるという認識でよろしいでしょうか?そうなった場合、次は「Wikipediaの記事名になっていることで、役満貫という死につつある語が復活してしまう」懸念をどうするかということになるのかなと思いますが、いかがでしょう。正直、項目名を決める基準である「言葉の一般性」議論から外れ、定義がどうこうという派生問題で本題進行が妨げられているように見えるため、非常に心配していまして…。--Springtide 2008年7月16日 (水) 04:57 (UTC)
- 定義がどうこうという話から入るとまた長くなるので初めから本題のほうに行きます。私の懸念は正確には「役満貫という死につつある紛らわしい語が復活してしまう」ということです。死につつある語が復活してしまう点も問題ですが、それよりももっと、復活するのが紛らわしい語である点が問題なんです(どこらへんが紛らわしいのかってことを説明したことで定義の泥沼に入ってしまいましたが…)。各種プロ団体でも近麻でも今皆が皆「役満」のほうで統一しているのに、Wikipediaだけがなんだかよく分からない理由で役満貫のほうを推してる。紛らわしい語が復活してしまった場合、Wikipediaはまさにその犯人です。そうなったらマズイでしょ。それ以前に「言葉の一般性」を言うなら、「役満貫」はもはや一般的な語ではなくなっていると言っていいと思います。以下に提出した#文献資料はその論拠として有力と考えます。特に『平成版 麻雀新報知ルール』と『麻雀いっぱつ読本』はともに1997年の発行であり執筆陣も強力ですから。--Nazki rhetorica 2008年7月16日 (水) 09:56 (UTC)
- わかりました。改名理由について「今は役満と言う表記が一般的なものとなっており、役満貫はまず使われなくなっている。このため改名をしたい」と枝葉をザックリ切り捨ててしまえば議論が進みやすくなると考えますがいかがでしょう。皆さんの賛意を得られるようであれば、節を改めた上で再度検討できればと思っております。--Springtide 2008年7月22日 (火) 10:39 (UTC)
- 記事名の付け方にはWikipedia全体としての指針(Wikipedia:記事名の付け方)があり、基本的にはそれに従うべきです。ですから意味的に「役満=役満貫」であり、かつ指針に機械的に従えば、記事名は自動的に非省略形の「役満貫」になるはずです。そして、指針から逸脱する(ここでは省略形の「役満」をあえて記事名にするということ)ためには、積極的で強い理由が必要であると考えます。
- 私は、Nazkiさんがそのための理由として「実は『役満≠役満貫』である」と言うことを挙げているのだと思っていました。だから、『役満≠役満貫』論についてお話ししてきたのですが、Nazkiさんはそう言うつもりではなかったということのようです。
- そこで、上のNazkiさんが記事名を役満にすべき理由として挙げられていることに対して述べさせて頂きますと、
- >Wikipediaだけがなんだかよく分からない理由で役満貫のほうを推してる・>紛らわしい語が復活してしまった場合、Wikipediaはまさにその犯人です。そうなったらマズイでしょ。
- このあたりが考え方の違いのように思います。まとめると以下の三点になります。
- 「役満貫という死につつある紛らわしい語が復活してしまう」ということですが、「役満=役満貫」ならば「紛らわしい」ということはあり得ません。何しろ同じ意味の言葉なのですから。「紛らわしい」ということは、やはり「役満≠役満貫」であり、それが改名すべき理由であるとお考えである、ということになると思いますが、どうでしょうか。
- 記事名は方針に従って付けられるものであり、記事名になっているからといって推しているということにはなりませんし、それが記事名になっているからといって「古い語を復活させた犯人だ」などと断罪される謂われもないと思います。存在もしないような勝手な造語ならともかく、辞書にも載っている非省略形が知られると言うことをそれほど恐れる必要があるのでしょうか。そもそも百科事典において「これは死語だから見出しからは隠して世間に広めないようにしよう」という態度が適切と言えるのでしょうか。
- 「広く使われている」ということは、少なくとも省略形を非省略形より優先すべきという積極的な理由には当たらないと思います。言いやすさ・書きやすさのための省略語ですから、そちらがよく使われるのは当然です。繰り返しになりますが、日常的な省略語より非省略語を優先している例は日本放送協会と「NHK」、後天性免疫不全症候群と「エイズ」など、麻雀関係では混全帯ヤオ九などが挙げられます。
- 要するに、方針に反してまで「役満」を記事名にするための積極的な理由というのが見えない、というのが私の気になっている所です。
- また、Springtideさんの提案については、「それだけでは非省略名より省略名を優先する理由にならない」と思います。理由は箇条書きの三番目です。--Kyoku 2008年7月23日 (水) 09:54 (UTC)
- 前々から申しておりますが、役満と役満貫を省略名か非省略名かのみで捉えるのは不十分です。それから、私が言ってるのは「役満と役満貫はまるっきり合同な言葉というわけではないですよ」ってことです。そこらへんのことを曲解してるというか、私が言ってることの意味があまり通じてないというか。そのあたりのことに関連して一つ聞いてみたいのですが、初心者に「役満貫って役満なの? 満貫なの?」と聞かれたら、Kyokuさんはどう答えるんですか? あなたの考えだと「役満貫は役満であって満貫ではない」とお答えになりそうですが、昔の得点体系では役満貫は満貫ですよ? どうなんですかそこのところは。--Nazki rhetorica 2008年7月23日 (水) 15:18 (UTC)
- ナンセンスな質問ですが、一言で答えるなら「役満貫は役満であり、満貫である」が答えになります。「満貫」という言葉の元の意味はリミットハンドですが、現在は親12000点・子8000点という得点自体を指すこともあります。現在の役満(貫)は、前者の意味での満貫ですが、後者の意味での満貫ではありません(昔は両方の意味で満貫だったわけですが)。ですから、正確に答えるなら「役満貫と役満は同じ言葉である。役満貫はリミットハンドの意味での満貫である。現在のルールでは役満貫では(数)満貫の4倍の得点が得られる。4倍満貫の得点自体のことも役満(貫)と呼ぶことがある」です。この質問では「満貫」の2つの意味を混同していますので、そのことも説明する必要があるでしょう。
- 改めてお聞きしますが、「役満と役満貫はまるっきり合同な言葉というわけではないですよ」ということは、「役満=役満貫という考え方は間違っている」という立場でしかありえないと思うのですが? 私は「まるっきり合同な言葉」だと思っていますが、それは間違っている。だから見出しに「役満貫」を使うのは「役満」を使うのと違った意味を与えるから不適切だ、と、そう言っているのですよね?そうとしか思えないのですが、これは先におっしゃられた>私の立場は「役満=役満貫という考え方は間違っている」という立場ではありませんし、「役満≠役満貫だからそのことを記事に反映させよう」みたいな立場でもありません。という発言と真っ向から矛盾します。そのあたりの説明をお願いしたいと思います。--Kyoku 2008年7月23日 (水) 16:10 (UTC)
