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ノート:文明論之概略

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「万世一系」に関する記述を復活させました

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文明論之概略の「万世一系」に関する解説が除去されていたため、記述を復活させました。その際に文明論之概略の内容を解説する章を設置し、その一章として復活させております。除去した方は、「万世一系で解説するべき」とする理由を提示されていますが、なぜ万世一系で解説するべきなのか説明されていないので、復活させて差し支えないと判断しました(根拠なき記述の除去)。双方に認識のずれがないよう、念のために「万世一系」に関する解説を加筆した理由を説明します。そもそも書籍に関する百科事典の記事では、その書籍の内容について解説するのは当然であること(というより書籍の内容を解説するべきでないというのなら、いったい記事で何を解説せよというのか)。また書籍の解説は、加筆したウィキペディアンの先入観をなくすために、できれば学者や研究者の主張・仮説に基づいたものであるべきであること。この2つが理由でございます。除去された2010/01/06より日にちが経過しているので、除去した方に直接お知らせをしておきます。--伏儀 2010年6月28日 (月) 00:54 (UTC)[返信]

理由はですね、この内容は万世一系を証明したいがために書かれた内容であって、本項目においては主な記述とはなりえない、もう少し言えば瑣末な記述だからです。端的に言えば主従が逆とでも言いましょうか。
この説明ではわかりにくいと思いますので、具体例を挙げましょうか。芳村真理という芸能人の方がいらっしゃいます。試しにこの名前で全文検索し[1]、出てきた芸能人たちの記事を眺めてみてください。芳村さんがその芸能人といかにかかわったかというエピソードが書かれていることが多いことがわかるかと思います。どうもこの芳村さんという方、自分がいかに芸能界で活躍したかを宣伝したいがために、そこら中の芸能人の記事に自分とその人とのエピソードを書き加えたようなんですね。これを今便宜的に「芳村真理メソッド」とでも呼びましょうか。見てわかるように、他の芸能人にとってはそこで書くべき主な内容とは言えないものばかりです。それは確かにそのエピソードは存在しますが、あまりに瑣末で本来取り上げるような話でもありません。また芳村さんの人柄について知ろうにも各記事に話が分散しているので追いにくいことこの上ありません。
で本題に戻りますが、本件も同様の話です。もしかすると伏儀さんは問題の記述はこの記事に含めるべき主な内容だとおっしゃるかもしれません。しかし私からみれば、これは明らかに芳村真理メソッドです。私がどのような気持ちを抱いたかといえば、伏儀さんが本家の芳村真理メソッドを確認したときに感じた気持ちとおそらく同じでしょう。たぶん一般の読者もそうです。--Kurz 2011年1月19日 (水) 11:08 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。Kurz殿の解説には矛盾があります。「芳村真理メソッド」の場合は、単に宣伝目的で自分の出来事をあちこちの記事に加筆して回ったという話であって、とある研究者が「○○という書物は、何々という思想が論じられている」と主張している話とは全く別です。除去してよい理由にはなりません。ただ、Kurz殿のご意見を聞いて私も気になることが出てきました。「とある研究者が論じたもの」と私は言いましたが、「文明論之概略研究」において、この論説がどれほど重視されているのか不明であるという点です。どうもKurz殿はそれほど重視されていないとお考えのようですが、実際はどうなのでしょう。少なくとも「論外」というような評価が確定していない限り、除去はできないと思いますよ。あと誤解があるようですが、万世一系が事実であると証明するのではなく、万世一系という思想がこの書物で論じられているというのが、この論説の論点です。最後に、除去には反対ですが、「万世一系以外の内容も加筆するべき」ということでしたら、特に反対はいたしません。是非加筆していただければと思います。ただし、「文明論之概略は何々について論じられている」と主張する研究者が誰なのか明記していただくのが条件になると思います。--伏儀 2011年1月19日 (水) 11:45 (UTC)[返信]
慶應義塾出版会の新刊『福澤諭吉事典---慶應義塾150年史資料集〈別巻2〉』における「文明論之概略」の説明がどのようなバランスになっているのか。また、その項目に記されている参照文献がどのような記述になっているのかが、参考になるのではないでしょうか。--rshiba 2011年1月20日 (木) 00:19 (UTC)[返信]
コメント うーん、私の説明が悪かったのかあまりわかってはもらえなかったみたいですね。ま、いいです、私は今のところそれほど本件に関心があるわけではないので。なお一応どれほど重視されているか不明という点に関して述べておきますと、基本的に証明責任は内容を除去する側でなく追加する側にありまして、また提示された出典は天皇制や万世一系についてのものであり文明論之概略については傍証としてわずかに言及されているに過ぎないので、重視されているとみるのは難しいでしょう。--Kurz 2011年1月22日 (土) 09:10 (UTC)[返信]
rshiba殿へ。コメントありがとうございます。当初は記事に補足する形で加筆しようと思ったのですが、この書籍の内容について全く記述されていなかったので、とりあえず関連性のある説明をすべて載せました。記事においてどれほど言及するべきか判断がつかなかったのです。その点が見えてくれば、不要な部分を削ってメインにするべき文章に組み込むといったことができるのではと思います。
さて、Kurz殿のコメントを拝見して問題点が見えてきました。おそらく、Kurz殿は、加筆が妥当かどうかの話と、説明文の位置づけを記事の主題とするか傍論とするかの話をごっちゃにしているのではないでしょうか。Kurz殿の説明は、「記事の主題にならない」と言っているに過ぎず、「加筆は不適切、除去すべき」とする根拠になっていません。「どれほど重視されているか不明という点に関して述べておきますと」などと記事における位置づけの話をすると宣言したにもかかわらず、「基本的に証明責任は内容を除去する側でなく追加する側にありまして」などと「加筆は妥当か」という話に変わり、「…傍証としてわずかに言及されているに過ぎないので、~」などと記事における位置づけの話に戻っているのが顕著ではないかと。(念のため言いますが、加筆するべきという根拠は一番始めに説明しております)。あと、あまりこういう話はしたくないのですが、「ま、いいです、私は今のところそれほど本件に関心があるわけではないので。」などというのは、思っていても口にするべきではないですよ。そのような態度で編集されて、「Kurz殿の編集を尊重しよう」と思う方はいないと思います。--伏儀 2011年1月23日 (日) 04:23 (UTC)[返信]

(インデント戻す)そもそも万世一系からのコピー&ペーストで、履歴継承違反になっています。--rshiba 2011年1月20日 (木) 05:25 (UTC)[返信]

今回のように執筆者と転記した者が同一人物の場合は、問題とはされません。--伏儀 2011年1月21日 (金) 03:39 (UTC)[返信]