ノート:忍城
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脚注1に「従来は成田親泰の築城とされてきたが、近年の研究で成田氏系譜の誤りが判明し、親泰の祖父とされる正等の築城と考えられるようになった」とありますが、これは一部の歴史学者の方が「文明明応年間関東禅林詩文等抄録」(信濃史料第10巻)の自耕斎詩軸幷序の、“岩付左衛門丞顕泰公父故金吾、法諱正等”の顕泰の名だけで父親を成田正等、子を成田顕泰としてしまっているようです。 この全文を読んでみると、「岩付自耕」や「武州崎西郡」などの記述は出てきますが、忍城や成田氏に関する言葉は見えないようです。 その代わりに、「自得逍遥(自得は悠々自適して楽しむこと)」、越生に隠居して自得軒に住んだ太田道真と思われる「自得」の言葉が見えます。また、「平成洞下の明識月江老に参じて、新豊洞(良价大師の住した洞山:曹洞宗)の唱を聞く」など太田道真,道灌父子が中興した越生の龍穏寺2世となった月江正文の名が見えます。 これらから考えると、成田正等とするのは間違いで、岩付正等であり、太田正等とするのが正しいと思われます。この「文明明応年間関東禅林詩文等抄録」から、忍城の築城を「親泰の祖父とされる正等の築城」とすることは適切でないと考えます。 --Wifujishin(会話) 2015年3月20日 (金) 04:34 (UTC)
- とてもわかりやすく理解がしやすかったです。--114.184.190.140 2021年9月30日 (木) 00:46 (UTC)