- >真っ向から矛盾します
- そう考える背景としてあなたはおそらく「役満貫=役満」が成り立つなら「役満貫≠役満」は成り立たないとある意味普通に考えているのでしょう。しかし何週間か前に申し上げたように話はそんなに単純ではないんです。答えを一言で言うなら「役満貫=役満でありつつ役満貫≠役満でもある」です。あなた自身「役満貫は役満であり、満貫である」と答えているように、これは白黒はっきりした概念を扱っている問題ではない。つまり「役満貫=役満が成り立つなら役満貫≠役満は成り立たない」と白黒単純に考えている限り色々なところに矛盾を感じてしまうだろうし、それがゆえに私の言っていることが完全に伝わらない。もうすこし柔軟に考えて下さい。でないと建設的な議論ができない。(具体的に言うと「役満=役満貫という考え方は間違ってはいないが、それは不十分であって、役満と役満貫はまるっきり合同な言葉というわけではないですよ」ってことです。というかこんな話をしているうちにまた脇道に入り込んでしまう)
- 本題に行きます。
- 「役満貫は役満であり、満貫である」とのご回答、全く間違っておりません。私も同じ考えです。で、次に「役満は満貫ですか」という問いにお答え頂くとしたら、いくらKyokuさんだって答えはノーでしょう。私もノーと答えます。つまり「役満は役満貫ではあるが満貫ではない」です。どうですか? 役満貫と役満はまるっきり合同ではないでしょ? 片方は満貫でもあるのに、もう片方は満貫ではないんですから。--Nazki rhetorica 2008年7月23日 (水) 20:12 (UTC)
- ナンセンスな質問ですが、一言で答えるなら「役満は満貫であり、満貫でない」が答えになります。「満貫」という言葉の元の意味はリミットハンドですが、現在は親12000点・子8000点という得点自体を指すこともあります。現在の役満(貫)は、前者の意味での満貫ですが、後者の意味での満貫ではありません(昔は両方の意味で満貫だったわけですが)。ですから、正確に答えるなら「役満貫はリミットハンドの意味での満貫である。現在のルールでは役満貫では(数)満貫の4倍の得点(親48000点、子32000点)が得られ、親12000点、子8000点という意味での満貫点が得られるわけではない」です。この質問では「満貫」の2つの意味を混同していますので、そのことも説明する必要があるでしょう。
- とりあえず、あなたが人の話を全く読んでいないか、理解する気がないということがよくわかりました。でなければどうして『>で、次に「役満は満貫ですか」という問いにお答え頂くとしたら、いくらKyokuさんだって答えはノーでしょう。』などという言葉が出てくるのか理解できません。また、どうやら『「役満貫=役満」であり、かつ「役満貫≠役満」でもあるのだ』などという支離滅裂な主張を本気で為されようとしているらしいので、そのような方とこれ以上論理的で建設的な話し合いが出来るとも思えません。なので、ひとまず役満の意味論と、Nazkiさんの主張について理解する試みは止めにすることにします。--Kyoku 2008年7月24日 (木) 10:55 (UTC)
- 御自分で「役満は満貫であり、満貫でない」と言いながら、私が言っている「役満貫=役満でありつつ役満貫≠役満でもある」は支離滅裂ですか。正直呆れます。>人の話を全く読んでいないか、理解する気がないって、そんなわけないでしょうが。あなたが満貫とリミットハンドについて長々説明していることもちゃんと読んでいるし、実際あなたはその中で「現在の役満(貫)は、前者の意味での満貫ですが、後者の意味での満貫ではありません」と言っている。これを「役満は満貫ではない」と解釈して何がおかしいのか。だいたい満貫とリミットハンドのことなど説明されるまでもないことなんであって、私はそれを踏まえてどうなんですかと聞いてるんです。それに私が聞いてるのは「片方は満貫でもあるのにもう片方は満貫ではないってのはどう解釈するんですか、それでもまるっきり合同と言えますか」ってことです。それには答えずコピペまがいの回答をよこすなど、一体どういう料簡なんだ。--Nazki rhetorica 2008年7月24日 (木) 14:39 (UTC)
- 「今の役満」は、「リミットハンドの意味での満貫」であり、「親12000点、子8000点の意味の満貫」ではありません。
- 「今の役満貫」は、「リミットハンドの意味での満貫」であり、「親12000点、子8000点の意味の満貫」ではありません。
- 「昔の役満」は、「リミットハンドの意味での満貫」であり、「親12000点、子8000点の意味の満貫」でもあります。
- 「昔の役満貫」は、「リミットハンドの意味での満貫」であり、「親12000点、子8000点の意味の満貫」でもあります。
- どの場合でも役満と役満貫の意味は一致します。だから「役満=役満貫」です。と言ってもNazkiさんには理解できませんでしょうからお返事は不要です。これは後で議論を読み返すかもしれない別の方のための補足です。今まで言ってきたことと全く同じ事ですがね。--Kyoku 2008年7月24日 (木) 15:03 (UTC)
- 現在の満貫は既に最大得点ではなくなっているのでリミットハンドとは言えません。かつ、「今の役満」と「昔の役満貫」は上記の箇条書きにおいても全くの合同ではありません。かつ、「昔の役満」という概念はありません。今の役満は昔は「満貫」と呼ばれていたのです。そもそもそこから間違っている。かつ、以下2つはコメントアウトになっている部分に関してですが、>「役満は満貫ではない」ではないかという極論とのこと、「役満は満貫ではない」のどこが極論なのか理解に苦しむ。普通の言葉使いでは役満32000・満貫8000であり両者は別の概念です。かつ、人を呼び捨てにしている点。以上の5点から、Kyokuさんの主張にはまったく同意できません。「お返事は不要です」もWikipediaでは禁句です。そういうのを対話拒否と言うんです。--Nazki rhetorica 2008年7月24日 (木) 16:22 (UTC) ケアレスミス修正--Nazki rhetorica 2008年7月24日 (木) 18:18 (UTC)
- 対話拒否と言うよりは馬鹿らしくて返事したくなかっただけなんですが、とりあえず突っ込んでおきます
- 「ごはん(1)」は、米などの穀物を炊いたものである。
- 「ごはん(2)」は、一度の食事のことを言う。
- 「飯(1)」は、米などの穀物を炊いたものである。
- 「飯(2)」は、一度の食事のことを言う。
- →「ごはん(1)」と「飯(2)」は意味が合同ではありません。だから「ごはん」と「飯」は別の言葉なのです!
