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ノート:御前原城

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独自研究の虞

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塩谷頼安関連の記述に問題があります。「系譜に無い塩谷頼安」の指摘だけならは問題ありませんが、彼に比定される人物を系譜から探し出そうとするなら、その考証を行っている出典が提示されなければなりません。「考えられている」としますが、誰が考えているのでしょうか。参考文献の2冊(矢板市史・矢板のあゆみ)には全くそんなことは触れられていません。当然、候補とされた5名を頼安として妥当か判断する考証部分も、この評価を行っている出典が提示されず、執筆者自身の考証の可能性があります。なお、インターネット上には同様の考証を行っているブログがありますが、あくまで一般人のブログ主の考証であり、検証可能性を満たしません。検証可能性を満たす出典が無い以上、この考証部分は独自研究となってしまいます。--KurmUmy 2009年8月30日 (日) 09:24 (UTC)[返信]

歴代城主の表の問題

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独自研究とも関わりますが、築城者は塩谷頼安と決まったわけではありませんので、城主として塩谷頼安を確定してしまう歴代城主の表は不適当と考えます。岡本家は問題ないのですが、それ以前を示せないので岡本氏だけの表になってしまい(堀江氏時代と藤姓塩谷氏時代は不詳)、歴代城主として示さなくてよいと思います。岡本氏しかない表であれば歴史節で十分でしょう。--KurmUmy 2009年8月30日 (日) 09:24 (UTC)[返信]

差し戻し理由について

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まず上記の「独自研究の虞」節で指摘した部分の{{出典の明記}}が出典追加や具体的出典名の指摘なく消され、また築城の正安3年説が有力とする文献が出ていないのに要出典が消されたため、差し戻しました。

また「塩谷郡衙が当地にあり、堀江山城を居城として塩谷郡を支配し、のちに郡衙の老朽化が激しくなり、また城郭化の必要性にも迫られ、郡衙を改修する形で御前原城が誕生したと考えられている」に対しての追加出典(『矢板市史』『栃木県史』『ふるさと矢板のあゆみ』など)ですが、問題があります。まず「堀江山城を居城として塩谷郡を支配」とみなすのは『ふるさと矢板のあゆみ』(1989年)です。それより以前の刊行たる『矢板市史』『栃木県史』は堀江山城を居城とみなしません。なのでこの文章の出典として3つがまとめて並ぶのは不適当です。御前原城の地が塩谷郡衙だったことは全てで指摘されていますが。また「郡衙を改修する形で御前原城が誕生したと考えられている」とのことですが、『矢板市史』『ふるさと矢板のあゆみ』では郡衙改修について触れられていません。脚注を文中にするか、文章を変えるかなどすべきでしょう。--KurmUmy 2009年10月15日 (木) 03:32 (UTC)[返信]