ノート:復古カトリック教会
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正確性タグ・中立的観点タグ
[編集]本記事「沿革・特徴」節の第2段落、
復古カトリック教会が聖伝として認めるのは、8世紀以前のものに限定している。ローマ教会の伝承、教皇首位、教皇不可謬、聖母マリアの無原罪懐胎、司祭の独身制を認めず、免償、聖人崇敬、巡礼を否定。聖日の聖体拝領、断食を義務付けない。聖書を読む事を推奨し、典礼も各国語によるものを認める。
という記述は、ローマ・カトリック側の視点において認め難い差異をことさら強調しており、非正統・異端的であるという印象を強く与え、読者の誤解を招きやすいと思われます。英語版とドイツ語版を見ると、本記事のような「~を認めず」「~を否定」という断言は一面的に過ぎ、実際にはローマ・カトリックの伝統を部分的に継承しつつ、中道的な改革路線を目指していることが見て取れます。すなわち、そもそも出典として挙げられている『キリスト教大事典 改訂新版』に、理解不足・中立的観点の欠如があるものと思われます。
いずれにしても、ドイツ語版・英語版に比べて内容が著しく空疎・断片的であるので、両者を参照して加筆修正か、いっそ両者の翻訳を折衷した抜本的書き換えの必要性を覚えます。--Obendorf(会話) 2014年3月7日 (金) 21:29 (UTC)
- 内容が貧弱、空疎という点は、かなり加筆した私が申すのも何ですが、返す言葉もありません。加筆修正されるのでしたら総論としては反対しません、むしろお願いします。
- ただ、
- 「非正統・異端的であるという印象を強く与え」
- について、そして中立的観点タグには異議があります。
- どうもObendorfさんは「ローマカトリックとの差異が列挙されることは、異端的という印象を強く与える」とお考えのようですが(しかしそれでは「プロテスタント的」な要素が挙げられたら異端的という印象を強く与える、のでしょうか?)…
- 「ローマ教会の伝承、教皇首位、教皇不可謬、聖母マリアの無原罪懐胎、司祭の独身制を認めず、免償、聖人崇敬、巡礼を否定。聖日の聖体拝領、断食を義務付けない。」のうち、正教会や聖公会は「教皇首位、教皇不可謬、聖母マリアの無原罪懐胎を認めず。司祭は妻帯可。免償を否定。」です。つまり該当既述の半分は、正教会、聖公会にも共通する要素です。
- 該当する記述を見て「殊更に差異を強調」とは全く思えず、「復古カトリックの運動の出発点からして当然の帰結だろう」以上のことは私には思えません。
- さらに、ローマ・カトリックの伝統を部分的に継承しつつ、中道的な改革路線を目指していると仰いますが、それは「三職位制の維持」「8世紀以前の聖伝は認める」という現状の記述でも分かることです。これは、所謂「プロテスタント的」要素では有り得ませんし、「発祥からして、なるほど、ローマカトリックの要素が残って居るのだな」と理解出来ます。
- むしろ、Obendorfさんの御理解(ローマカトリックとの差異の列挙は「異端的」という印象)のままに加筆を進められますと、バランスが崩れるのではないかと危惧します(正直首を傾げました、差異が多ければ異端的と仰るのなら、プロテスタントは完全に「異端的」ということになってしまいます)。
- そういうわけで、中立的観点タグの貼付には納得いきません。出来れば外して頂きたく思います。--Kinno Angel(会話) 2014年3月8日 (土) 03:25 (UTC)
- 今気付いたのですが、Obendorfさんは聖公会の信者でいらっしゃいますね?復古カトリック教会の「ローマカトリックとの違いとしての諸特徴」の大半は、聖公会にも殆ど当て嵌まって居ます。さらに聖公会は復古カトリック教会とインターコミュニオン関係にあります[1]。
- その「復古カトリックとローマカトリックの違い」を事実通りに列挙したら「異端的という印象を強く与える」として「中立的観点」タグを貼られるというのには、正直驚きしかありません。
- 「正教会は無原罪懐胎を認めない」と書いたら「正教会は異端的という印象を強く与える」事になるのですか?
- 「聖公会は教皇首位権を認めない」と書いたら「聖公会は異端的という印象を強く与える」事になるのですか?
