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ノート:敦康親王

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いくらなんでも褒めすぎでしょう。誰が始めたか知りませんが、誰もブレーキをかけないのはなぜでしょう。百科事典は事実だけを淡々と記せばいい。敦康は物語の主人公としては悲劇の貴公子かもしれませんが、感情移入のしすぎです。たとえば、藤原実資や藤原能信は、中関白家をよく思わない感情よりも、道長・頼通父子をよく思わない感情の方が強かったのではないですか(村上源氏は道長の女婿で頼通の養子ですからともかく)。--呆庵入道 2010年2月8日 (月) 12:06 (UTC)[返信]

管見のかぎり、「褒めすぎ」というのは、この記事を書いた人が褒めすぎたのではなくて、一次史料が褒めすぎたのが真実でしょう。当時の人が同情もし感嘆もした、ありのままの感情を、記録から忠実に書き写しただけです。信頼できる史料の記載だけを取り上げたうえ、出典もしっかり列挙しているのに、どうして問題になるのかが分かりかねます。ご指摘の点について:藤原実資は中関白家没落の際、「積悪の家、天譴を蒙る」と言い放ちました(『小右記』)。御堂関白家に対してもこんな悪口を吐きましたっけ。藤原能信はなおさら、道長の息子ですよ。親の七光りのおかげで、大納言の顕職に至りました。そんなありがたい親を、よく思わない気持ちがあった、というのはどこの資料に載っていますか(道長≠頼通、能信の頼通への気持ちは別)。--Yume149 2011年9月9日 (金) 19:45 (UTC)[返信]

ただいま、「中立的な観点」を参照したところ、次の文句がありました。「意見を述べたいような時には、その意見を誰かの意見として提示することで事実の記述に変えます」「意見を誰かの意見として提示することで事実の記述に変えています」。この項目も、記事を書いた人の意見ではなく、「同時代の人々はこう考えた」という事実を実例を挙げながら述べたのに過ぎません。なので「中立的な観点」云々のテンプレートを外しました。--Yume149 2011年9月9日 (金) 19:54 (UTC)[返信]