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ノート:悪魔が来りて笛を吹く

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「あき子」の表記について

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2018年11月6日 (火) 13:52 に「あき子」の「秋」を偏と旁が逆転した異体字に全面的に置き換える修正が為され、その理由として“グーグルで検索しても「椿子」が「椿秋子」より大きく上回っています”とコメントされています。しかし、これは本記事にローカルな問題ではなくWikipedeia全体でJIS X 0213をどう扱うかという問題なのですから、「椿あき子」に限定した現状認識を根拠とするのは早計なのではないでしょうか。--Dakarananyanen会話2018年11月8日 (木) 09:18 (UTC)[返信]

とりあえず、上述修正に際して「注」として記載された“一部の日本語環境で表示できないため、「秋子」と表記されることがある。”というのは、有り得るかもしれませんが、現実的には考えにくい状況です。その日本語環境は、JIS X 0213が表示されず、かつJIS X 0213における異体字の対応表を持っているということになりますから。おそらく、修正前の文言を中途半端に活かそうとして変なことになったのではないでしょうか。

JIS X 0213非対応環境の中には問題の文字を含む複数文字がメチャクチャになってしまうものもありますが、そうでない非対応環境の多くでは、当該文字を何らかの一定の文字(例えば「?」)に置き換えてしまいます。いずれにしても当該文字が具体的に何であるかを知る手がかりが無い状態になります。従って、ここで「注」として必要なのは「」が「秋」の異体字であるという情報です。そのように書き換えてみました。 --Dakarananyanen会話2018年11月12日 (月) 08:31 (UTC)[返信]

菊江の年齢について

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2018年11月5日 (月) 09:25 に行った、菊江の年齢を原作の記述から24歳と算出して掲載した件について、考え方の詳細を記録しておきます。

算出の根拠は、等々力警部の聴取に対して菊江が回答した「はあ、あの、あたし16のときからですから、足掛け9年になりますわね。」という科白(記事の注釈では前後の文脈を補ったうえ要約)です。これに対して、24歳には確定できないとする修正が入りました。この修正はこの科白が満年齢に基づくものという前提であれば正しいものです。しかし、以下に記述するように、この科白は数え年に基づくものと考えるべきなので、誤った修正です。そこで、直ちに修正を取り消し、併せて数え年に基づく算出である旨の注釈を補足しました。

取り消しの際のコメントには、その理由を“この時期の横溝作品における年齢は原則として「数え年」である”と書きましたが、これは短く説明するために選んだもので、実は最も本質的な理由ではありません。初期の横溝正史作品には「満年齢」という概念が無く、後の作品でも「数え年」と「満年齢」の違いを意識しつつも基本的には「数え年」で考えていると思われる記述であることは事実ですが、あくまで「背景事情」です。

本件を「数え年」で考えるべき最も本質的な理由は、問題の科白は菊江が「足掛け9年」を「その場で算出」したと考えられるものになっていることです。「その場で算出」というのは、現在の年齢「24」から「16」を差し引き「植木算補正」で1年を加えて「9年」と算出したということです。数え年の引き算で経過年数を算出すると結果が「足掛け」になることは、数え年が常用されていた時代には広く知られていました。特に自分たちの年齢が重要な属性となる花街の女性たちの間では基本的な知識とされていたのではないでしょうか。菊江はこの知識に基づいて「その場で算出」したため、習慣的にわざわざ「足掛け」と補足したと考えるのが妥当でしょう。

極端な話、もし菊江の科白にある「16」云々が満年齢であったとしても、菊江は「満24歳」と推定するのが妥当です。「足掛け9年」が「その場で算出」したものだと考えられる以上、この場合には菊江が数え年の算法を誤って満年齢に適用して「24-16+1」を計算したと考えられるからです。 --Dakarananyanen会話2018年11月8日 (木) 09:20 (UTC)[返信]

