ノート:愛
書き換え
[編集]一般的とも、専門家の間での共通見解ともとれない断定的な記述が多かったので、最初の部分にもう少しましだろうと思えるものを書きました。
最初に投稿された部分は愛と宗教の関わりなど取り込みたい点がありますが、あとはちょっとどうしていいかわかりません。^^;) Tomos 22:08 2003年6月27日 (UTC)
- 足掛け2年たってるはずなんですが、そっくり同じ感想を私も持ちました。ざっくり削ったほうがいいんじゃないかとも思います。キリスト教に関するところなどは、伝統的な三神徳などへの記述も、世俗文学などへの影響関係もなく、問題があるとおもいました。もっとテキストに即した記述にするべきでしょう。あの表現は特定教派に強く依存した観念のようで、少なくともキリスト教全体を現すには問題があると感じます。
- また哲学史的なプラトンのエロース概念や、あるいは近世哲学の情念論における欲望(voluntas)との関係などにも触れるべきでしょうが、いまの構成では入れようがないという気がします。エッセー風のところは思い切って捨てたほうがいいのではないでしょうか。--Aphaea* 2005年2月27日 (日) 18:17 (UTC)
大幅に構成、文章全体を修正しました。ほとんど文献に依拠していないので、心理学、宗教学、哲学に詳しい人の加筆訂正をのぞみます。2006/06/18—以上の署名の無いコメントは、59.138.221.206(会話/whois)氏が[2006年8月16日 (水) 14:51 (UTC)]に投稿したものです。
意図不明な文章
[編集]記事の下書きとも思えない(特定の相手への書簡のような内容の)文章があったため削除しました。--Njt 2006年8月30日 (水) 02:20 (UTC)
要出典
[編集]個人的な考えの吐露としか言いようがない記述、個人のエッセイみたいな内容、「と考えられている」だとか「と言われる」という風に主語を書かずにぼかす文が多すぎ、記事としての内容の確実性、客観性や実証性に問題あり。それを全部摘出して順当な文に挿げ替えるのは困難なので、項目名が項目名なのでやりにくいとは思いますが、もう少しは実証性を持ったほうがよいのではと思い、とりわけ気になった箇所に出典を求めるテンプレをいくつか貼ってみました。--Tantalos 2009年10月30日 (金) 13:59 (UTC)
- 性愛関連だと、思いっきりしょうもないのが出典になるかもですが、良いですか?--Ks 2009年10月31日 (土) 03:39 (UTC)
- 信憑性に問題がないものならば。--Tantalos 2009年11月2日 (月) 05:23 (UTC)
漢字「愛」の起源を求めて
[編集]漢字「愛」の最古の出典はわかりませんが、少なくても「論語」に登場し、「子の曰わく、これを愛して能く労することなからんや。忠にして能くおしうることなからんや。」とあります。これは「人を愛するからには励まさずにいられようか。人に誠実であるならば人に教えないでいられようか。」という意味で、明確に恋愛でも友愛でもなく、慈愛あるいは人類愛についての記述です。「人類愛」は現在「新約聖書」によって一世紀に成立したとされているのですが、それに対する東洋からの反証としてこの論語の文面を記述するとよいのではないでしょうか。漢字「愛」の記述がもっとさかのぼれるならさまのぼってほしいです。少なくても、紀元前400年前後の論語では漢字「愛」は人類愛を示しています。--バンパー(会話) 2015年8月14日 (金) 06:38 (UTC)
「子曰、愛之、能勿勞乎。忠焉、能勿誨乎。」 が論語での慈愛を説いた愛についての中国語の記述になります。--バンパー(会話) 2015年8月14日 (金) 06:59 (UTC)