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ノート:放送禁止用語/過去ログ2

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部落問題用語の解釈について

125.170.207.190さん 117.18.214.89 さん (同じ方でしょうか。)

「部落差別問題は今でも深刻」「部落差別問題は根強い」というのは、部落解放同盟の主張のみによるものではなく、近年の訴訟結果等、すなわち司法による判断結果等も鑑み、「中立性」の点から、現在の各放送局のとっている、ほぼ統一した見解です。「放送禁止用語」ですから、ここでは放送局の見解を示すべきであり、ふさわしくないと考えます。--ENG0000 2008年10月17日 (金) 07:22 (UTC)

放送局が絶対的に公正中立という前提は説得できる根拠にはならないかと。少なくとも私はそう学校で教育を受けましたし、「中立」な考えであると言い切れます。私の身の回りでは、同盟以外から差別の話は聞きませんね。あなたの独自の判断が「今でも深刻」というものならば、私の判断とは食い違うことになりますね。誰でも編集できるのがウィキペディアではないのですか?私の編集は私の中立的な観点にのっとったもので、荒らし行為といわれるのは心外です。
いささか、勘違いされているかと思います。
ここでは、「放送禁止用語として、放送局のとっている見解について」示しているものであり、「今でも深刻」、「今でも根強い」というのは、「放送局の見解」であり、「私の判断」「私の考え」によるものではありません。上にも書いておりますが、私自身は各用語の扱いとそう扱う理由ついては、ある局の「現行リスト」を取材し、これを民放連とNHKの基準に照らし合わせて「機械的に編集」しているだけです。(おかげで何度も「読み間違え」をして、編集を繰り返す結果となっておりますが。)
各用語については「局がそう判断している」ものであり、「私の中立的な見解」が何であれ、「その事実」を記すべきところでありましょう。「私が」間違っている、間違っていると思う、そう考えられるとしても、事実がそうであれば、それをまずはそのまま、私的見解を入れず、可能な限り客観的に正しく記述することが、Wikipediaのみならず、「記事の基本」ではないでしょうか。
他にも用語例の部分に加筆させていただいている内容(そう判断する理由)は現在の多くの局が根拠としているものを客観的に写したものであります。リストには、全面禁止と書いてあるのに、その根拠の記載がない言葉もありますが、これについては「私的な中立的見解の記述」は差し控えさせていただいております。
むしろ、貴殿方の編集内容は「上位の概念」であると考えます。他にもそのように主張される方がおられることは事実であり、これを否定してはなりません。
ですから「現状こうなっている」というところに記載されるべきではなく「放送禁止用語の抱える問題、矛盾の具体例」として、是非とも、より客観的に出典もしくは論拠を明記して加筆して下されば、よりこのページはよいものになるはずです。ご協力下されば幸いです。
私自身、現役時代から「矛盾している」と思い、闘ってきたいきさつもありますが、私の中立的意見からすれば、放送局が絶対中立など、とんでもない。「間違いだらけ」と「断言」します。最近の傾向としては「裏とり」もろくにせず、世論の動向でふらふら。視聴率を気にして、感情論先行で動き、いざ問題となったら「だんまり」を決め込む。光の母子殺人事件、これは橋下弁護士だけの問題ではなく、言論の自由を「都合よく」盾にして、「彼に発言させた」とも言えるものでありましょう。同じことはオウム真理教、松本サリン事件の後始末でも言えること。裏話をすると、あの報道については当時、局内でも反対の声が多くありましたが、「言論の自由」「世間感情」の二言で「押し切られ」、「裏とり」が疎かになったのが事実。お粗末以外の何物でもない。結果は賠償。しかし、カネでカタがつく問題ではありません。まして放送禁止用語は、昔から、法律の「悪語」とされる「公共の福祉」「公序良俗」に従ったものであり、その明確な根拠性に欠けるものでありますから、その解釈は多様であるのは当然の結果であります。しかしこれは「私の中立的な見解」であり、第三者がご覧になられれば、「裏のない」荒唐無稽な偏った意見であるともいえましょう。従ってこのような「私的意見」のWikipedia本文への投稿は一切、控えさせていただいております。--ENG0000 2008年10月18日 (土) 07:19 (UTC)

