ノート:拡張現実/宇野常寛
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比喩としての拡張現実
[編集]→「つながりの社会性#「つながりの社会性」の例」も参照
評論家の宇野常寛は、ディジタル技術としての「仮想現実(VR)から拡張現実(AR)へ」という時代の流れが、ゼロ年代の日本社会においては文化的面でも進行していると論じている[1][2]。例えば、実在の場所をモデルとして設定し、そこの風景写真をトレースした背景を利用するなどしてアニメが製作され、ファンがそのモデルの場所を神聖視して実際に訪れるという行為(いわゆる聖地巡礼)が目立つようになっているが、これはアニメというメディアを通じて虚構の世界へ接続するという仮想現実的な発想ではなく、アニメの想像力を用いて現実の世界を読み替える(聖地化する)という拡張現実的な発想であるといえる。ほかにも、コンピュータゲームの分野においても、ゲームシステムの支援を受けて虚構に没入するというより、現実のコミュニケーションを加速させる(現実の風景を一変させる)ように設計されたゲーム(ソーシャルゲームなど)がヒットするという現象がみられる。
- ^ 宇野常寛 『リトル・ピープルの時代』 幻冬舎、2011年、391頁・403頁。ISBN 978-4344020245。
- ^ 宇野常寛 「6章震災後の想像力 3 拡張現実的、ネットワーク的」『政治と文学の再設定』 集英社WEB文芸RENZABURO(2011年7月1日)