- あなたの言っていることはこれと同じです。もし「違う」と言われても私にはあなたの発言にそれ以外の解釈を見いだせませんし、もし「その通り、私はそう主張するのだ」と言うような人ならば言語を通わせる自信がありません。だからもう止めようと言っているのです。違う論理の世界で話し合っても結論は出ませんよ--Kyoku 2008年7月25日 (金) 09:49 (UTC)
- 対話拒否と言うよりは馬鹿らしくて返事したくなかっただけなんですが、とりあえず突っ込んでおきます
- 解釈論争が不毛だという点にだけは多いに同意できます。建設的な議論をするためにも次の議題に移りたいと思いますがよろしいか。--Nazki rhetorica 2008年7月25日 (金) 12:18 (UTC)
横から口を挟むようですみませんが、「昔の役満」という概念はないということですが、阿佐田哲也の麻雀放浪記にアールシアール麻雀を打つ場面があって、そこで登場人物が天和を「役満」だと言っているのですが、これは「昔の役満」のような気がするんですが、違うんでしょうか?的はずれな質問だったらごめんなさい。146.159.230.249 2008年7月26日 (土) 15:08 (UTC)
- 麻雀放浪記の初出は1969年(昭和44年)ですから、言葉使いの点で考えればこれは「今の役満」に属すると捉えたほうがよろしいかと思います。--Nazki rhetorica 2008年7月27日 (日) 00:47 (UTC)
文中の場面は戦前で、ルールも戦前のもので、その天和も48000点じゃないんですが、これを「役満」と呼んでいてもそれは「今の役満」でいいんですか?多分今の48000点の役満とは違うものだと思うんですが、それも含めて「今の役満」なんですか?(今の、昔のというのはルールの違いという意味ではなかった?) よくわからないんですが、これは戦前にも役満貫を役満と略している例かと思ったんですが、これは戦後の本だから違って、やっぱり戦前に役満という言葉は存在しないということは確定しているんですか?ただの阿佐田の記憶違いだったらいいです。質問ばかりですみません146.159.230.249 2008年7月27日 (日) 05:42 (UTC)
- まず「昔」と「今」がそれぞれいつを指すのかですが、満貫が得点の上限だった時代が「昔」、ルールの変遷の結果満貫が上限ではなくなった時代が「今」です。つまり「麻雀のインフレ化」が起きる以前の時代が「昔」、「麻雀のインフレ化」以後の時代が「今」です(説明するまでもないことでしたらごめんなさい)。で、「今の役満」に当たるものを当時何と呼んでいたかというと、これは「満貫」と呼んでいたわけです。ですから「昔の役満」という言い方は正確ではなくて、それを言うなら「昔の満貫」でしょ、ということです。我々は現在役満という言葉に慣れ親しんでいますから、「昔の役満」という言葉を使いたくなるのはわからないではありませんし、意味も通じないことはありません。しかし、昔は満貫までしかなかったわけですから、厳密に言えば「昔の役満」という言い回しはおかしいわけです。別の説明の仕方をしますと、役満という言葉自体が「新しい言葉使い」に属するので、「昔の役満」という言い方をすること自体が少しおかしいですよってことです(繰り返しになりますがそれは「昔の満貫」です)。「昔の役満という概念はない」とはこういうことです。大雑把な説明で申し訳ありませんがこんな感じでお分かり頂けましたでしょうか。
- これとは別にもう1つ、「役満という言葉は戦前には存在しなかったのかどうか」ですが、これは要するに「役満」という言葉の初出がいつなのかという問題です。「役満」が「役満貫」から派生した言葉であるという点は論を待たないのですが、「役満」という言葉は口語ですから、その初出がいつなのかを確定するのは相当難しいです。そういう意味で「役満という言葉は戦前には存在しなかった」と確言することはできません。もちろん「役満」が登場する最古の文献を探し出すことは不可能ではありませんが、かなりの手間ひまを要する上に結局はそれも「文献上の初出」でしかないわけです(つまりもっと古くから役満という口語があった可能性はある)。こういった事情があるので、とりあえずは「麻雀のインフレ化と共に発生してきた言葉である」と捉えておけばよろしいかと思います。
- 昔の麻雀に関して情報を得るのは難しいですし、得られたとしても限定的な情報でしかないわけですが、こういったページやこういったページもありますので、どうぞ御参考にしてみて下さい。麻将連合の高見沢治幸プロが書いている「古書解題」シリーズです。大正末期~昭和初期に発行された麻雀書について紹介してます。全部に目を通してもそんなに時間かかりませんから、御一読をお勧めします(面倒であれば「満貫」という語でページ内検索してみると手っ取り早いです)。--Nazki rhetorica 2008年7月28日 (月) 15:26 (UTC)
失礼な上しつこくて申し訳ないんですが、その話はなんだかおかしいような気がします。たとえば「1900年頃には~は××と呼ばれていた」という風に書かれている本あって、1980年発行だったとしたら、「××」の初出は1980年で、それ以前(1900年)に使われたという意味にはならない、ということにはなりませんよね。普通の感覚では1900年頃に××が使われていたという証拠になるはずです。そして戦前の話とされている中で「役満」が出てくるというのは、「戦前に役満という表現が使われていた」という証言と同等であるので、その話と同じ事になるはずですが、この場合は認められないんでしょうか?(Wikipediaではそう言うルールなんでしょうか) それとも、阿佐田の考証はいい加減で、そもそも信用できる代物ではないということでしょうか?それなら話はわかりますが、麻雀放浪記って麻雀小説の先駆けらしくて、麻雀に関してはこれよりも古くて信頼できる麻雀(を実際に打っている場面を書いた)本ってそんなになさそうなんですが、もっと良いものがあるのでしょうか?またしても質問ばかりですみません87.239.19.15 2008年7月29日 (火) 14:11 (UTC)
- 天和をあがるシーンって、麻雀放浪記第1巻のオックスクラブのシーンのことですか? 私の手元にあるのは角川文庫版で、ページで言えば第1巻の48ページですが、これは戦後すぐ(昭和20年10月)のシーンですから違うシーンのことをおっしゃってるのかな? もしかしてマンガ版とか映画版を参照してます? どちらにせよ、麻雀放浪記の舞台はまさに「麻雀のインフレ化」の過渡期まっ最中の時代ですから、役満という語が使われてたって別にどこもおかしいことないんですけどね。
- で、私が「昔」と言っているのはそれよりもっと以前の時代、大正末期から昭和初期の、インフレ化以前の時代のことです。そのつもりで高見沢プロのページを紹介したんですが、これは読まれましたか。あの時代の書物では「役満」どころか「役満貫」さえ出てこないのにお気付きになりました? 役満と置き換えても良い箇所が全部「満貫」になってるでしょ。これが先に申し上げた「今の役満に当たるものは当時満貫と呼ばれていた」の裏付けなんですが、いかがでしょうか。--Nazki rhetorica 2008年7月31日 (木) 14:13 (UTC)
