ノート:日本の文化/過去ログ1
このページは過去の議論を保存している過去ログページです。編集しないでください。新たな議論や話題は、ノート:日本の文化で行ってください。 |
執筆について
[編集]- 日本の正しい文化の理解を深めるためにも、誰か文化に詳しい方、是非とぞ進んで執筆してください。
- 地方の文化は、ほかに近いことが書かれている記事があれば、ぜひリンクをお願いします。
- 文化の分類が難しいので、適当に追加してもかまいません。知っていることを追加してもらえればよいかと思います。
--Peka 2005年1月8日 (土) 03:33 (UTC)
- 記事執筆の際、難しい漢字は、下のようにルビを付けてくださると助かります。「難しい」の基準は、執筆する皆さんにお任せします。以下の灰色(■色)の枠内の文章を編集画面にコピー&ペーストするだけで、ルビをふるときのテンプレートが作成できます。<rb>と</rb>の間に漢字、<rt>と</rt>の間にルビを入れてください。
<ruby><rb>漢字</rb><rp>(</rp><rt>るび</rt><rp>)</rp></ruby> |
- 上のテンプレートが実際はこんな感じに表示されます。
漢字
--Peka 2005年2月23日 (水) 07:23 (UTC)
和
[編集]「日本の文化を表す文字として、「和(倭がくずされた文字)」、「大和」などがよく使われるが、それらはいずれも元は日本の国家そのものを表していた言葉である。」って何を言いたいのか、わかりません。 --忠太 2005年5月14日 (土) 14:42 (UTC)
- すいませんでした。「日本の文化を表す文字として、「和(倭がくずされた文字)」、「大和」などがよく使われるが、それらはいずれも元は日本の国家そのものを表していた言葉である。」という文で「国を表す文字が、文化を表す文字に変わってしまうほど、昔から日本文化は日本という国を象徴するものである。」という趣旨を表したかったんですが、執筆しているうちに違う趣旨に変えてしまって、意味不明になったんだと思います。以上に関して広く意見を求めます。--Peka 2005年5月22日 (日) 02:58 (UTC)
- 「倭」というのは中国人が使った蔑称らしい(?)ので、ことさら使わなくてもよいのでは。また、文化を論じる場合は「国家」という言葉を余り使わない方がよい気がしますが。論理的にうまく説明できませんが。
- (一案)日本の文化の特徴をもつ事物を指す言葉として、「和」「和風」という言葉がよく使われる(例:和文、和歌、和服、和食、和風旅館など)。和は古くから日本を示す言葉で、漢(中国)や洋(西欧)などの事物に対比して使われる。また「大和」という言葉が使われる場合もある(例:大和言葉、大和魂、大和撫子など)。これらは古代から続く日本人の精神を示すことが多い。大和も日本を示す古い言葉である」こんなあたりではどうでしょうか?
2005年5月21日 (土)に 本文 歴史<概要> に付された疑問と解消(暫定)
[編集]“征服されない周辺国”について。
有史上、「日本」の主権が失われたのは第二次世界大戦後のアメリカによるものだけで、たとえば古代のヨーロッパや朝鮮半島のように、民族または国家が無くなったりまた生まれたりという征服を受けていない、帝国主義時代の植民地になっていない、という意味で“征服されない”、と書きました。地球上全体でというとわかりませんが、たとえば「主要国」などという表現で思い浮かぶ国々の中では、その歴史のあり方はひとつの特徴なのだそうです。Uryah 2005年5月21日 (土) 09:14 (UTC)
- すぐ後ろには「アメリカの51番目の州」と書いてあるし、やはり征服されているのかも? --忠太 2005年5月21日 (土) 14:05 (UTC)
- なるほどですね。“征服されない”という言葉で表現しようとしたところは、“自領土上の大半を外国の軍隊が縦横に蹂躙してまわり、結果奪われて無くなってしまった経験が無い、あるいはこれを再生・再獲得するのに武力を行使する経験が無い国”ということで、この特徴を表現しようとしたものです。この旨の記述があれば、「征服されない」という文言に固執しません。また、特徴の文面への記述についても、見守ります。Uryah 2005年5月21日 (土) 21:57 (UTC)
「“不安のあまり暴走した”側面」について。
たとえば映画『ラストサムライ』で描かれているように、日本が開国したのは帝国主義の接近・包囲によるものでした。そこから軍国主義になり東アジア・太平洋で戦争に突入していった理由は、「戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった」(ダグラス・マッカーサー)というものでした。しかし戦争・戦場・戦争地域を拡大しないで生き残る道を探る動きもあったなかで、中国大陸で関東軍が統帥権の干犯を盾に日本国政府の立場・判断を無視して戦線を拡大したなど、戦争が拡大していった動きの中には集団主義の“暴走”の面がある、という意味で書きました。Uryah 2005年5月29日 (日) 00:18 (UTC)
- それだと、軍事史か政治史の話でしょうか? --忠太 2005年5月31日 (火) 15:02 (UTC)
- 文化・民族性の話のつもりで書きました。日本人・文化を集団主義の社会として理解する発想です。相対的に、「演説や概念、発想や思想に人が魅きつけられて社会が動く」のではなく、「集団や社会が動く源・力は同調(強迫)である」部分が暴走した、というつもりで書きました。Uryah 2005年6月1日 (水) 12:15 (UTC)
歴史の総括の部分の記述についてですが、「?“アメリカにより征服された周辺国”」「?『“不安のあまり暴走した”側面があったのではないか』」と?が付いたままで、提案もないようですので、とりあえず下記のようにではどうでしょう?