118.15.75.210 さん

要出典とされましたが、解放同盟の資料を出せば、「解放同盟が主張しているのみだ」と言われますので、概ね、局が根拠としている最近の判決例を提示しました。実際には、自殺者が出ているもっと深刻なもの、事件にまで至らないが各地で散発する事案などが根拠を補強していますが、広域に影響が及び「深刻」「根強い」ということではこの2例になります。より詳しくはそれぞれの判決文をご覧になられて検証されることをお勧めします。

2007年7月17日 確定判決

インターネット上に部落差別ウェブサイトを開設し、同じ尼崎市職員である部落解放同盟員を誹譲中傷して差別を煽った「尼崎インターネット差別事件」の実行者である元尼崎市課長補佐が「実行者ではない」と主張し、大阪高裁での有罪判決を不服として最高裁に上告していたが、最高裁は7月17日、これを棄却、罰金30万円の判決が確定した。

2007年10月15日 名古屋地裁判決

差別ウェブサイト「B地区へようこそ.in愛知」で、愛知県と岐阜県、三重県にまたがる被差別部落の写真や地図、動画を掲載し、恐怖と差別を煽る事件の判決公判が10月15日、名古屋地裁でひらかれ、被告に懲役1年、執行猶予4年の判決が出された。検察が「差別を煽る記述であり、差別助長再発予防への必要性は高く、差別された人の心の痛みを勘案し、懲役1年に処するのが相当」と論告求刑していた。裁判長はその判決理由で、犯罪手口は「未熟で浅はか」で、その行為は「愚劣であり陰湿」と断じた。

なお、リストそのものは「禁帯出」もしくは「関係者外秘」ですから、出典を明記することはできません。しかしひとつひとつの用語については、局関係者に聞けば「裏とり」できる範囲のものです。ただ、どうしても出典を明記する必要があるのであれば、個々の用語については「文献なし」ですから、全削除すべきではないかと考えます。

確かに「問題の軽重の程度」については、「意見が分かれる」とされている向きもあります。ここは「放送禁止用語」についてですから、「問題の軽重の程度」に関する「局判断」はコメントアウトしてもよいと思います。

--ENG0000 2008年10月25日 (土) 07:39 (UTC)


客観的に見た場合、部落差別問題は一般的な日本人から見て最早差別でもなんでもありません。一部の差別を利用して金稼ぎをする団体が「差別だ」と騒いでいるのが現状であり、そのことは2005年の部落解放同盟大阪府連合会飛鳥支部長の駐車場料金横領事件の経緯をみても明らかです。
「日本において未だに部落差別が顕著か否か」という点で検討すれば、その答えはNOと日本人の多くが答えるはずです。差別だ、差別だ、と騒ぐ差別団体の内部では確かに現在進行形で差別が続いている、また続いてもらわなければ彼らの差別利権を守れない状況にあるのでしょうが、実際に日本で差別が現存するかといえばその答えは違います。
「尼崎インターネット差別事件」は、尼崎市の職員同士の名誉毀損事件です。「B地区へようこそ.in愛知」は、1サイト運営者がまとめた部落に関するサイトです。これらはその被告一人が部落差別を行ったに過ぎないものですが、なにをもってこれを国民全体に一般化するのですか?
「部落差別問題は今でも深刻」「部落差別問題は根強い」を要出典にしたのはそれを明確化すべきだからです。たとえば、放送側が「今でも深刻」「根強い」と考えている理由が、該当するワードを放送した番組の終了後に、部落開放同盟などの団体から「差別だ!」との電話や手紙などの問い合わせがあることを背景にされているとしたのならば、「今でも深刻」「根強い」というのを、あたかも日本国民がそう考えているかのようにWikipediaに記載することは完全に誤解を生みますし、不適切だと考えられます。もし「今でも深刻」「根強い」と書きたいのなら、最高裁判所の犯罪者に対する判決など持ってきても何の意味もない。書きたい内容によって、以下の修正をするべきです。
  • 日本国民一般が部落差別をしていて、問題が「今でも深刻」「根強い」⇒その出典元をもってくるべき。
  • 放送局側一般がそう考えている⇒記載内容を編集のうえ、放送局側一般がそう考える出典基をもってくるべき。
インターネットで世界中の人がみるWikipediaで、日本人一般が差別をしていると誤解されるようでは困ります。適切な修正を施すべきです。--118.15.75.210 2008年10月29日 (水) 02:04 (UTC)
よくわかりました。Wikipediaの方針を理解していない私に全ての非があります。
差別、侮蔑に関し、局がそうであると考える根本は、実態、現実の事件、これに対する司法判断結果とその内容からであり、「最高裁判所の犯罪者に対する判決など持ってきても何の意味もない。」と言われるのであれば、法曹でもない私がこれ以上、何か申し上げることは僭越であると考えます。
放送用語の扱いは各局の専権事項です。これ以上の情報公開、すなわち「実態」を局がそう認識している出典については、いかに退職しているといえども、守秘義務の範囲にありますので、提示できません。なぜならば出典を示したならば、その著者に危害が及ぶことがあるからです。
上にも書いておりますが、「問題の軽重の程度」については、「意見が分かれる」とされている向きもあります。先に編集されている方の記述を尊重して加筆編集させていただいていたわけですが、大体ここは「放送禁止用語」についてですから、「問題の軽重の程度に関する局判断」は必要ありません。はじめにこの文を書かれた方には誠に申し訳ありませんが、修正ではなく、全削除とさせていただきます。--ENG0000 2008年10月29日 (水) 16:36 (UTC)