そのシーンじゃなくて、もっと後の方のアールシアール麻雀のシーンです。そのシーンの天和は明らかに「今の麻雀」の「今の役満」ですよね?そうじゃなくて本当にそのご紹介のページのような昔のルールで打ってるシーンで天和を役満と呼んでたんですよ。今手元にないので巻とページははっきりしませんが後で確認してきます。でも結局、質問の答えとしては、もっと昔の信頼できる本で役満という言葉が当時存在しないことがはっきりしてるんだから、麻雀放浪記でアールシアールの天和を役満と呼んでいるのはただの考証不足で間違いということなんですよね?だったらそもそも僕の最初の指摘は的はずれですね。無意味にかき回しちゃったみたいでごめんなさい。87.239.19.15 2008年7月31日 (木) 16:18 (UTC)
- あー、考証不足による間違いってことではないと思いますよ。阿佐田哲也ほどの文章家がそんなミスを犯すとは思えないですし。一番ストレートに言えば(1つ前で言ったことの言い換えになりますが)、ルールの過渡期を舞台とする物語である以上、今に通じる用語が混ざっていても全然おかしくないってことです。ルールの変遷を眺めると、アルシャルルールに場ゾロやらドラやら立直やらが色々と段階的に付け加えられた結果戦後のルールができあがったという経緯がある。つまり黒から白にだんだんと変わっていく灰色のゾーンがあって、そのグレーゾーンのどこかで「役満」という言葉が出てきたと捉えておくのが一番無難だと思います。その灰色を白だ黒だと争ったところで詮なきことですし、そもそも麻雀放浪記は小説ですから、こういうところの議論で論拠として使うのには向かない資料でもある。他の資料、例えばルールブックなどの資料で考えたほうがいいというのはご理解の通りです。
- かき回したなんてことはないですよ。お気になさらずに。それにこの会話の中で高見沢プロのページも紹介させてもらえたわけだし、充分意味があったと思います。ひとつリクエストさせて頂くとしたら、ノートでの議論に参加するときはアカウントを、という点でしょうか。--Nazki rhetorica 2008年8月2日 (土) 04:17 (UTC)
私も横からで申し訳ないですが、あまりにも議論が見えづらいので私の理解を話させてください。
私の理解するNazkiさんの論旨としては、
・語源的に「役満」は「役満貫」の省略である
・「役満貫」は、昔「役」で「満貫点」(アルシーアルのころなら2000点、いまの換算で8000点)になるものの総称だった
・「満貫」は戦後のインフレの中で「リミットハンド」の意味は薄れ(ほぼ無くなり)、ただの中間点数「8000点」に格下げになった
・そのインフレにともない、「役満」は現在4倍満貫と同じ点数を有する
・その流れを経て現在、「役・満貫」という言葉の使用は「役」で「満貫=8000点」という誤解をさせる可能性がある
・また、現在において書籍やルールの中では「役満」という言葉のみが使用されている
・これらを鑑みて、死語になりつつある「役満貫」をあえて見出しにすることに多大なる疑問を感じる
という風に理解しましたが、Nazkiさんおよび他の方は、これらの理解について、およびこの理解の下での改名提案についての意見はいかがですか。
--Leftylefty 2008年8月2日 (土) 06:04 (UTC)
- そのように理解して頂いてまったく問題ありません。というかそれが正解です。--Nazki rhetorica 2008年8月2日 (土) 09:06 (UTC)
- ひとつだけ補足させて頂くなら、2行目の「役で満貫点になるもの」という言い回しでしょうか。意味は通じるのですが「役で満貫点」は耳慣れない言い方なので、「一つの役で満貫点になるもの」と補完して理解させて頂きました。同じ理由で5行目も『その流れを経て現在、「役・満貫」という言葉の使用は役満なのに「満貫=8000点」という誤解をさせる可能性がある』と言ったほうがスンナリ理解しやすいかも知れません。細かい点ですが。逆に言えばそれくらいしか注釈するところがないです。論旨の大筋はLeftyleftyさんのご理解でなんら問題ありません。--Nazki rhetorica 2008年8月2日 (土) 09:06 (UTC)
- 私も大体そのような流れであると思っていました。
- だから、主張の骨格としては(1)『昔は役満という省略語は存在しなかった』。だから(2)『「役満」は「今」のものだけを明確に表す言葉であるのに対し、「役満貫」は「今+昔」のものを指す、より意味の広い言葉であり(だから「役満」≠「役満貫」である)、単なる省略語の関係ではない』。よって(3)『より意味の明確な(意味する範囲の狭い)「役満」を記事名にすることで、「昔の役満貫」との混同を防ごう』という流れであろうと思い、ならば必要なことは
- (1)の出典を示すこと
- 記事名変更後は(2)の内容を本文中に明記すること
- が必要ですね、という事を確認しようとしたのですが、それに対し『「役満」≠「役満貫」であるという主張ではない』とか『「役満」=「役満貫」でもあるから(2)は明記できない』とか言われてしまって、何を主張しているのか私にはサッパリわからなくなってしまった。Leftyleftyさんの理解で正解なら明らかに『「役満」≠「役満貫」である』という主張のはずなのに、『いいや違う、「役満」≠「役満貫」であり「役満」=「役満貫」であるのだ』という禅問答になったあたりで付いて行けなったので、主張の確認をすることは止めにしました、、、というのがこの節の前半で長々と続いている所の流れになります。結局どういうことなのか、(2)を本文に明記しては行けない理由は何か、未だによく理解できていません。(1)の出典は出てきてるみたいですが。
- で、私の個人的な意見も今一度述べておくと、『今の「役満」も「役満貫」の略であることには変わりないのだから、Wikipedia全体として記事名は非略称優先というルールに従うなら「役満貫」が記事名であるべき。今の「満貫」との関係については本文でちゃんと説明することであって、「満貫点8000点と誤解されるかもしれない」ということだけでは改名の理由にならない』という考えです。--Kyoku 2008年8月2日 (土) 11:41 (UTC)
- やはりKyokuさんは独特の曲解をしてますよ。たとえば、
- ・『「役満」≠「役満貫」であるという主張ではない』ではなく、『「役満」≠「役満貫」だから改名すべきだと言っているのではない』です。その一点のみで改名を提案しているのではないんですよ。あるいは、
- ・『「役満」=「役満貫」でもあるから(2)は明記できない』ではなく、私が言ったのは『使い分けの理由とかそんな細かいところまで書く必要を感じない』です。なので、「(2)を本文に明記しては行けない」のではなく、「(2)のようなことまで書く必要はない」です。
