ノート:徳川宗春
この記事は2021年8月9日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、版指定削除となりました。 |
「生涯」の項目において、生い立ち、功績、政策などにわけたほうがいいかと思いますがいかがでしょうか。内容が整理されていないような気がしないもでないですが、いかがでしょうか。賛否ご意見ありましたらよろしくお願いします。--KotobukiTsukasa 2007年2月11日 (日) 05:42 (UTC)
「非道は吉宗の悪気本性である。」という文章は削除させていただきました
[編集]「しかし吉宗自身が隠居謹慎の命を出し死後80年間墓石に金網で縛りつけておいた非道は吉宗の悪気本性である。」という書き込みがありましたが、これは個人的感想です。金網があったという史的記録はありませんので、削除させていただきました。----OshoUFO 2012-10-28 23:25
「宗春の敵として乗邑を悪し様に言う思慮浅い向きもあるが」という文章は削除させていただきました
[編集]注記に「宗春の 敵として乗邑を悪し様に言う思慮浅い向きもあるが」という記述された方がありましたが、これは個人的な感想ですので削除しました。乗邑に関しては、徳川実記の中にも専横があった旨が記されていますし、あまりの厳しい取り立てがおこなわれ各地で一揆が続発したために朝廷から厳しい諫言があったほどです。乗邑は病をおしてまで仕事をするほど生真面目でしたが、それゆえにその生真面目についていけないものの気持ちがわからなかったと考えられます。だからこそ乗邑の役宅が放火されたり、乗邑の意を受けた米問屋が打ち壊しにあったり、彼に関する厳しい川柳や狂歌が残されています。-OshoUFO 2014-02-26 19:40
「松平乗邑は吉宗の後継として、聡明で知られた吉宗次男の田安宗武の擁立を画策していたとされ、結局吉宗の意を受けて相続した長男である家重に疎まれ、失脚した。即ちこの失脚は、宗春とは関係がない。」の典拠不明のために削除しました
[編集]通説であり、具体的な典拠がある内容ではない。公式記録である徳川実記には乗邑の失脚は専横が原因であったと記されている。 -OshoUFO 2014-02-26 19:47
221.254.230.138さんが訂正された部分を元に戻します。その理由を以下に記します。
[編集]221.254.230.138さんが 2014年5月4日 (日) 15:56に訂正された部分ですが、どれだけ文献に当たられたうえでの訂正なのか、このノートに記されていませんでした。その訂正の理由と根拠がわかりませんので元に戻しました。
なぜ元に戻したかは以下に記します。
・特異 =>宗春が他の大名と比べて特異であったことです。主な政策ではありません。
・意味のある祭りを盛んにし、奨励した(例:東照宮祭・名古屋祇園祭(天王)・盆踊り 等) =>意味のあるとは、政策に限定したものではありません。玄猪の儀式など政策とは関係のないものも含まれています。
・人道に反する祭りは禁止した(例:梁川の正月の水掛け、国府宮の裸祭厄男 等) 公儀の政策とは関係がありません。あくまでも人道です。
・ファッションリーダーを自ら担った(例:申楽(能・狂言)・歌舞伎・朝鮮通信使等の衣装 等) 特異な衣装を着たのは事実で、またそれが尾張藩の着物文化に多大な影響を及ぼしたのも事実です。ですからファションリーダーでもありました。
・心を込めた贈答・饗応を大切にした(例:條々二十一箇条 等) 一部ではなく、尾張藩内では解禁でした。條々二十一箇条を読まれたでしょうか?
・マニフェストであり家訓でもある『温知政要』を執筆し、上級家臣に配布した 家訓であるのは一部であり、実質はマニフェスト(政治宣言書・誓約書)です。 --OshoUFO(会話) 2016年10月3日 (月) 03:44 (UTC)
「現名古屋市長河村たかしは河村秀根に連なる者であるか疑問である」に」反論します
[編集]現名古屋市長河村たかしは河村秀根に連なる者であるか疑問である 「士林泝芣」によれば河村秀頴の血筋は途絶えており、河村たかしが河村秀根の血縁であるとする根拠は無い。
上記指摘がありますが、松村冬樹蓬左文庫元学芸員が地図を用いて詳細に知らべた結果、河村市長の家は河村秀頴の家であることは間違いない。「士林泝芣」の編纂終了時にまだ河村秀頴は存命であり、その子孫が掲載されていないのは当然のことである。こうした中傷的な内容を述べるときは、もっと根拠の正しいものを提供していただきたい。 --OshoUFO(会話) 2016年10月3日 (月) 03:43 (UTC)
118.3.193.32 さんの日付訂正を再訂正
[編集]118.3.193.32 さんは宗春の誕生日を10月26日とされますが、なんの証拠があっての訂正なのか不明です。 注記にも記しましたが、『名古屋叢書三編』所収の「御系譜」「系譜」ともに10月28日になっています。これは原本も同じです。そのために再度訂正し直しました。 --OshoUFO(会話) 2016年10月3日 (月) 03:43 (UTC)
新修名古屋市史に対する著作権侵害の除去
[編集]2019-06-02T07:43:27 の編集の大半が新修名古屋市史「本文編」第3巻からの無断転載となっているようです。該当部の手作業による除去を行ないましたが、以降の版が汚染されているため特定版削除が妥当かと思います。追って削除依頼を提出する予定ですが、とり急ぎご連絡まで。--Kusune(会話) 2021年8月9日 (月) 03:36 (UTC)
- 対象期間の特定版削除が完了したようです。--Kusune(会話) 2021年8月17日 (火) 19:12 (UTC)