コメント

IPさんのおっしゃっていることはよくわかりません。部落差別が存在しないというのはIPさんの判断ですし、そもそも、そんなことは当記事の編集に関係ありません。しかもそのうえ、そこから「差別用語とされているものは差別用語ではない」という結論を導くのは完全にIPさんの独自研究です。
それとIPさんにもう一点。記事の内容を大きく変えないような編集をするだけならIPでもかまいませんが、記事の内容について議論したいのなら、アカウントを取得してログインなさってください。Wikipedia:説明責任をお読みください。
で、それはともかく、「局がある言葉を差別用語だと考えている」ことの正しさを示す必要は、まったくないですね。当記事では「局が使用を自粛した用語」について書くのですから、自粛する判断をしたことを示す検証可能な資料をしめせば充分です。その資料で放送局が理由を述べているのなら、それを引用してかまいません。「理由がまちがっていたら記事に書けない」(大意) という主張は、ウィキペディアの方針を理解していらっしゃらないためでしょう。Wikipedia:検証可能性という方針文書がありますので、お読みください。あと、引用のやりかたについてはWikipedia:引用のガイドラインを参考にしてください。
ところで、議論を意味のあるものにするためには、議論に参加するかたがたが、放送禁止用語というものについて共通の理解をもっている必要があるかとおもいます。まずはとっかかりとして、(もしお読みでなければ) 森達也『放送禁止歌』(解放出版社2000年、光文社2003年文庫化) など読んでみてはどうでしょうか。放送禁止用語というものの扱いについて、ある程度理解がすすむとおもいます。この本をとっかかりに、ほかのいろいろな資料を調べていくこともできるでしょう (本には、その本を書くときに参考にした文献なども載っていますから、それを読めばいいのです)。
また、当記事の「参考文献等」の節に挙がっている資料には、できるだけ目を通すべきでしょう。編集の結果、記事の内容がこれらの資料に書いてあることとちがってしまっては、検証可能性がなくなってしまいますから。 --Hatukanezumi 2008年11月2日 (日) 11:41 (UTC)
部落差別については部落問題の記事で扱うべきですね。ENG氏はIPの主張を真に受ける必要はないし、「イチャモンを付けられたから全削除」とかあり得ません。ただ南京虐殺論争同様に関連項目で一方的な主張を行うのは不適切なんでそういうものは全て本記事に回すべきでしょう。johncapistrano 2008年11月2日 (日) 12:41 (UTC)


[要出典]扱いにした者です。ノートでは、118.15.75.210 2008年10月29日 (水) 02:04が私です。 自分が"IPさん"かはわかりませんが、誤解をといておきます。