- 細かいログをつつくとまた話が長くなるし済んだ話なんでもういいんですけどね。でも、どうもKyokuさんは、「この人の言ってることはA、であるならばB、ということはCが論点となる」という独特の論理展開をしているように見えます。いや、それでもいいんですけどね、それだと話がややこしくなるじゃないですか。もっとストレートに、Bを挟まずに考えたほうがいいと思います。難しく考えすぎなんですよ。そりゃ私だって、「AでありBでありCであるという側面がある、ならばDではないですか」と、そう単純ではない話をこの改名提案で始めてるんで、Kyokuさんにケチをつけれる筋合いではないんですけどね。で、結局何が正解かって言うと、いや、言いなおしましょう、今私が一番Kyokuさんに望むことは、「その一点だけで考えるんじゃなく、総合的に考えてほしい」ってことです。Leftyleftyさんの言を借りるなら、『これらを鑑みて』です。どうですか。--Nazki rhetorica 2008年8月2日 (土) 13:33 (UTC)
- 「総合的に」ですか。私のもっとも嫌いな言葉ですね。相手の意見を整理して、論点を抽出して確認しあうというのは別に私独自の方法ではなく、冷静に論理的で理性的な話し合いをするためには不可欠な手続きです。それを「そんな手続きはややこしい。Aは総合的に考えてCだからCなのだ」というのはもはや話し合いではありませんし、私はそんなものに付き合いたくありません。それに、私は総合的に考えて「役満貫」が適切であると考えています。それを覆す論証がない限り、私がいくら総合的に考えようと意見は変わりません。
- それはともかく、(2)を明記しないのは『使い分けの理由とかそんな細かいところまで書く必要を感じない』からというのは、私にとって最も理解しがたい所です。まさにその「細かいところ」のために記事の改名という大事をやろうとしているのではないのですか? 役満と役満貫のニュアンスの違いが些末なことだとしたら、そもそも改名の必要もないわけです。改名が必要なほどに意味合いが違うのであれば、その情報は重要であり本文に明記することは有益なはずです。私が総合的に考えるとそうなるのですが、Nazkiさんは私と違う総合的な考えの元で、そのような微妙で中間的な重要度であるという判断に至ったのでしょう。その中身を問い始めるとまた同じ流れになるのでやめておきますが、Nazkiさんにとって「総合的に考えればそうなるのが当たり前だ」ということが、私にとって、他の方にとっても常に同じであるとは限らないということに注意していただきたいと思います。だから論点の抽出というのが必要なのですよ--Kyoku 2008年8月2日 (土) 16:33 (UTC)
- また曲解してる。「Aは総合的に考えてCだからCなのだ」なんて誰も言ってないです。私が言ってるのは「AでありBでありCである問題を、Aだけで考えないで下さい」ということです。BもCも同等に重要なんであって、それらを鑑みて下さいってことです。具体的に言うなら、役満貫と役満の古い新しいの問題もちゃんと考えて下さいってこと。調べに来た初心者を混乱させる可能性があるってことも考慮に入れて下さいってこと。これらの観点にはKyokuさんは全くノータッチではないですか。--Nazki rhetorica 2008年8月2日 (土) 19:43 (UTC)
- はあ、やっぱり人の話を全く読んでいないのですね。古い新しいの話は項目名でどうこうする話ではなく本文でちゃんと説明すべきだと何度も何度も言っているつもりだったのですが。本文になにもなく、ただ項目名を「役満貫」から「役満」に変えるだけでは初心者の混乱の可能性は下がりませんし、それに中級者や上級者にとって有益な話を隠す理由が全く説明されていません。
- しかし、もういいです。ここはそういう話題の場ではないはずです。Leftyleftyさんが置いてきぼりになっていることに気付いていますか? あなたの論点を抽出しようとしている所で、あなたはそれに協力しようともせず、それどころか自分と反対の意見をろくに読まずに曲解曲解と言い立てて、どう曲解しているのかは全く説明しようともしない。私は論点をはっきりさせてから論理的に話したいと思っているのに、その意図が全くないのではそもそも無理です。論理的な議論ではなく、ただの直感的で感情的な言い合いをお望みなら、それはここでやるべきではないですし、私もお付き合いしたくありません。--Kyoku 2008年8月3日 (日) 02:26 (UTC)
- (曲解と(2)の問題について)
- 本文でどうするかについては「役満貫という語の使用状況について何らかの一文を書き足す[1]」ということで一応の決着がついた問題じゃなかったんですか。私はあの時「そんなことまで書く必要は感じないがそこまで危惧されるのであれば書く」と言ったはずです。Kyokuさんはその前半部分だけ切り取って「書く必要を感じない、ということは書かない、ということは書いてはいけない」と勝手に解釈してます。私が曲解だと言っているのはそういう点です。書いてはいけないなんて誰も言ってないんです。そしてそういう曲解で導かれた結論を前提に話を蒸し返すからややこしくなる。結局のところ(1)については出典が出され、(2)についても既に解決の出口に至っていたはずなのに、そういうことするから皆がおいてけぼりになるんです。
- (論点の移行について)
- 次、「その意図が全くない」と仰いますが、Kyokuさんの抽出した論点では話が平行線なってしまったではないですか。だから私は次の議題に移ろうと言ったし、そのために新たな節#言葉が移り変わったと言えるか否かを作ったんです。Kyokuさんにも再三にわたって「AでありBでありCである問題をAだけで考えないで下さい、Aだけで判断するのは適切ではないんだから、BやCについても考えて下さい」と申し上げたはずです。なのにKyokuさんは「AならばDだろう、ということはEが論点だ」の一点張りです。しかもEの話をすると結局は解釈論争に至るので埒が明かない。Leftyleftyさんが「あまりにも議論が見えづらい」と仰っているのもこの点なんじゃないですか? AとBとCについての話のはずなのに、Eが論点になっている。だから私は原点に戻ってBとCについても考えてみて下さいって言ってるんです。(B)役満貫と役満の古い新しいの問題や、(C)初心者を混乱させる可能性について考えれば、そこから解決の糸口はつかめるんじゃないですかってこと。いくらKyokuさんが『総合的に考えて「役満貫」が適切であると考えています』と仰られても、BとCについてノータッチでは総合的に考えたとは言えないんじゃないですかってことです。--Nazki rhetorica 2008年8月3日 (日) 10:27 (UTC)
- ツッコみ所満載だが、もういちいち指摘しない。だがこれだけは許し難い。
- >古い新しいの話は項目名でどうこうする話ではなく本文でちゃんと説明すべきだ
- まさに直前でBとCについての意見を直接言っているのに、それすら無視して『BとCについてノータッチ』だって? 本当に何も読んでいないのか? それとも、自分と反対の意見があったら無視するのか。反論もせずただ無かったことにして、挙げ句そのことを考えてないと非難するのか。ふざけるな。人をバカにするのもいい加減にしろ。