Dakarananyanenさんの上記論述はあくまでも推測であり、Wikipedia:独自研究は載せないに独自研究として規定される「未発表の事実、データ、概念、理論、主張、アイデア、または発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈」に該当します。「独自研究は載せない」には、独自研究ではないことを示す唯一の方法として「信頼できる資料を参考文献として記し、その資料に記された内容に忠実に記述すること」と記されています。菊江の年齢が作品中に「数え年で24歳」あるいは単に「24歳」と記されていない以上、Dakarananyanenさんの論述を独自研究ではないことを示す参考文献たりうる「信頼できる資料」としては、「『悪魔が来りて笛を吹く』の人物の年齢は数え年で記載した」とか「菊江の年齢は(数え年で)24歳である」などとの作者の対談やインタビューでの発言、あるいは随筆などでの記述以外にありません。これらの信頼できる資料を参考文献として記してください。
なお、菊江が当時(昭和22年9月30日)満23歳で10月から12月に24歳になる場合には、「16のときから足掛け9年に」該当します。作品中で頭がいいとされる菊江には、その場での算出も容易かったという可能性が考えられます。可能性として100%否定できない以上、24歳として確定した記述は不適当に思います。再考をお願いいたします。 --エヴァンズの秘書会話2018年11月8日 (木) 21:58 (UTC)[返信]
「独自研究」に該当するという見解には賛同できません。極めて客観的な根拠に基づく推論であり「特定の立場から加えられる」に該当しないからです。しかしながら、根拠テキストに直接書かれておらず、推論を経て得られる結論に過ぎないものを、そのように認識しにくい文脈に書くのは、確かに好ましくないかもしれません。そこで、「24歳」という確定的結論は注釈に押し込めて、どのような推論で得られるのかを読者に意識させる文脈に置いてみました。--Dakarananyanen会話2018年11月9日 (金) 12:14 (UTC)[返信]
Dakarananyanenさんはご自身の上記論述について、恣意的に「独自研究」の該当範囲を「特定の立場から加えられる」に狭めていますが、「独自研究」の該当範囲は「未発表の事実、データ、概念、理論、主張、アイデア、または発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈」で、いずれかに該当すれば「独自研究」です。Dakarananyanenさんの上記論述は少なくとも「未発表の事実、理論、主張」に該当しますので「独自研究」になります。また、Dakarananyanenさんの上記論述の要点は、横溝正史作品は基本的に「数え年」で考えていると思われる記述である、菊江が「足掛け9年」を「その場で算出」したと考えられる、の2点ですが、基本的に「数え年」であることの根拠(出典)が示されていないことと、仮に基本的に「数え年」で記述されているのだとしてもそれは「基本的に」であり、菊江の年齢が「基本的に」に該当するという証明にはなりません。菊江が「足掛け9年」を「その場で算出」したことについては、先に述べましたが作品中で頭がいいとされる菊江にはその場での算出も容易かったという可能性が考えられます(ちなみに作者自身が、金田一耕助に「菊江さん、あなたは実に頭がいい」と言わしめさせています)。以上から、菊江の年齢が満23歳であることの可能性について100%否定できておらず、「24歳」が「確定的結論」だというのはDakarananyanenさんの思い込みに過ぎないと指摘しておきます。
ただ、Dakarananyanenさんは、ご自身で既に本文の記述を「23 - 4歳位」に訂正されていますので、この点については感謝申し上げます。注釈に「数え年であるという前提で計算すると24歳ということになる」という記述をされたことには不満は残りますが、ここまでに留めたいと思います。--エヴァンズの秘書会話2018年11月9日 (金) 23:25 (UTC)[返信]
私は「独自研究」の該当範囲を狭めたわけではなく、「未発表」云々に該当するなどという見解は全くの論外だから(従ってハナから想定外だったから)言及しなかったまでです。
混乱しないでいただきたいのですが、「独自研究」に該当する内容が全く無いというのは、あくまで「主ページ」に書いた各バージョンの内容です。確かに、私が「ノート」に書いた内容には「独自研究」に該当し得る内容がありますが、これは「主ページ」における推論方法の選択が妥当であることを傍証しているだけで、推論の「根拠」には全くなっていません。つまり、「主ページ」の内容が「独自研究」に依存していることにはなりません。
いずれにしても、横溝正史作品が基本的に「数え年」に基づくことが、作品自体の中のどこかに記述されていた記憶があり、なかなか探し出せなかったのですが、実は「灯台元暗し」でした。他の作品ではなく当の「悪魔が来りて笛を吹く」の冒頭に「以下の物語に出てくる年齢は、すべて数え年である。」と明記されています。記述の唐突さから考えて、おそらく雑誌連載時には無く単行本化(あるいは文庫本化)に際して追記されたのではないかと推測しています。あとに続けて「この事件が起こった当時は、まだ満でかぞえる制度はなかったのだから」などという変てこ(明治初期に西洋基準に合わせて法令を整備したときに満年齢に基づいていることは言うまでもない)なことが書いてあることからも、横溝正史にとって「満年齢」というのは想像を絶する概念だったことが窺えます。
とりあえず「主ページ」の注釈に作品冒頭の明記のことを補足してみました。--Dakarananyanen会話2018年11月17日 (土) 13:08 (UTC)[返信]
本作に出てくる年齢がすべて数え年であること、そのため菊江の年齢が24歳であること、それぞれ承知ならびに理解・納得いたしました。実際の作品中の記述も確認いたしました。ご教示いただきありがとうございました。--エヴァンズの秘書会話2018年11月23日 (金) 23:09 (UTC)[返信]