<現在の部分>
強大な中華帝国唐が盛んな時代には、漢文を流暢にこなすことは(つまり中国語を流暢にこなすことは)、貴族にとって重要なことだった。「国風文化」の時代にかな文化は起きたが、絵画の世界では中国の山水画がもてはやされた。江戸時代、鎖国の世に国風の気が高まったが、「好んで唐言葉を使う」という良寛坊主が残した戒語のひとつが、当時の時代の気分(社会の気分)を表し出している。
日本の文化は明治維新と連合国占領時代の2度、大転換期を迎えている。われわれ現在の日本人が伝統的文化はこの時期に政策的に生まれたものがほとんどである。また日本人以外がイメージする「日本」の文化も、同時期に生まれたもの、もしくは時代劇などの映像などからのもので、日本人から見れば「誤った認識」とも受け取れるイメージも数多い。しかし最近では日本製品やコンテンツなど今までとは違った「日本」のイメージを持つ者も増えてきている。
(スタブ:感想含む) 東映無国籍映画、21世紀初頭の若者に見るアメリカ合衆国の黒人の音楽に直接影響を受けたヒップホップなど、常に自文化より上位の文化を欲し、?“アメリカにより征服された周辺国”として位置してきた。「明治維新以降-第二次大戦降伏まで」の時代が日本文化が自立を目指した時代ともいえるが、それは現在振り返って見るなら、?「“不安のあまり暴走した”側面があったのではないか」という見方もある。
アメリカの51番目の州と自嘲・揶揄される場面もある21世紀初頭の今日、日本文化は“自立”するのだろうか(自立することが“善”ではない。その逆でもない。善悪の問題ではない。あるいはまた、日本文化の持つこの特徴が、世界に平和をもたらす何かヒントを持つのかもしれない)、といった感想や展望もある。
<新>
(1)強大な中華帝国唐が盛んな時代には、漢文を流暢にこなすことは(つまり中国語を流暢にこなすことは)、貴族にとって重要なことだった。「国風文化」の時代にかな文化は起きたが、絵画の世界では中国の山水画がもてはやされた。江戸時代、鎖国の世に国風の気が高まったが、「好んで唐言葉を使う」という良寛坊主が残した戒語のひとつが、当時の時代の気分(社会の気分)を表し出している。第二次世界大戦直後には、北海道で荒野のガンマンを演じる東映無国籍映画、21世紀初頭にはアメリカの黒人の音楽に直接影響を受けたヒップホップなどである。
(2)「明治維新以降-第二次大戦降伏まで」の時代が、日本文化が自立を目指した時代ともいえるが、それは現在振り返って見るなら、「集団主義の側面が“不安のあまり暴走した”部分があったのではないか」という把握の仕方もある。
(3)アメリカの51番目の州と自嘲・揶揄される場面もある21世紀初頭の今日、日本文化は“自立”するのだろうか(自立することが“善”ではない。その逆でもない。善悪の問題ではない。あるいはまた、日本文化の持つこの特徴が、世界に平和をもたらす何かヒントを持つのかもしれない)、といった感想や展望もある。
(4)日本の文化は、明治維新と連合国占領時代の2度、大転換期を迎えている。われわれ現在の日本人が伝統的文化はこの時期に政策的に生まれたものがほとんどである。また日本人以外がイメージする「日本」の文化も、同時期に生まれたもの、もしくは時代劇などの映像などからのもので、日本人から見れば「誤った認識」とも受け取れるイメージも数多い。しかし最近では日本製品やコンテンツなど今までとは違った「日本」のイメージを持つ者も増えてきている。<新ここまで>
Uryah 2005年6月11日 (土) 23:45 (UTC)
- (1)の良寛坊主→東映無国籍映画→ヒップホップの展開はよく意味がわかりません。(2)の「不安のあまり暴走」という表現には不満のあまり暴発しそうです。
