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ノート:新羅/過去ログ1

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新羅の読みについて

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新羅ってなんで「しらぎ」っていうの?当時の日本語からできたことばでもあるまいし。『三国史記』のどこみても「しらぎ」っていうことばでてこないよ。
IP:219.25.162.93さん 2005年4月30日 (土) 13:14 (UTC)

百済語読みなんだよ、オマイは朝鮮私塾の学生か?
利用者:Sionnachさん 2005年6月25日 (土) 01:49 (UTC)

大和朝廷の最大の友好国が百済だったからじゃないの? なら、お前は明日からスペイン(英語読み)をやめてイスパニア(現地語読み)と言えよ。
IP:202.223.93.2さん 2005年6月25日 (土) 01:56 (UTC)

みなさん、ノートへの記入では署名を付けるようお願いします。「~~~~」を文末に付けるだけですので。(おせっかいでしょうが、今回は署名と時間を付記させていただきました)

ところで「しらぎ」ですが、一般に日本では「新羅」をそう読むからそう書いてあるのです。Wikipediaは百科事典ですから、最も一般的なものがまず説明されるのは当然のことですよ。 -- NiKe 2005年6月25日 (土) 02:25 (UTC)

本来は、シラと読むようです。ただ、日本は新羅と敵対関係にあり、敵対の意思をこめて、シラにギをつけて新羅といったとか。--Suifu 2006年8月30日 (水) 13:28 (UTC)

横から失礼します。新羅ですが、現代朝鮮語でシルラに類似した音で呼ばれるのは記事本文にありますが、新羅の原型になったと考えられる辰韓の国名表記が斯盧国であることから、古くよりシラに類似した音が朝鮮半島における名称であったようです。一方で日本語のシラギですが、古くは百済(クタラ)と同じく清音でシラキと読んでいたことが訓点などの研究からわかっているそうです。このため、敵意を込めてギを付けたという説は恐らく成立困難です。相当古い時代にはシラが日本語でも新羅の呼称であったかもしれません。(万葉集に新羅奇という表記例があり。ここの3696番を参照)。シラギという呼称の成立については、極めて古い時代に現地音に近いシラに、日本語のが接続されてシラキという読みが成立し、その後濁音化してシラギになったという解説をよく見ます。なお、日本語のとは、城を意味する(城戸、赤城などのキ)であり、シラキとは新羅の首都を指す語であったものがやがて国全体を指す語に転化されたものと解されるようです。なお、残念ながら主にネット上の記述を元にしていますのでソースとしてはやや心もとないです(^^;、ただ何年か前に図書館で読んだ辞典でも類似した説明があった記憶があります。なんにせよシラキ、或いはシラギは、万葉集の時代から存在する極めて伝統的な読みであることだけは確実ですので、日本語の辞書として読み方がシラギであるとされるのは妥当であると思います。--TEN 2006年8月30日 (水) 14:52 (UTC) ■文面修正--TEN 2006年8月31日 (木) 03:31 (UTC)

英文表記

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Shillaが外国人が読むために自然ですけど、なぜ韓国語読みの表記しかないのですか?ここは日本語WIKIなんですから。 BUSANをプサンと発音できるのは第1音の濁音を清音で発音する国家のひとだけです。 --Lulusuke 2006年9月15日 (金) 17:13 (UTC)

保護解除

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Vandalismが反映された状態で保護されており、問題があります。保護の早急な解除が必要と考えます。--60.34.72.27 2006年10月3日 (火) 08:22 (UTC)

異論はないようですね。まひと 2006年10月10日 (火) 13:31 (UTC)

2006年8月14日15:13 (Real Madridさん編集)の版に差し戻すことを提案します。理由は現在の版はWP:NOR(独自の調査)およびWP:VERIFY(検証可能性)に抵触している、と思うからです。一週間ほど待って、反対意見がなければ合意に達した、と判断し保護解除を再度申請します。--Redpepper 2006年10月21日 (土) 12:45 (UTC)

一週間以上経ちましたが、反対意見はないようですので上記内容で合意に達した、と判断させて頂きます。--Redpepper 2006年10月29日 (日) 17:51 (UTC)

保護解除までの間のメモ

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2006/11/5より保護に入ってしまいましたので

  • 新羅王の呼称について、初代赫居世のみ居西干、二代目のみ次次雄、3~18代は尼師今(尼叱今とも書かれる)、19~22代は麻立干、23代以降でとなること。
    • そして新羅王の一覧を、新羅の記事には「朝鮮国王の一覧#新羅を参照」としているけれど、そちらのページでは尼叱今と記されており、尼師今の表記とのどちらをとるべきか、迷われること。2006年11月11日時点では尼師今・尼叱今の記事は存在していないが、今後リダイレクトで寄せていくとしても、記事名上の表記は混合させたくない。(このことは別途協議していくべきかともおもいますが
  • 官位制度として、「○サン」というのがいくつもあるのですが、このサンの字が「飡(飡はにすいに食)」とするものと「さんずいへんに食(MS-IMEの手書きパッド入力では探せませんでした)」とするものとがある。
  • 官位制度の一覧は「京位」に一本化されてり、それ以前の「外位」との並行期間のあったことを追記。

ひとまず、以上の件を忘れないように書いておきます。--田英 2006年11月11日 (土) 12:50 (UTC)

  • 官位の節、金庾信‎だけに与えられたのは大角干では無く、そのうえの太大角干。
  • 建国神話の最終節の奈勿王の誤字訂正(奈忽王)
  • 上代中代下代の根拠(新羅本紀・敬順王・末尾)

これらも編集したい内容です。--田英 2006年12月13日 (水) 14:29 (UTC)