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ノート:排日移民法

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記事の表題を直ちに修正すべき

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記事の表題を「排日移民法から」正式名称の「1924年移民法」に修正すべきです。同時に「排日移民法」の検索結果を「1924年移民法」へ回される形にするが良いと思います。「排日移民法」が「日本における通称」などとの事実には何の証拠が提供されていなく、仮にそういった「通称」があったとしても、法律の制定当時、戦前時代であったはずです。かりにこの言い方が使われているとすれば、安保体制・日米同盟反対派など、国民の極一部の極端者(左翼・右翼)同士の「通称」ではないかと思います。また、現在の日本政府が使っていなければ、Wikipediaで「排日移民法」を「1924年移民法」の表題として使うのは非常に紛らわしいと思われます。しかも、法律の内容からも、記事そのもので明瞭に述べられる通り、日本人を特定したのではなく、どちらかと言えば中国人、南欧人、スラブ人などを対象とされていたものです。記事の表題を直ちに「1924年移民法」にすべきだと思います。--Gunnermanz会話2013年3月30日 (土) 06:21 (UTC)[返信]

改題に賛成します。人種主義的な観点の強い法案なので、「特定の国を狙い撃ちにした」というのは偏っていると思います。--Corvus splendens会話2014年8月23日 (土) 03:30 (UTC)[返信]
>「排日移民法」が「日本における通称」などとの事実には何の証拠が提供されていなく、仮にそういった「通称」があったとしても、法律の制定当時、戦前時代であったはずです。かりにこの言い方が使われているとすれば、安保体制・日米同盟反対派など、国民の極一部の極端者(左翼・右翼)同士の「通称」ではないかと思います。
一応、渡辺昇一「日本史から見た日本人 昭和編」(P184-185)をソースにすると以下のことが書かれてました。
明治・大正期を代表する実業家である渋沢栄一の「実験論語」(維新前後の懐旧談が主になっている本)で排日移民法が成立した大正13年(1924年)に帝国ホテルで催された汎太平洋倶楽部の例会で行った講演において「ところがどうしたことか、数年後になると排日移民法が制定され、その目的はまったく日本移民を妨げるためであり、しかもそれは白人の勝手な都合であることがわかりました。地方の政治家が排日を叫ぶことによって衆愚の票を集めようとしているのである」という渋沢の言葉がありました。
それと、国民の極一部の極端者(左翼・右翼)というのがどういう人物を指しているのか不明ですが、私が国会議事録検索で「排日移民法」検索した結果、12件ヒットし、発言時に行政府要職に就いていない保守系代議士を除けば、以下の例がありました。
  • 1947年6月15日の衆議院予算委員会及び1953年7月29日の衆議院 外務・大蔵・通商産業委員会連合審査会で社会党右派代議士の中崎敏が「排日移民法」という言葉を使用。
  • 1960年5月17日の衆議院日米安全保障条約等特別委員会で元ポルトガル公使で社会党左派代議士の森島守人が「排日移民法」という言葉を使用。
  • 1971年12月16日の参議院沖縄返還協定特別委員会で内閣総理大臣である佐藤栄作が「排日移民法案」という言葉を使用。
  • 1988年5月18日の衆議院決算委員会で社会党代議士である新村勝雄が「排日移民法」という言葉を使用。
  • 1992年12月17日に参議院国際問題に関する調査会で、元外務事務次官(1981年から1983年)であり1983年から杏林大学教授だった須之部量三が「排日移民法」という言葉を使用
--TempuraDON会話2014年8月26日 (火) 09:18 (UTC)[返信]
「屋根の上のバイオリン弾き」の記事から、その時代背景のところの「移民法」のリンクからここに来ました。ユダヤ移民の話でなぜ?と思いつつもよく読むと、この法律は日本移民に限られたものではなく、ユダヤ移民も人数制限されてたとのこと。内容を読めばリンク元との関連はわかるのですが、タイトルを見てびっくりします。早急にまともなタイトルに訂正してください。--122.216.26.17 2018年3月5日 (月) 06:57 (UTC)[返信]

国際通信社に関する記述について

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日本の「声」の誕生というセクションで、国際通信社の設立が記述されていますが、1914年創設の国際通信社が、1924年の米連邦議会排日移民法を契機として生まれた、とするのは時代が合わず、不自然だと考えます。あるいは広く「排日運動が契機だった」とするにしても、そのような単一の事象から通信社が生まれたとする議論には疑問があります。この部分は「国際通信社」の記事として分割するのが至当と考えますがどうでしょうか。--にごう 2006年7月11日 (火) 10:52 (UTC)[返信]

分割せずにそのまま削除したほうがいいんじゃない?--経済準学士 2006年7月11日 (火) 10:55 (UTC)[返信]
内容が間違っているのでしたら削除するだけでいいと思いますが、分離するほどの内容ではないのでは。--A6M4 2006年7月11日 (火) 12:42 (UTC)[返信]
その後みなさんから意見が出ないようなので、「分割提案」を除去し、上述のセクションをコメントアウトしました。--にごう 2006年7月19日 (水) 15:42 (UTC)[返信]

日米紳士協定とその後

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このセクションから

日本政府としては、1918年パリ講和会議人種差別撤廃案を提案し、過半数を超える国々から賛成を得たがウィルソン大統領の反対により可決しなかった。

の箇所を「関係の無い記述」として削除したら何故かrevertされたのだが、関係が有ると主張するのなら加筆が必要だと思う。日本が反米に傾いたきっかけとして「排日移民法」と人種差別撤廃案云々を関連づけるのなら分からないでもないが、アメリカ国内での移民法一部改正の流れと記述に値するほど関係が有るとは思えない。--Sequitur 2009年12月4日 (金) 15:24 (UTC)[返信]

これはですね。移民問題と絡めて反対意見が出されて否決されたから関係あるといえるでしょう。--Chichiii 2009年12月4日 (金) 15:39 (UTC)[返信]
たいした関係とは思えないが、それほど重要だとするのならばその関係性を加筆するべきでしょう。今の状態では説明がなく唐突な記述に思える。前段が1920年の話なのに、1918年に戻る点も記述を浮いた存在にしている。--Sequitur 2009年12月8日 (火) 18:29 (UTC)[返信]

外部リンク修正

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編集者の皆さんこんにちは、

排日移民法」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月5日 (木) 05:38 (UTC)[返信]