- 他の方々へ>今度こそ、もうこの議論からは手を引くことにします。何を言っても勝手に「なかったこと」にされてしまうのでは会話が成り立ちませんし、もうどうしていいかわからないので。本当は色々言いたいことはあるのですが、これ以上結論の出得ない言い争いをしても邪魔になるだけでしょう。ご迷惑をおかけしました。冷静で論理的な議論の元で、良識的な結論が出ることを期待します。私にはもう冷静な議論は多分無理です。--Kyoku 2008年8月3日 (日) 11:23 (UTC)
- 最後まで噛み合わず、か。仕方がない。閉じます。--Nazki rhetorica 2008年8月3日 (日) 13:24 (UTC)
(インデント戻し)提案者並びに反対意見表明者が双方閉じるという判断のようですので、一度提案閉じます。今後、別の進め方や提案要旨で改名を行いたいという意見が出た時点で仕切り直しましょう。--Springtide 2008年8月11日 (月) 08:49 (UTC)
- いえ、不毛な言い合いを閉じたのであって、提案自体を閉じたつもりはないです。ゲンナリして放置してましたけどね。呼ばれればいつでも参上しますよ。--Nazki rhetorica 2008年8月11日 (月) 17:16 (UTC)
- この議論の経緯を前提にしなければいけないとするとまた同じ事で紛糾すると思いますので「議論を他の方に任せる」もしくは「提案軸を一回放棄する」という考え方もあると思います。--Springtide 2008年8月11日 (月) 17:56 (UTC)
- 同じ事で紛糾なんてことにはならないと思います。紛糾したのは途中から「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」みたいなことになったせいであって、議論自体は決着がついているんじゃないでしょうか(使用状況について何らかの一文を書き足すという結論で双方合意が取れている)。むしろ議論されるべきは「#言葉が移り変わったと言えるか否か」なのでは。「役満貫=役満」なのか「役満貫≠役満」なのかにかかわらず、役満貫から役満へ言葉が移り変わったと言えるのなら改名、移り変わったとは言えないのなら記事名は役満貫のまま、ということになるのではないでしょうか。--Nazki rhetorica 2008年8月21日 (木) 14:59 (UTC)
- 感情論になっていたのならば尚更出直すべきです。感情論の議論を前提にしなければいけないこの進め方ではおいそれと賛成できません。「○○の部分は破棄します。あらためて、××の理由で改名提案します。」としっかり議論を進めてもらえませんか?--Springtide 2008年8月29日 (金) 12:30 (UTC)
確認事項
- もし、『「役満」と「役満貫」に、省略形・非省略形であること以外の意味上の違いがない』のであれば、Wikipedia:記事名の付け方に従うと、記事名として適切なのは「役満貫」である。
ということをとりあえず確認したいのですが、どうでしょうか。--Kyoku 2008年7月23日 (水) 16:30 (UTC)
- 省略・非省略の軸のみで捉えるのは不十分であり適切ではないと申し上げております。かつ、両者の意味上の違いについてもまだ決着がついていない。ですからこの段階で「もし」の話をするのはナンセンスです。先走らないで頂きたい。--Nazki rhetorica 2008年7月23日 (水) 20:12 (UTC)
- まず、記事名の付け方を誤認識されているように見受けられます。記事名の大前提は「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」です。--Springtide 2008年7月24日 (木) 06:27 (UTC)
- 大前提については全くその通りだと思いますが、その具体的な取り決めとしてWikipedia:記事名の付け方があるのだと思います。そこで、「よく使われる省略語」vs「あまり使われない非省略語」というよくありそうな対立について「あまり使われない非省略語」を優先しましょう、という最大公約数的な取り決めがWikipedia:記事名の付け方#正式な名称を使うこと、であると理解していて、そのことを確認したかったのですが、Springtideさんがこの決まりが「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」という原則に反すると主張されるということであるのならば、それはWikipedia全体の方針の問題であって、このノートの範囲を超えます。そういうことであればWikipedia‐ノート:記事名の付け方に場所を移そうと思うのですが、いかがでしょうか--Kyoku 2008年7月24日 (木) 10:55 (UTC)
- ガイドラインでいう「非省略語」というのは「曖昧にならない」のが前提です。今回は「役満貫」にすると曖昧さが出てくる、正確な意味での省略語という関係にならないのではと思うのですが、いかがでしょう。--Springtide 2008年7月25日 (金) 03:42 (UTC)
- もう一つKyokuさんと観点が違う部分がありますね。「役満貫は古語である」とするならば、省略、非省略の議論も成り立たなくなります。--Springtide 2008年7月25日 (金) 03:48 (UTC)
- すみません、意図が正しく伝わっていなかったようです。『「役満」と「役満貫」に、省略形・非省略形であること以外の意味上の違い』があるかどうかについてはもちろん議論の余地があると思っていますし、まさに今そこが争点になっているわけですが、ここで確認したいのはそのことではありません。
- 仮に、議論の結果、『「役満」と「役満貫」に、省略形・非省略形であること以外の意味上の違いがない』と言う結論になった場合(仮にですよ)、その場合には、方針から自動的に記事名は「役満貫」になりますよね、ということを確認したかったのです。要するに方針には従うんですよね、ということの確認です。それ以上のことを確認しようとしているのではありません。ご理解頂けましたでしょうか--Kyoku 2008年7月25日 (金) 09:14 (UTC)
- もし略称であり、曖昧でもなければ、自動的にそうなると思います。
- この決まりが「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」という原則に反することはありそうですので、「略称だが曖昧である場合」まで考慮してみます。曖昧さの回避についてはWikipedia:記事名の付け方#記事名の重複を回避する手段、Wikipedia:曖昧さ回避あたりを参考にすると、この場合の記事名はせいぜい「役満貫 (○○)」にするのが妥当のようですが、○○の中身は、理解しやすいものが思いつきませんでした。
- あえて略称を記事名にしている前例があるのなら、「役満」という選択肢もゼロではないのでしょうか。あまり野球は詳しくないのですが、犠打とか?