- 「明治維新以降-第二次世界大戦降伏まで」の時代には、帝国主義国が植民地争奪を繰り広げる国際環境の中、西洋の圧倒的な文明と先進文化を前に日本のアイデンティティをどう捉えるかが課題であった。しばしば外国崇拝(拝外)とその逆の排斥(排外)が極端に繰り返されてきた。この傾向は第二次世界大戦後にも垣間見られる。 ← この程度の表現ではどうでしょうか。 --忠太 2005年6月12日 (日) 11:40 (UTC)
- 提案・応談ありがとうございます。さて、
- (1)日本文化の中にある、「文化の先端を担う者が、時代時代の文化の中心国を向き、日本国内向けにはその中間点に立って、伝える、開示する役回りを演じる」動き・形(の例)を並べたものです。「アメリカが強大な現在は英語を喋れるとかっこいいですが、その感覚は、中国が強大な時代に中国語を喋れるとかっこよかったのと同じです。いま漢文を見れば古くて堅いイメージですが、漢文がかっこよかった時代に日本人が漢文を見た感覚は、いま英語がかっこいいのと同じです」という日本文化の伝統の一側面を、いっています。
- つまり、「日本文化は有史以来、文化として、あるいは精神的に、自立していないことが特徴(という側面を持つ)文化である。その意味は、自文化(自国)より常に上位の文化(国)が存在しないと精神的に安定しない文化である」ことの<例>です。
- (2)は概ね賛同します。でも表現を少し変えて、下記ではどうでしょう?
- 「明治維新以降-第二次世界大戦降伏まで」の時代には、帝国主義国が植民地争奪を繰り広げる国際環境の中、西洋の圧倒的な文明と先進文化を前に日本のアイデンティティをどう捉えるかが課題であった。第二次世界大戦後は、差し迫った危機感、逼迫間は去った(薄れた)が、文化的に外国崇拝(拝外)とその逆の排斥(排外)の間で振り子を振ってきた。
- Uryah 2005年6月13日 (月) 13:06 (UTC)
- (1)例として挙げているとすれば、「東映無国籍映画」では余りにローカルで、ネタ臭い感じです。あと、個人名は挙げない、という原則からすると良寛は外したいです。「文化の先端を担う者」という視点を入れるとすれば、知識人論を入れてもよいかも。「日本文化は翻訳文化の側面を多く持ってきた。海外の文化を翻訳・紹介し、時には日本流にアレンジすることが知識人の役割であった。江戸時代の儒学者が中国ではなく日本に生まれたことを嘆いたように知識人は先進国と日本を引き比べ劣等感に苛まれることがあるかと思えば、一部の国学者のように日本の文化に独自性を見出し優越感にひたったこともあった(スタブ)」といった感じで。
- (2)排外-拝外は戦前の方がより当てはまると思うのですが・・・・ --忠太 2005年6月13日 (月) 13:56 (UTC)
- (1)東映無国籍映画はローカルだとは思いませんが、「気に入り」ませんか?個人名だといって良寛をはずすなら、百科事典で何かを記述するとき豊臣秀吉をはずすようなものだと私は思いますが、どうでしょう?知識人論が出てきたのは私はわかりません。一方、私が知っている言葉では「知識人」だけじゃなくて、たとえば私が愛する(←これは余計かもしれませんが)ジャズ、私はあまり知らないヒップホップ(を愛する人)でも同じだと思います。でも本当に上記指摘の文言を入れたいですか?
- (2)それは同感しました。「~差し迫った危機感、逼迫間は去った(薄れた)ので、唐・漢が強大な時代と同じになった(自立心が薄れた)」ではどうでしょう?Uryah 2005年6月14日 (火) 14:10 (UTC)
- (1)の前半は外来文化に対する崇拝を一般的に述べているようなので、東映無国籍映画というマニアックな代物(想像はつきますが、まともに鑑賞したことがありません)が出てくるのが唐突すぎると思います。(秀吉も以前の本文にあったのですが、編集で無理やり外しました) --忠太 2005年6月14日 (火) 15:16 (UTC)
- なるほど。では(1)と(2)を合わせて、下記ではどうでしょう?