- エキュメニズムへの取り組みについて別途節を設けるなどして書かれるのはむしろお願いしたいところですが、基本的な違いを列挙する事が「異端的という印象を与える」との御意見には、承服できませんし、あらぬ疑いをかけられて愉快ではありません。--Kinno Angel(会話) 2014年3月8日 (土) 03:36 (UTC)
- Kinno Angelさま 不愉快な思いをさせてしまいまして申し訳ございません。個人攻撃をするようなつもりは毛頭無く、過去の加筆編集を一読者として大変感謝しております。
- 出典の『キリスト教大事典 改訂新版』について未見のため断言できませんが、中立性に問題があるとすれば、恐らくその出典の問題でしょう。
- 憶測に過ぎませんが、出典の記事の執筆者はローマ・カトリックの関係者か、その関係から知り得た知識で執筆しているように思われます。
- ローマ・カトリックの立場からすれば、近代になって袂を別った復古カトリックは、近親嫌悪というか、もはや別物として安定した観のあるプロテスタント以上におもしろくない(異端的に思える)存在であるのは必然的です。
- 個人的な心情を述べると、聖公会のうちでも伝統志向の強いハイチャーチストにとっては、実際にはローマ・カトリックとの共通点・西方教会の聖伝を受け継いでいる要素・ともすれば現代のローマ・カトリック以上に古い伝統を受け継いでいる部分が多分にあり、使徒継承・公同の教会を自認する聖公会について、ローマ・カトリックの立場から殊更に差異、プロテスタント的側面を強調されることはおもしろくありません。
- 聖公会のハイチャーチと極めて近い復古カトリックの立場としても、「カトリック」を自称する教会であるのに、「カトリック的でない」要素を強調するのは偏向的と捉えることでしょう。
- 「ローマ教会の伝承…を認めず」→「聖伝は8世紀以前に限定」では神学面以外の具体的様式の「聖伝的」構築はできるはずがなく、実際には、聖堂や祭服、典礼などの様式は中近世のカトリックとほとんど共通している。
- 「教皇首位…を認めず」→組織の上でローマ聖座の監督権に服さないだけで、教皇の首座使徒座たる霊的権威の至高性までは否定していない。
- 「司祭の独身制を認めず」「聖人崇敬、巡礼を否定」→「義務づけない」が正確。修道司祭は独身を守るし、ことに聖人の概念は確として残っており、最も誤謬と言ってよい記述。「聖人崇敬…を否定」と記すと、聖人の祝日や聖堂の聖人名の習慣を残すルーテル以上にラディカル・プロテスタンティックな、すなわちローマ・カトリックをはじめとする伝統教派にとって相容れ難い異質な印象を与える。
- といった点について、具体的に問題意識を持つ所存です。
- 同じ事実を述べたことでも、例えば「司祭の独身制を認めない」と「司祭は妻帯可」という記述では、大きく印象が変わりますし、前者は捉えようでは「司祭が宗教的信念のもとに独身童貞を貫くという主義を教義上認めず否定する」という風にも読めてしまい、そうなれば事実と異なる誤謬となります。そのように現状は「事実どおりに列挙」では決してないのです。おおかた事実であっても、記述の仕方次第で(意図せずしても)偏向的になってしまうことが往々にしてあります。ことに短い文章量では、些細な言葉選びでも誤解を招かないよう慎重を期すべき課題であろうと思われます。
- と、問題意識ばかり口うるさく述べたものの、私自身が今すぐ翻訳だの大幅加筆だのを行う実行力はありません。懸案事項として問題提起しておき、現状を当面維持したまま善後策として、読者に記事の不完全性を示すタグを載せておく必要性を感ずる所存です。記事の改善につき、Kinno Angelさんには是非お力添えと意識共有を賜りたく存じます。引き続き、より良い道筋を共に模索してまいりましょう。よろしくお願いいたします。--Obendorf(会話) 2014年3月8日 (土) 18:00 (UTC)
- コメント Obendorfさんへ。
- Obendorfさんの意図につき、完全に早とちりして明後日の方向への反発を含む批判をしてしまいました事を恥じ、率直にお詫び申し上げます。おゆるし下さい。
- 仰るような内容でしたら、「成程」と全て納得いくものです。私の認識不足についてもお詫び申し上げます。
- なお「私自身が今すぐ翻訳だの大幅加筆だのを行う実行力はありません」と仰いますが、「教皇の首座使徒座たる霊的権威の至高性までは否定していない」「妻帯可能」関連については、もし仰る通りだとすれば、比較的容易に英語でも何でも文献は見付かるのではないでしょうか。その方向性での少々の修正は、(他人任せになってしまい大変恐縮ですが)すぐにでもお願いしたい位で、全く異議の無いところです。--Kinno Angel(会話) 2014年3月9日 (日) 13:22 (UTC)