- あくまで、もし、の話です。--ぽえこ 2008年7月25日 (金) 16:23 (UTC)
- 犠打は公認野球規則上の用語ですから、「正式名称」ですね。--Kyoku 2008年7月27日 (日) 06:17 (UTC)
- なるほど、そういう位置付けでしたか。麻雀用語にも「正式名称」やそれに準ずるものがあればいいんですけどね。。。--ぽえこ 2008年7月27日 (日) 06:26 (UTC)
- 犠打は公認野球規則上の用語ですから、「正式名称」ですね。--Kyoku 2008年7月27日 (日) 06:17 (UTC)
- 意図を理解しました。その結論に至った場合、記事名は役満貫になるでしょう。--Springtide 2008年7月27日 (日) 00:43 (UTC)
- 一点気になるので述べます。「古い新しい」という部分についてはNazki rhetoricaさんが詳細に述べておられるのですが「そもそも省略形なのか」について出典がある、もしくはその点調べてみた結果がどこかにあるのでしょうか?どうも先入観だけで議論が進行してしまったように見受けられます。--Springtide 2008年8月1日 (金) 02:37 (UTC)
- 辞典(広辞苑と大辞林)では役満貫で項目が立てられていて、役満は「役満貫に同じ」になっているという報告が前の方にありました。「省略形である」ということの出典としては十分ではないでしょうか。また、これは「役満貫」と「役満」という言葉の関係について明示的に述べた唯2つだけの出典でもあります(今まで示された中では)。他のものはあくまで個々の使用例で、それを集めてどのような意味合いで使われているかということの判断が必要とされる一段階弱い出典です。--Kyoku 2008年8月1日 (金) 12:34 (UTC)
- #文献資料で挙げた『平成版 麻雀新報知ルール』中に、「そもそも計算の打ち切り限度額を満貫といい、その役一つだけで満貫になるものを、"役満貫"と呼んだのです。その後、点数全体が大幅にアップし、役満の値段も4倍満に定められました」という記述があります。これも役満と役満貫について明示的に述べた典拠と考えてよろしいか思いますがいかがでしょうか。--Nazki rhetorica 2008年8月2日 (土) 04:39 (UTC)
- 先ほどの書き込みでは、言葉の関係を明示的に述べている、というのは「役満は~で、役満貫は~で、両者の違いは~である」という風にハッキリ書いてあるもの、という意味のつもりで使いました。
- その文献の引用部では「言葉の関係」は明記してないですね。役満貫が役満の略であるということは前提としているのか、見ればわかると言うことなのか、それとも全くの別語として紹介しているのか。””で括っているのは別語であることの強調なのか、陽に「満貫」が入っている非省略形を説明のために敢えて使いましたという強調なのか。色々解釈の余地があります。一つの文章の中で両方の表現を使っているという意味では、他の単独の使用例よりは強い出典だとは思いますが、意味の関係を明示的に書いているかというとちょっと違うと思います。前後の文脈も含めるとまた違うのかもしれませんが。--Kyoku 2008年8月2日 (土) 11:29 (UTC)
- なぜ"役満貫"と強調符がついているのか、ですか。そうですね、「"役満貫"と呼んだのです」という過去形の述部になっていることを考えれば、「過去の言い方である」という意味で強調符がついているように見えます。というか普通に考えればそういうふうにしか受け取れません。少なくとも私には。どうですか?--Nazki rhetorica 2008年8月2日 (土) 13:33 (UTC)
- どうもこうもなく、上に書いた通り色々な取り方があると思いますし、少なくともいつ誰がどのように読んでも一切曖昧さのない記述であるとは思えません。だから辞書に比べると弱い出典ですね、というだけのことです。元からどの解釈が正しいかとか、どう解釈するのが正しいかという話ではありません。--Kyoku 2008年8月2日 (土) 16:33 (UTC)
- どうもこうもないじゃ話にならんでしょ。少なくともこの文献のこの引用部は役満貫と役満を古い新しいの関係で明示的に説明しています。しかも辞書よりも数段詳しく。その点についてはどうなんですか。専門家の手によるこの一文まで「使えない」と判断するのですか。だとしたら話が進まないどころか何もできませんよ。--Nazki rhetorica 2008年8月2日 (土) 19:43 (UTC)
- 残念ながら、強さという上で「辞書と専門書」のどちらを取るかと言えば専門書でしょう。「ルールブック」を否定されたら何もできません。--Springtide 2008年8月2日 (土) 20:02 (UTC)
- >Nazkiさん
- 何を言っているのですか?私は記述が辞書ほど明確でハッキリしているわけではないよね、と言っているだけです。出典として使えないとは一言も言っていません。曲解しているのはどっちですか。いい加減に人の話も読むようにして下さい。
- >Springtideさん
- それはもちろんその通りです。今問題にしているのは記述の表現のされ方で、「役満は~で、役満貫は~で、両者の違いは~である」とまで陽にはっきり書いてあるのはまだ辞書くらいしかない(辞書は違いの部分については「同じ」と書いてあるわけですけど)ですね、と言っているだけです。「何に書かれているか」は重要ですが今の話題ではありません。--Kyoku 2008年8月3日 (日) 02:00 (UTC)
- 客観的に見ても「そもそも計算の打ち切り限度額を満貫といい、その役一つだけで満貫になるものを、"役満貫"と呼んだのです。」という文はまさしく役満貫の定義表現、だと思いますよ。--Springtide 2008年8月5日 (火) 14:59 (UTC)
(インデント戻します)上のほうで犠打を例にしましたが、ほかにも地下鉄(地下鉄道への改名は反対多数で改名されず)やテレビ(テレビジョンから改名された)など、略称であっても記事名にできるケースは存在するようです。参考までに。--ぽえこ 2008年8月13日 (水) 13:25 (UTC)
言葉が移り変わったと言えるか否か
これは既にSpringtideさんから1ヶ月前にご指摘を頂いている点ですが[2]、言葉が移り変わったと判断していいか否かという点は等閑にすべきではない論点ですので(というかこの問題の核心となる論点ですので)、改めて確認をしておきたいと思います。まず、役満と役満貫には「省略形 - 非省略形」という軸の他に「新称 - 古称」という軸があります。「現代語 - 古語」「現代的言葉使い - 古い言葉使い」でも構いません。古称のほうも現在依然として一部で使われているという状況ですが、もはやほとんどの場面で「役満」が使用される今、言葉は移り変わったと言ってよいと思います。この点を鑑みれば、正称か略称かだけで判断を下すのは不十分だと思いますし、記事名が役満貫なのもやはり不自然と言わざるを得ません。言ってみれば、国士無双の記事名が「十三么九」になっているようなものです。この点に関して、皆様のご見解はいかがでしょうか。--Nazki rhetorica 2008年7月27日 (日) 02:36 (UTC)