- --ここから--
- 強大な中華帝国唐が盛んな時代には、漢文を流暢にこなすことは(つまり中国語を流暢にこなすことは)、貴族にとって重要なことだった。「国風文化」の時代にかな文化は起きたが、絵画の世界では中国の山水画がもてはやされた。江戸時代、鎖国の世に国風の気が高まったが、世相を風刺する言葉のひとつ「好んで唐言葉を使う」に、当時の時代の気分(社会の気分)が表し出されている。
- 「明治維新以降-第二次世界大戦降伏まで」の時代には、帝国主義国が植民地争奪を繰り広げる国際環境の中、西洋の圧倒的な文明と先進文化を前に日本のアイデンティティをどう捉えるかが課題であった。第二次世界大戦後は、差し迫った危機感、逼迫間が去った(薄れた)ので、唐・漢が強大だった時代または対外的な危機が薄れた時代と同じ状態になった(自立心が薄れた)。たとえば、21世紀初頭のヒップホップの流行がその一例である。
- --ここまで-- Uryah 2005年6月15日 (水) 11:30 (UTC)
- ひとまず同意いたします。 --忠太 2005年6月15日 (水) 13:17 (UTC)
- では、(3)(4)と一緒に、2005年6月15日版として、とりあえず、記述しておきます。Uryah 2005年6月15日 (水) 13:44 (UTC)
- 「貴族が中国語を流暢に話していた」という記述はおそらく誤りですので、訂正しました。 --忠太 2005年8月7日 (日) 15:25 (UTC)
本文の再訂正はしませんが、「漢文を流暢にこなすことは(つまり中国語を流暢にこなすことは)、貴族にとって重要なことだった」は、現在で言えば英語を流暢に話す日本人を見るとかっこよく感じるし、就ける職業の幅も広がるし、英語を話せることは価値のあることだ、重要なことだ、というのと同じ、という意味の文面で、「貴族が中国語を流暢に話していた」という意味ではありませんよ。
それと、本文の工事中のような状態はよろしくない(この版とこの版)と思い 2005年5月21日 (土) 09:14 と 2005年5月29日 (日) 00:18 にその解消をここノートに呼びかけ、Chutaさんとの話し合いが起こり、結果「2005年6月15日版として、とりあえず、記述してお」くことになって事がクローズした(のだ、と私は考えている)ので、これを未来永劫固定、などとは思っていません。なので、新しく修正「した後」にここに追記は不要ですし、修正「する前」に広く意見を求めたい場合は、新しく項目を作ってください。Uryah 2005年8月8日 (月) 05:50 (UTC)
- (前半)なるほど誤読してました。(後半)勝手にこっそり直したと思われるのも何なので、一応書いておきましたが不要であれば失礼しました。 --忠太 2005年8月8日 (月) 11:38 (UTC)
スポーツの記述
[編集]現状ではスポーツ全般の項目が並べられているだけですが、それはスポーツ一覧にでも譲るべきであって、「日本では相撲が国技である」とか「野球を好む」といった内容を記述すべきではないでしょうか。 --忠太 2005年7月12日 (火) 13:13 (UTC)
- 取りあえず項目の羅列を削除、記述式にしました(加筆を願います) --忠太 2005年7月14日 (木) 14:04 (UTC)
言語
[編集]アイヌ語は「絶滅危惧言語」だと、わざわざカッコ付きで書いてあったのですが、Google で見ても、「危機言語」という用法の方が一般的だと思われます。また、沖縄語に関する記述が何とも微妙に妙な感じがしました。
- アイヌ・沖縄についての記述を入れるとなると、前文から大幅に見直す必要があるかもしれません。通常の「日本文化論」は(アイヌ・沖縄を除いた)大和朝廷~徳川政権中心史観か? --忠太 2005年7月28日 (木) 15:10 (UTC)
本文より移動
[編集]2005年12月22日 (木) 20:49 61.214.55.222 氏の書込み。(→外国から見た日本)
- 大韓民国においては、日本の文化の起源がすべて韓国にあると見なされており、日本の文化を承認していない。
だから何? --忠太 2005年12月22日 (木) 15:48 (UTC)
- 上記の記述はなくなってました。 --忠太 2008年2月1日 (金) 13:50 (UTC)
神道について
[編集]「概要」の節に
- 「神道という言葉」自体は中国(正確にはその当時の中華文明圏)が名付けたものではあるが(中国では完成された哲学や価値観や宗教を「法、教」といい、それより低いものは「道」とした。宗教に上下を付ける事自体が独善であるが)中国の宗教より劣るとされた神道を日本ではこれを国家の宗教として大切に引き継いできた。」