「お小夜」の名について

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2008年5月14日 (水) 13:09に登場人物リストを整備した際に誤って「河村」姓で「河村小夜子」と記載されたのを2014年11月9日 (日) 00:18に「堀井小夜」に訂正して以来、「お小夜」は「小夜子」ではなく「小夜」が正当という立場で記載されてきました。そのように判断した理由は、2016年9月2日 (金) 18:21に「堀井小夜子」への修正が為されて2016年9月6日 (火) 21:37まで編集合戦が行われた際に記録されています(時刻は全てUTC)。しかし、そこで根拠とされているのは、駒子が持っていた位牌に記載されていた俗名を慈道が読み上げた科白のみです。これを絶対視して他の要因を全て無視するのは妥当ではありません。

注釈にも書いた通り、作品中には「お小夜」「小夜」「小夜子」が混在して用いられており、作者にはこれらを厳密に使い分ける意思が全く無かったと推定するのが妥当です。この人物の名前が出てくるのは、以下の箇所です。

  • 三春園女将による初出から始まる金田一や出川との会話
  • 「植松」から帰ってきた出川と金田一や女将との会話
  • 金田一が出川との寝床での議論を回想
  • 妙海尼殺害後の金田一の考察、慈道の言及と金田一や出川の応答
  • 出川からの報告書3通の内容要約およびその内容への言及
  • 東太郎(治雄)の告白状(遺書)

注釈にも書いた通り、会話で「お小夜」、地の文で「小夜子」というのが、一応の原則になっています。作品世界中の文書については、そのまま掲載した設定のものは「小夜子」に統一されており、登場人物が読み上げた設定のものについては当初版の「小夜」が改版で「小夜子」に改められたということになります。例外としては、注釈で言及した事例(出川の1通目の報告書に関する内容(地の文)で1箇所を除いて(東京文藝社版では全て)「小夜」になっている)のほか、出川の植松からの最初の聞き取り結果を聞いた金田一の考察(地の文)や妙海尼殺害後の金田一の考察(地の文)が「お小夜」となっている事例、出川の3通目の報告書への等々力警部と金田一の言及(会話)が「小夜子」となっている事例があります。なお、東京文藝社版や講談社版では、金田一の慈道に対する科白のうち1箇所だけ「小夜」になっています。

従来の注釈では、平成8年改版時の修正が、作者(没後)の意思を無視した勝手な修正であると主張しているようにも読める記述になっていましたが、「勝手な修正」という評価は不当です。作者が地の文において「小夜子」を原則としていることを軽視するべきではありません。