>部落差別が存在しないというのはIPさんの判断ですし、そもそも、そんなことは当記事の編集に関係ありません。

否定します。

まず、事実上「部落」は放送禁止用語になっています。 ですので、これを記事の項目に入れることは誰も反対していません。 項目の削除なんてとんでもない。全く望んでいません。 10月からノートで争点となっているのは、過去の記事にあった 「部落差別問題は今でも深刻」「部落差別問題は根強い」という表現が適切か、 また適切ならばその出典元を記載すべきではないか、というものです。 これは当記事中の記載であり、編集に大いに関係があります。(~ありました。)

現在は既に修正された記事ですが、 Hatukanezumiさんとjohncapistranoさんも履歴をご覧になるべきです。 おそらく論点を理解できていないための誤解でしょう。 以下は念のために書いておきますが、経緯が理解できれば不必要な文章です。

>「差別用語とされているものは差別用語ではない」という結論を導くのは完全にIPさんの独自研究です。

否定します。 誰も「部落」が差別用語かどうかを争っていません。 そもそも放送禁止用語と、差別用語は別物です。同列扱いにしてはいけない。 放送禁止用語の記事に記載される「部落」という項目の説明文中に、 その項目の説明として現実に見合っておらず適切でない記載がある。 このこと問題提起したのであり、「差別用語か否か」は争っていません。

また、現在も部落「差別」があるか、といえば「ない」ので差別ではないんです。 「部落差別問題は今でも深刻」「部落差別問題は根強い」という記載をするのであれば、 "現在"も差別が続いているという出典元(証拠)を記載するべきです。 過去の記事には出典元がなく、いかにも部落差別が現在も行われているかのように 記載がなされていたので、その部分についてのみ[要出典]扱いにしました。 (※出典元がないので、既に該当部分は削除されています。) そもそも部落についての詳しい内容は各記事に任せるべきだと考えます。

>大きく変えないような編集をするだけならIPでもかまいませんが、記事の内容について議論したいのなら、アカウントを取得してログインなさってください。

それは義務ではありません。 Wikipedia:説明責任のページには、ログインの"勧め"とあり ログインは推奨はされるものの義務として課されません。 それに非ログイン者の私は[要出典]にした以外は編集していません。 したがって、記事内容も全く変えてません

>「理由がまちがっていたら記事に書けない」(大意) という主張は、ウィキペディアの方針を理解していらっしゃらないためでしょう。

指摘されたことが議題になっていないことは、上述しました。 「理由がまちがっていたら、記事の該当箇所を修正すべきだ。」

>部落差別については部落問題の記事で扱うべきですね。 >ENG氏はIPの主張を真に受ける必要はないし、「イチャモンを付けられたから全削除」とかあり得ません。

全くそのとおりですね。 「部落差別問題は今でも深刻」「部落差別問題は根強い」というような 記載は本記事(部落の記事)のノートで議論を(するなら)するべき問題であって、 放送禁止用語の記事中にはそのような出典元の存在しない記載をするべきではありません。 全削除なんてとんでもない!誰が言ったんですか?


現在の記載は修正されて、今の状態になっています。 目を通すと、指摘したような不適切な記載はなくなっています おそらく、お二方は「全削除」という言葉に過剰反応をされたのだと思います。 まず10月前半の記事の履歴を読まれることを強くおすすめします。 --218.224.39.56 2008年11月10日 (月) 21:35 (UTC)

コメント 上のほうのIPさんといまIPで投稿されたあなたとが同じひとだという確証はありません (あなた自身がどう思おうと、他人から見たら判断がつきません)。記事の内容について議論したければ、アカウントを取得 (簡単です) してログインして行ってください。そうでなければ、議論に混乱を持ち込むだけですので投稿をお控えください。よろしくお願いします。 --Hatukanezumi 2008年11月11日 (火) 04:40 (UTC)

218.224.39.56 です。

>Hatukanezumiさん

随分と乱暴なご意見ですね。

IP投稿でも投稿者の同一性が保てればノートでの議論に支障はありません。だからこそ、ノートに非ログイン者も書き込めるようになっているのです。Wikipedia運営側もやろうと思えば、ログイン者のみの書き込みに制限できるのに、あえてしないのは非ログイン者に対するノートへの参加を禁止していないからと考えられます。

もちろん、あなたが言うように非ログイン者が議論に入ることで混乱を招くこともありますので、議論に支障があると判断しましたら、ログインしましょう。ただ現在、そのように判断するべき要素はありません。これ以上、非ログイン者のノート編集権のルールを議論をしたければ、ルール記事のノートにてどうぞ。

