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ノート:日本の鉄道史 (大正-昭和前半)

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要出典タグについて

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米軍戦略爆撃調査団の資料によれば、太平洋戦争で日本の鉄道網の破壊に失敗した。とありますが、(部分的ではなく、全体的に)破壊されたとする、資料をお願いします。-- 2006年11月21日 (火) 00:35 (UTC)[返信]

初版執筆者のMiya.mです。さんが繰り返し「要出典」を貼られる理由についていぶかしんでおりました。さん、本文を読んでください。概要では(部分的ではなく、全体的に)破壊されたではなく惨憺たる状況に陥ったと書いています。「惨憺たる状況」イコール「全体的に破壊された」と読み違えていらっしゃいませんか?
日本の鉄道を「全体的に破壊」しようとすれば、主要路線の長大橋梁の大半を破壊し、鉄道工場の機能を殆ど失わせ、車輌や路線や駅舎の大半を破壊する必要があります。第二次世界大戦末期の日本の鉄道はそこまで破壊されていませんが、整備不良と空襲による被害は重大でした。記事もそのように書いています。また原爆投下直後の壊滅的被害に要出典を張られていますが、逆に「壊滅的な被害は無かった」という出典をお願いします。手元の文献で見る限り、一旦完全に不通になったこと、鉄道人の努力により運行再開は比較的早かったが被害が完全に復旧するまで長期間かかったことについて齟齬はありません。
なお初版から参考文献を上げていますので、繰り返し「要出典」を貼られるからには参考文献を全て読破された上でのご発言でしょうね?明確なご返事をいただけますようお願いします。Miya.m 2006年11月21日 (火) 14:19 (UTC)[返信]

== 列車の件==

例えば、広島の鉄道は原爆投下の当日中には、運行を再開。下記参照。横川駅・原爆被災説明板 市内の、路面電車も3日以内に、運行再開。 終戦までに、電気、水道も再開。

「輸送能力が低下した」という程度で、「惨澹たる状況」とまでは言えないと思いますよ?-- 2006年11月21日 (火) 15:05 (UTC)[返信]


浩氏が会話ページではなく私の利用者ページに書き込まれたのでこちらに転記しました。返事はまた後ほど。--Miya.m 2006年11月21日 (火) 21:37 (UTC)[返信]

こんばんわMiya.mです。 さん、具体的に説明していただけると反論もしやすくなります。まず初めに「運行を再開」は上記の外部リンクに書かれた「被災者を運ぶ列車」のことでしょうか?広島も長崎も原爆投下当日に被災者を救助するための列車がありました。これは「できるだけたくさんの被災者を救いたい、行けるところまで行って救助しよう」という列車で、運行再開ではありません。この列車をもって運行再開とおっしゃるのなら「議論したいのならもっと調べてください」と申し上げます。要出典を貼るからにはそれなりの見識を示してください。なお終戦時の国鉄については「壊滅状態」(国鉄の戦後が分かる本)などの例があり、「惨憺たる」の表現も許容かと思いましたが、そこまで読み違える方がおられるのでおいおい直してゆきます。Miya.m 2006年11月22日 (水) 13:34 (UTC)[返信]

こんばんは。丁寧なお返事ありがとうございます。壊滅(潰滅、かいめつ)とは、組織や機構などがすっかり壊れて無くなってしまうことを言います。(国語辞典参照)壊滅的とまでは言えないと思います。詳細は、米国戦略爆撃調査団資料(Records of the U.S. Strategic Bombing Survey) と 米国戦略爆撃調査団活動史(History of the U.S. Strategic Bombing Survey; Pacific, 1945-1946) に、詳しく書かれていますので、参考にしてください。-- 2006年11月22日 (水) 15:26 (UTC)[返信]

ケーブルカートロリーバス殖民軌道軽便鉄道など、結構いろいろ抜け落ちている気がします。この項目の趣旨からすれば、不要なのかもしれませんが(鉄道の歴史 (日本)日本の鉄道史には記させている)。(2006年11月13日 (月) 14:21の版 125.0.184.183 さん)