位牌に記載されているのだから「本名」だろうという考え方も解らなくもないのですが、その考えだけで押し通して「圧倒的多数の小夜子」という状況証拠を否定するのは無理があります。何より、近親者である東太郎(治雄)が文書で一貫して「小夜子」と呼んでいることは重視されるべきでしょう。

コトの本質は作者が「子」の有無を全く重視していなかったために、その重視していなかった部分の細部に矛盾が生じたということなのだと思います。それでもあくまで作者の記述を細部まで悉く採用し、なおかつ作品世界を合理的に解釈しようとするのであれば、少々苦し紛れですが、慈道が位牌の記載を省略して読み上げたとでも考えるしか無いでしょう。

いずれにしても、「小夜」「小夜子」の何れが正当であるかを確実に決定する根拠が存在し得ないことは明らかなので、本ページの方針としては、記述上の便宜性を重視して選択するという判断基準も重要です。注釈にも書いた通り、映像作品や演劇作品に登場する場合には全て「小夜子」が採用されており、それに合わせると記述が簡略になるわけですが、この「簡略になる」というのは単に記述量が減るというだけの意味ではありません。2016年12月15日 (木) 21:47修正で加えられた「小夜の名前が小夜子に変更されている」という記述に関わる問題です。この「変更」という文言は不適切であり、あくまで「選択」です。しかし、この事情を一読して解るように、かつ簡潔に記述するのは困難です。「小夜子」を基準とすることによって、この困難を回避することができます。

なお、事実関係の確認には以下のテキストを用いました。

  • 講談社(新版横溝正史全集12) 昭和50年3月23日1刷
  • 東京文藝社 昭和52年3月30日2刷
  • 角川文庫 昭和61年12月10日44版
  • 角川文庫 平成8年9月25日改版初版

雑誌連載(宝石)、当初単行本(岩谷書店)、講談社全集の旧版は参照できませんでした。東京文藝社版は出版年は比較的新しいのですが、

  • 「玉蟲」「聯想」「廻転」「絲」「兇変」「恐惶」など、戦後書き替えることになった漢字が使われている(「玉蟲」のみは講談社版でも使用)
  • 拗音促音に小文字を使っておらず、一部は旧仮名遣いになっている
  • フォントが古い
  • 活字の欠けが多い

など、古い版をそのまま使ったように思える内容になっています。岩谷書店(宝石社)倒産後に買い取った版を使っているのだとすると当初単行本の形を残していることになるのですが、確証はありません。

ちなみに、東京文藝社版には冒頭に登場人物リストがあり、そこでは「小夜子」が採用されています。ただ、編集者の手によるものである可能性が高く、根拠としては弱いと思います。

参考までに補足ですが、作者が「子」の有無を重視していなかったというのは、時代背景からして当然のことかもしれません。「仮面舞踏会」での「美沙」と「美沙子」の使い分けからも解るように、明治期~昭和初期には「お○○」「○○」「○○子」は個人名として「全く同一」であり、状況(いわゆるTPO)に応じて「当然に使い分ける」ものであるとする有力な考え方がありました。「○○子」は最もフォーマルな呼び方で、身分の低い者が用いるのは僭越(本名としてはそうであったとしても使用を避けて「お○○」「○○」を使うべき)だとも考えられていたようです。作者がこのような感覚に基づいて「小夜」と「小夜子」を「どちらでも構わない」と認識していた可能性は高いと思います。 --Dakarananyanen会話2018年12月22日 (土) 09:36 (UTC)[返信]

「三春苑」という表記の出どころ

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情報収集に御協力をお願いできればと思います。

須磨の旅館は原作では「三春園」ですが、本ページの1977年版と2007年版の配役リストでは「三春苑女将」となっています。2019年2月7日 (木) 09:05 (UTC) に2018年版の「おかみ」に関して注釈するにあたって、気になって1977年版と2007年版の映像を確認してみたところ、旅館の看板は原作通り「三春園」でした。ちなみに1979年版・1992年版・2018年版も「三春園」です。

