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ノート:後藤英一

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編集の理由説明

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1.まず後藤氏は物理学者です。 そしてコンピュータはその頃まだ日本になかった新しい分野として、物理学の素養に立って研究したものです。 とにかく宇宙であれ生物であれ、新しいことに興味を抱き、それを究めたくなるのは物理屋の習性です。 ですから彼はやはり、まず物理学者であると認識されることを望んでいたと思われますので最初にそれを明記しました。 実際、モノポールの探索は物理学としてとても佳い仕事であったと思います。

2. 学歴ではまず、彼は旧制の東京大学の卒業生です。 1953年は制度の切替時にあたり、旧制の最後の学生と新制の第1回生とが同時に卒業しました。 そこで学歴に卒業年度だけでなく、旧制と明記することは意味のあることです。 そして彼はそのまま旧制の大学院に進みましたので、1958年に修了したのも新制の大学院(数物系研究課程)ではなく、旧制の理学部大学院であった筈です。 大学院入学時に旧制大学院に入学したことは間違いありませんが、修了時もそうであったことは確認しておりませんので、もし機会がありましたらご確認ください。 Midz 2006年8月8日 (火) 05:37 (UTC)[返信]

略歴欄編集

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  •  大学院「博士課程」修了というのは事実に反すると思いますので、修正しました。 旧制大学院の制度については、後藤氏の東大物理での同級生である「有馬朗人」の記事のノート欄を参考にして下さい。Midz 2007年7月25日 (水) 08:03 (UTC)[返信]

revert しました

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直前の編集が記事の価値を低めると思いましたのでrevertしました。 114.156.36.32さんは、ウィキペディアの人物記事には評価や人柄を示す文章は書くべきでないとでもいうような独特の主張をお持ちのようで、多くの記事で文章の刈り込みをして回られてますが、当該ノートに何の説明も残していないのは不当だと思います。 ポジティブな寄与なしにただ削るだけ、というのはあまりに安易な姿勢です。 もしも刈り込みをするのであれば、その記事のノートに当否を問うて同意を得てからにして下さい。 それからこのような編集をするときはIPユーザーとしてではなく、まずは名前を取得して責任のある形で編集して下さい。--Midz 2009年5月14日 (木) 08:00 (UTC)[返信]