ノート:教養小説
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下村湖人「次郎物語」、尾崎士郎「人生劇場」、司馬遼太郎「竜馬が行く」、五木寛之「青春の門」あたりも教養小説か。 --忠太 2006年2月13日 (月) 16:11 (UTC)
- 昔の版(2012年3月)[1]をみると、ドイツ以外の教養小説(?)の例[要出典]が書いてあったので、こちらに転記しておきます。(既に本文にあるものを除く) --忠太(会話) 2015年11月21日 (土) 15:38 (UTC)
- 教養小説の例
- イギリス : トム・ジョーンズ(1749年、ヘンリー・フィールディング ※『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』1796年)より50年も前であり教養小説と呼べるものかどうか?)、デイヴィッド・コパフィールド(1849年-1850年、チャールズ・ディケンズ)、大いなる遺産(1860年-1861年、チャールズ・ディケンズ)、人間の絆(1915年、サマセット・モーム)、若き芸術家の肖像(1916年、ジェイムズ・ジョイス)、
- フランス : ジャン・クリストフ(1904年 - 1912年、ロマン・ロラン)
- 日本 : 三四郎(1908年、夏目漱石 ※「三四郎」の項には「日本で最初の教養小説」との記述あり)、青年(1910年-1911年、森鴎外)、次郎物語(1941年-1954年、下村湖人、未完)
- ドイツ : 予感と現在(1815年、ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ ※アイヒェンドルフの項には、「明確に教養小説の要素を含んでいないため、素朴な幻想小説、ファンタジー小説として扱われることもある」との記述あり)、鋼鉄の嵐の中で(1920年、エルンスト・ユンガー)、ガラス玉演戯(1942年、ヘルマン・ヘッセ)
- 部分的に教養小説的なものが含まれる作品(?)
- ジェイン・エア(1847年、シャーロット・ブロンテ)、ハックルベリー・フィンの冒険(1885年、マーク・トウェイン)
- Wikipedia内の検索結果[2] --忠太(会話) 2015年11月21日 (土) 15:38 (UTC)
教養小説の切り分け
[編集]自伝的小説・伝記小説とどう切り分けるのかについて、誰かご存じでありませんか?区分けのしかたによってはそれこそ山岡荘八の徳川家康も海音寺潮五郎の西郷隆盛も教養小説でしょうし、「教養」の中身が近代風でないだけで源氏物語も教養小説になってしまうのでは。--202.231.169.22 2012年3月4日 (日) 13:53 (UTC)