といった記述がありますが、( )内は「神道」の項目で記述すべきでは。全体の論旨からいえば余談的な内容ですし、読みづらいです。 --忠太 2008年2月1日 (金) 13:50 (UTC)
はじめまして忠太さん 概要の神道に関する原文を記述した者です。個人的には中華文明圏の「俺たちが世界の中心」的な発想に辟易しているところもあり、「余談では?」と指摘があった部分も含めて、原文は感情的といわれても抗弁できないですね。59.86.104.42 さんの加筆編集もあり大変読みやすくなったと思います。加えて、ご指摘の点について同意いたします。--220.211.10.54 2008年2月5日 (火) 11:26 (UTC)
関連項目の削除について
[編集]本文の「連合国軍による(戦前よりはるかに強力な)発行物検閲によって戦前や日本の伝統的な文化を全否定する風潮が強くなった(自虐史観)。という記述のなかの「発行物検閲」に「日本における検閲」へのリンクを付けましたが、荒らしの人にしつこく削除されます。リンク先には
- 敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) は日本占領時には1945年に「言論及ビ新聞ノ自由ニ関スル覚書」や「日本ノ新聞準則ニ関スル覚書」(いわゆるプレスコード)を出した。また日本のマスコミへの事前検閲を行い、反占領軍的と判断した記事(占領軍兵士による犯罪なども含まれた)を弾圧して全面的に書き換えさせた。なお、これらの言論統制をウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムと称する命令の一環として見る文芸評論家の江藤淳の説がある。
と、本文の「連合国軍による発行物検閲」についての詳細な説明がありますので、リンクを消さないで下さい。「検閲」が日本の文化と無関係なら、前引の本文全体の削除が必要です。--ΑΩ 2008年4月6日 (日) 06:30 (UTC)
一方を荒らし認定するのは個人攻撃の荒らしになることを知りましょう。現在の記事の状態(文の中でリンク)ならば理解しますが、関連項目にリンクとなると、まるで日本文化が「検閲」であるようになってしまいます。ここは日本文化の記事ですので、日本文化の関連項目にしてください。--210.231.3.254 2008年4月6日 (日) 06:42 (UTC)
私がはじめに関連項目に入れた場所は「情報・通信・マスメディア」のところですので、まったく問題ありません。本文の冒頭の2行目にも「本項では日本の文化全般について、幅広く過去から現在への事象を取り上げ、概要の説明やリンクを示す。」と、この項目の方針が述べられております。したがいまして、「まるで日本文化が「検閲」であるようになってしまいます」というあなたの主張を理解することができません。--ΑΩ 2008年4月6日 (日) 06:57 (UTC)
「日本における検閲」が「日本の文化全般」に入るのですか?そのセンスが理解できません。--210.252.201.204 2008年4月6日 (日) 08:58 (UTC)
「情報・通信・マスメディア」のところに日本における検閲が
(引用開始)
情報・通信・マスメディアの発達は日本文化に大きな影響を与えている。
(引用終了)
というかたちで、入っていると、あなたには「まるで日本文化が「検閲」であるようになってしまいます」という誤解を生んでしまうのですね。たぶん他の方にはそのような誤解は生じませんので、ご安心下さい。あなたには理解はきっと不可能ですのでおあきらめ下さい。。--ΑΩ 2008年4月6日 (日) 10:03 (UTC)
「日本における検閲」だけが浮いてますね。確かに、あなたのセンスは理解できませんわ。--210.231.14.191 2008年4月6日 (日) 17:41 (UTC)
上記を見て「「まるで日本文化が「検閲」であるようになってしまいます」とするあなたには永遠に理解不能だと思います。荒らし相手は時間の無駄ですので、リバートしておきます。--ΑΩ 2008年4月6日 (日) 22:10 (UTC)
「荒らしとは何か」をまず勉強してきましょう。--210.252.201.248 2008年4月13日 (日) 07:39 (UTC)
ΑΩが無期限ブロック者の荒らしでした。--210.231.1.252 2008年5月11日 (日) 10:14 (UTC)