では「三春苑」という表記はどこから出てきたのでしょうか。本ページの編集履歴には以下の記録があります。

2006年11月30日 (木) 14:18 (UTC) 松茸
配役リストを大幅に増強した際、1977年版に「三春苑女将」が追加される。2007年版についても放送予定情報として記載されたが該当配役は無い。
2010年5月10日 (月) 05:38 (UTC) 202.140.223.32
2007年版の配役リストに「三春苑女将」が追加される。

2007年版に関しては1977年版の表記を単に複写した結果ということも考えられます。フジテレビのWebを見てみましたが、番組の内容に関する情報は削除され、視聴者メッセージを投稿する部分のみが残っていました。古い携帯電話向けの情報ページが残っていましたが「女将」の配役情報はありません。本ページに当初掲載されず後から追加されたことから考えても、テレビ局が広報用に作成した配役リストには載っていなかった可能性が高そうなので、製作サイドからこの表記が出てきた可能性は低いでしょう。

一方の1977年版はというと、Webで番組情報を広報するという手段が無かった時代ですし、「三春苑女将」という表記が制作サイドからの情報にあるとしたら、当時の雑誌掲載情報や広報用パンフレット類、あるいは事後に制作されたVHSなりDVDなりのパッケージが考えられます。

このような制作サイドからの情報が存在しないようであれば、2006年11月30日の段階で単純に誤入力したものと判断でき、直ちに「三春園女将」に「訂正」することができます。しかし、現段階では情報不足で動きづらい状況です。情報提供のほど、よろしくお願いします。

--Dakarananyanen会話2019年2月7日 (木) 09:12 (UTC)[返信]

少し調べ足してみました。まず、当用漢字表外字の書き換えが行われていない東京文藝社版(昭和52年3月30日2刷)を図書館で確認したところ「三春園」でした。雑誌連載(宝石)や当初単行本(岩谷書店)も確認したいところですが、「元々は三春苑だった」という可能性は、ほぼ無いと見て良さそうです。

また、近在のビデオレンタルショップにあった1977年版DVDのパッケージに配役一覧はありませんでした。残る可能性は1977年当時の印刷物ですが、ちょっと調査は難しそうです。

そういうわけで、記録をこのノートページに残すだけにして、本ページの方は単純に「三春園女将」に訂正しておくことにしました。

なお、Wikipediaの全文検索によると、このページの「三春苑」を引き写したと思われる記述が稲垣吾郎の金田一耕助シリーズ古谷一行の金田一耕助シリーズ三崎千恵子山田スミ子にあったので、これも訂正しておきました。

--Dakarananyanen会話2019年4月12日 (金) 09:27 (UTC)[返信]

等々力警部の「見当違いの推理」

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ふと気になったのですが、「登場人物」の「等々力大志」のところにある「早とちりや目先のことに囚われやすく見当違いの推理を披露する」という記述は、原作の描写にありましたっけ?

私の記憶では、あくまで市川崑監督映画(片岡鶴太郎主演テレビドラマも?)で加藤武が演じている警部の属性に過ぎないと思うのですが、ちょっと自信がありません。

ちなみにWikipedia内の横溝正史作品のページを一通り見てみましたが、等々力警部について「登場人物」欄で詳しく言及しているのは、この『悪魔が来りて笛を吹く』のページだけのようです。--Dakarananyanen会話2021年4月16日 (金) 10:21 (UTC)[返信]

とりあえず、等々力警部が登場する他の作品までは確認していませんが、本作に「見当違いの推理」が無い(金田一の言及に対して、そこから素直に導き出される結論を金田一が意識しているかどうか確認するのみ)ことは間違い無さそうなので、該当する部分を削除しておくことにします。

--Dakarananyanen会話2021年5月16日 (日) 05:54 (UTC)[返信]