「私が上記に書いたことについてコメントがない」ということは放送禁止用語の履歴を見て議事内容が理解でき、誤解がとけたものと理解します。 --218.224.39.56 2008年11月11日 (火) 08:30 (UTC)

上記、2008年の激論から9年。ENG0000さんが予言、心配されていた通り、世は大変なことになりました。現実に放送禁止用語のネット掲載、その悪用による言葉の暴力による自殺者もろもろ出てしまい、再び公権力が表現に強力に介入するようになり、事実も真実も隠される時代となりました。この事態を招いたのは我々、国民の無責任です。もう今さら何をやっても遅いですが、これ以上、事態を悪化させないため、こういう強引な議論が二度とされないことを祈ります。

なお、以下にENG0000さんの名誉を護るため、再度、記述しておきます。

「日本において未だに部落差別が顕著か否か」という点で検討すれば、その答えはNOと日本人の多くが答えるはずです。差別だ、差別だ、と騒ぐ差別団体の内部では確かに現在進行形で差別が続いている、また続いてもらわなければ彼らの差別利権を守れない状況にあるのでしょうが、実際に日本で差別が現存するかといえばその答えは違います。

「尼崎インターネット差別事件」は、尼崎市の職員同士の名誉毀損事件です。「B地区へようこそ.in愛知」は、1サイト運営者がまとめた部落に関するサイトです。これらはその被告一人が部落差別を行ったに過ぎないものですが、なにをもってこれを国民全体に一般化するのですか?
「部落差別問題は今でも深刻」「部落差別問題は根強い」を要出典にしたのはそれを明確化すべきだからです。たとえば、放送側が「今でも深刻」「根強い」と考えている理由が、該当するワードを放送した番組の終了後に、部落開放同盟などの団体から「差別だ!」との電話や手紙などの問い合わせがあることを背景にされているとしたのならば、「今でも深刻」「根強い」というのを、あたかも日本国民がそう考えているかのようにWikipediaに記載することは完全に誤解を生みますし、不適切だと考えられます。もし「今でも深刻」「根強い」と書きたいのなら、最高裁判所の犯罪者に対する判決など持ってきても何の意味もない。書きたい内容によって、以下の修正をするべきです。
  • 日本国民一般が部落差別をしていて、問題が「今でも深刻」「根強い」⇒その出典元をもってくるべき。
  • 放送局側一般がそう考えている⇒記載内容を編集のうえ、放送局側一般がそう考える出典基をもってくるべき。
インターネットで世界中の人がみるWikipediaで、日本人一般が差別をしていると誤解されるようでは困ります。適切な修正を施すべきです。--118.15.75.210 2008年10月29日 (水) 02:04 (UTC)

また、現在も部落「差別」があるか、といえば「ない」ので差別ではないんです。 「部落差別問題は今でも深刻」「部落差別問題は根強い」という記載をするのであれば、 "現在"も差別が続いているという出典元(証拠)を記載するべきです。 過去の記事には出典元がなく、いかにも部落差別が現在も行われているかのように 記載がなされていたので、その部分についてのみ[要出典]扱いにしました。

>部落差別については部落問題の記事で扱うべきですね。 >ENG氏はIPの主張を真に受ける必要はないし、「イチャモンを付けられたから全削除」とかあり得ません。

全くそのとおりですね。 「部落差別問題は今でも深刻」「部落差別問題は根強い」というような 記載は本記事(部落の記事)のノートで議論を(するなら)するべき問題であって、 放送禁止用語の記事中にはそのような出典元の存在しない記載をするべきではありません。 全削除なんてとんでもない!誰が言ったんですか?