- こんな話をしたらややこしくなるのかな。ちょっと覚悟しながら質問してみます。
- 「跳満貫」、まぁ「倍満貫」などでもいいのですが、これらはどうなっているのでしょうか。一般的には「跳満」「倍満」と呼ばれますが、これらは「省略形 - 非省略形」という軸の他に「新称 - 古称」という軸があるのでしょうか。そして、下に書かれている「文献」ではどのように使い分けらけているのでしょうか。--ぽえこ 2008年7月27日 (日) 06:33 (UTC)
- 「跳満貫」も「倍満貫」も「現在では使われなくなりつつある古い言い回し」と言って良いと思います。なので「省略形 - 非省略形」であるとともに「新称 - 古称」でもあると捉えるのが自然でしょう。下の文献資料では、栗原安行『カラー版 麻雀教室 初歩から実戦まで』など役満と役満貫が混在している資料では同じように倍満と倍満貫・跳満と跳満貫が混在してますが、役満貫を使っていない資料では倍満貫も跳満貫も使われていません。『平成版 麻雀新報知ルール』や『麻雀いっぱつ読本』ではすべて跳満・倍満・役満に統一されています。--Nazki rhetorica 2008年7月28日 (月) 15:26 (UTC)
文献資料
役満と役満貫の使用状況として参考になれば。私の手元にある資料を挙げておきます。書籍のみです。マンガは含みません。区分内の各資料は時代の古い順に並んでます。
- 主に役満貫を使っているもの
- (役満貫しか使っていない資料=役満が使われていない資料は、今のところ手元にありません)
- 役満と役満貫を両方使っているもの
- 吉行淳之介『麻雀好日』1977年(昭和52年)発行、毎日新聞社、ISBNがないが裏表紙に「0095-500388-7904」という文字列あり、区分:随筆・エッセイ
- エッセイなので役満について触れている箇所が随所に見られるが、「役満」を多く使っている中、「役満貫」のほうも使われている(p9、p43、p69、p73など)。
- あとがきによると、毎日新聞の朝刊のコラムとして一年間連載されたものを1冊の本にまとめたものだとのこと。
- 栗原安行『カラー版 麻雀教室 初歩から実戦まで』1986年(昭和61年)発行、日東書院、ISBN4-528-00436-4 C2076、区分:入門書・ルールブック
- p132、第5章「役満のいろいろ」の冒頭に「役満貫について」という箇所があり、役満の定義を説明している。ただしこれは役満と役満貫の違いについての説明ではなく、あくまで役満貫(=役満)の説明。この書籍は役満と役満貫を同義で使っている。なお、役満の値段を親36000・子24000としており、4倍の大きさにしている場合もある、という書き方をしている。つまり昭和61年の発行にしては古い定義を用いている。
- 役満を使い、役満貫を使っていないもの
- 小島武夫『負けない麻雀』1969年(昭和44年)発行、日本文芸社、ISBNがない、区分:戦術書
- p187など。
- 小島武夫『小島の麻雀道場』1974年(昭和49年)発行、池田書店、ISBNがないが替わりに「0276-034104-0316」とある、区分:問題集
- p104~p106で「役満」のほうを使っている。
- 大隈秀夫『マージャン金言集 敵に差をつける「読み」と「カン」』1974年(昭和49年)発行、光文社KAPPA BOOKS、ISBNがないが替わりに「(分)0-2-76(製)00307(出)2271」とある、区分:戦術書、手元にあるのは昭和52年の第20版
- p56~p64に役満について触れている箇所があり、そこでは役満貫が一切使われず全て役満となっている。
- 著者の大隈秀夫は、裏表紙の<著者略歴>によると、大正十一年、佐賀生まれ。東大文学部から九大法文学部卒。新聞記者をへて現在、評論家。昭和四十六年、第二期マージャン名人位を獲得。著書に、『新中国の裏通り』、『明治百年の政治家』、『にっぽん再発見』など となっている。下の「新報知ルール制定委員」にも名を連ねている。
- 報知新聞社『平成版 麻雀新報知ルール ―Q&A付―』1997年(平成9年)発行、報知新聞社、ISBN4-8319-0118-4 C2076、区分:ルールブック
- p75に、そもそも計算の打ち切り限度額を満貫といい、その役一つだけで満貫になるものを、"役満貫"と呼んだのです。その後、点数全体が大幅にアップし、役満の値段も4倍満に定められました という記述がある(役満貫についている強調符" "はママ)。この箇所以外は「役満貫」という語は使われておらず、すべて「役満」に統一されている。
- 冒頭p4に、平成版・麻雀新報知ルール制定委員として、大沢啓二(日本プロ野球OB会会長)、大隈秀夫(評論家・作家)、安部譲二(作家)、植島啓司(関西大学教授)、森光子(女優)、長門裕之(俳優)、笈田敏夫(歌手)、二上達也(日本将棋連盟会長)、石田芳夫(囲碁棋士9段)、安藤統男(野球評論家)、青木博(全国麻雀業組合総連合会理事長)、灘麻太郎(日本プロ麻雀連盟会長)、古川凱章(麻雀評論家)、井出洋介(日本健康麻雀協会代表)、の14名の名前が書かれている。
- 宝島社『麻雀いっぱつ読本』1997年(平成9年)発行、宝島社、別冊宝島309、ISBN4-7966-9309-2、区分:ムック、著者多数
- 役満貫の語が一切出てこない
とりあえずは以上です。他にも書籍はありますが、長くなるので7点だけ。ちゃんと文献というコマンドは使えますんで。--Nazki rhetorica 2008年6月27日 (金) 14:13 (UTC) すいません1個だけ追加--Nazki rhetorica 2008年6月27日 (金) 14:28 (UTC)
成立しやすい役満の順位
コメントアウトされている「成立しやすい役満の順位」について。こんな統計?があるにはあります。Flying Again?というサイトで役満集計(東風荘25週間分)として、約6.5万回の役満和了の内訳が載せられています。コメントアウトされている部分については、少なくとも東風荘における役満発生の多い順とは一致しているようです。一応、みつけたので報告まで。--ぽえこ 2008年8月1日 (金) 12:45 (UTC)
- 統計は他にも色々あるみたいですね[3][4][5]。ある程度の傾向はあると思いますが、ルールやプレイヤー層で微妙に違うみたいなので(四暗刻と国士が逆転したりしてますね)、ここに確定したランキングとして載せちゃうのはやっぱりまずいような--Kyoku 2008年8月1日 (金) 13:15 (UTC)
- お気づきの通り、ルールなどの違いによって数字が変わるでしょうし、誤差のようなものもあるのかもしれませんね。このほかにも統計などが見つかるかもしれませんが、ルールなどが多少違っていても共通する傾向がありそうで興味深いし、ランキングとは違うカタチでなら利用できるのかもしれませんね。--ぽえこ 2008年8月1日 (金) 13:45 (UTC)