全く、めちゃくちゃであります。

こんな大馬鹿者がいるから、ついに国家権力、文部科学省が動き、この記事が書かれた当時、学校では「任意で教える」とされていたものがその後、「必ず教えなければならない」になり、2017年現在の中学校文科省検定教科書、社会科「公民」においても、「部落差別問題は今でも深刻」「部落差別問題は根強い」「旨」、記載されるに至ってしまっています。「旨」というのは、この2つの表現はまだ「曖昧でやさしい表現」、実際には歴史的経緯からの詳しい説明、とてもじゃないが放送などできない、もっと露骨できつい言葉と表現が教科書中に並んでいるためです。これを今は日本の中学3年生全員が学習します。つまり、「なかったことにしようとする、寝た子を起こすな、がために、いつまでたってもなくならない」ことから、国家権力によって、義務教育にて必ず扱わなければならないものとされてしまったというわけです。公民においては、アイヌ民族差別、在日韓国人、朝鮮人差別についても「いまも続く差別」として教えなければなりません。すなわち部落差別、アイヌ民族差別、在日韓国人、朝鮮人差別は、全国民が知り、解決に向けて取り組んでいかなければならないと、ついに我々、日本国民が、国家権力に公言させてしまったことであり、出典も何もあったものではありません。まるで、1+1=2、この根拠を示す出典を持ってこい!と言っているに等しい。ま、そこまで出典と言われるならば、「中学校学習指導要領社会科公民p○○」とでも書くことになりますが。

今や中学3年で全国民が学習するとされるに至った深刻なことを知らない、といいますか、事実を「言葉の暴力」で意地でもねじふせるアタマの悪さ。己の勉強不足を棚に上げ、屁理屈をつけて他者の意見を強引にねじ伏せる。これほど愚かなことはなく、これこそが差別助長の元凶であり、さらには自らの手で自らの表現の自由を奪う行為に他なりません。本議論からかなりの年数が経過しておりますが、愚かな発言記録も永久に残ることをお忘れなく。そしてついに国権が発動してしまった今、部落という言葉どころではなく、部落問題そのものを放送で扱うこと自体が再び原則禁止です。大体、差別のない国などありません。「日本に差別はない。」と言うほうがよほど世界から不信感を買うものになります。

--SCCKAHAN会話2017年1月23日 (月) 14:05 (UTC)

移転とまとめ

日本独特のものについて、一通り放送問題用語に移し、まとめ直しました。--SCCKAHAN 2009年10月6日 (火) 13:45 (UTC)

何にしてもこのテの話は、日本ではオープンにされるまでにものすごく時間がかかるものではありますが、ようやく今日、NHKがオープンにしたため、加筆しました。業界では1960年頃には既に問題とされていたことであり、実に50年。本当にようやくであります。これにてようやく、本稿議論に決着がついたものと考えます。亡くなられたENG0000さんの存命中の勇気ある本稿執筆に対する感謝と哀悼の意を心より捧げます。--SCCKAHAN会話2015年2月23日 (月) 12:06 (UTC)

「~の傾向にある」「矛盾した実態となっている」「~といえる」など、どう見ても私論でしょう。百科事典的に見て異様な記述。との指摘があり、これらはその後、橋下弁護士の件で、高裁、最高裁の公判及び判決において言及され、文書記録されたことから、もはや私論とは言えなくなり、訂正しました。しかし、苦言を呈するならば、公権力が認めていないことは事実、真実ではない=言ってはならないの風潮は、自ら表現の自由を奪うものであります。事実この風潮から2017年現在、「第二次言葉狩り大戦」とも言える状態に陥っており、マスコミ各社は国民の知る権利を侵害してでも(論争になりそうなことは、公権力の裁定を待ち、その公式発表以外のことは言わない。)、自社の利益を護らざるを得ない=大本営発表とせざるを得ない状況にまで追い込まれています。--SCCKAHAN会話2017年1月21日 (土) 15:39 (UTC)

「独自研究」と指摘された部分につきまして全削除させて頂きました。ここは仕方なく私が参考文献を付け足し、例を加えてまとめ直していたところですが、そもそも百科事典としてふさわしくもない文章であって例も解説も不要、ジャーナリスト諸氏としては知られたくもないところですから7年来、頭を痛めていたところでした。ようやくのご指摘、喜んで削除させて頂きました。皮肉ではなく、感謝致します。--SCCKAHAN会話2017年5月23日 (火) 10:39 (UTC)

そうですか。 結果として消されたのでよかったです。 見えない敵とだいぶ激しく戦っていられるようですが、お大事にどうぞ。 --Wadap会話2017年6月4日 (日) 03:20 (UTC)