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ノート:日本ホーリネス教団

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戦後の日本ホーリネス教団は、戦前の日本ホーリネス教会の再建であると考えられていますが、やはり、日本ホーリネス教会は、日本ホーリネス教団は、ホーリネス信仰という点では同じですが、組織の性格から言っても別の組織だと思います。戦前の分裂までの日本ホーリネス教会は、役員制はあっても、実質は中田監督のカリスマ性で動いてきた組織ですが、戦後は聖教会の代表たちによって運営されているという点で、異なった組織だと思います。 だから、両者を分けて作成するべきだと思います。日本ホーリネス教団の前半を分割するか、または、新しく日本ホーリネス教会を作成したいと思います。--More blessing 2010年3月15日 (月) 11:16 (UTC)[返信]

和教分離ではホーリネス教会の名称を使わないという取り決めがあったのではなかったですか。戦前の日本ホーリネス教会と、戦後の日本ホーリネス教団は、別組織でしょう。似たような例に日本基督教会日本キリスト教会があります。分割あるいは新規項目作成に賛成です。--Evangelical 2010年3月15日 (月) 11:50 (UTC)[返信]
Evangelicalさん、新規項目作成に賛成してくださりありがとうございます。いつも私の質問にすぐに応答してくださりありがとうございます。この分野に明るい人はあまりいないので、貴重な意見が交換できて本当に嬉しいです。これからも、いろいろご教示下さい。

「再建」についての疑問

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『中田重治伝』の499ページに和協分離の「覚書」が掲載されています。その三項目によると、「両団体は今後旧名称を用いず、新に自己の教会並びに財団の名称を選定使用す」(原文は漢字とカタカナ)とあります。

それゆえに和協分離の際に、両者とも「ホーリネス」の名称を避けながらも、ホーリネスにちなんだ名称にしようと、中田重治監督側の「きよめ教会」と委員会側の「日本聖教会」と、双方新名称をつけたわけですが。

周知のように戦後の日本ホーリネス教団設立の際には、和協分離の覚書を知っていたが無視して、継承せずに、新教団に「日本ホーリネス教会」という名称を付け、それを、後に「日本ホーリネス教団」に改称しています。これは、和協分離を無視して、正当性を主張しているということです。日本聖教会ときよめ教会それぞれ、日本ホーリネス教会を継承しています。どちらかが一方的に離脱したのではなく、互いに正当性を持つ、互いに合意の上で分離した団体です。

日本ホーリネス教団の創立時には、きよめ教会は組織として存在していませんでしたから、きよめ教会の立場を考える必要はなかったのかもしれません。当時、関係者で私と同じように、日本ホーリネス教団の創立時の正当性について、疑問を持つ意見があったら是非知りたいです。

一方基督聖協団基督兄弟団などの旧きよめ教会の流れを汲むは団体は名称に「ホーリネス」を一切使用していないようです。実際には、基督聖協団はきよめ教会の延長であるとして、基督兄弟団を離脱して、新教団を形成しましたが。基督聖協団の指導者は森五郎、谷中廣美、田中敬止など中田重治監督から直接後継者の指名を受けている人物です。特に、森五郎は中田重治の後継者ですので、和協分離が生きていれば、正当性があるはずです。

車田秋次ら旧日本聖教会の一部の指導者が、「ホーリネス」の名称を用いたのは、母団体の東洋宣教会レテー・カウマンが旧日本聖教会の車田秋次に「ホーリネスの再建」を申し出たということが大きいと思います。日本ホーリネス教団は、戦前の日本ホーリネス教会の母団体である東洋宣教会が公認した車田秋次が指導者になっていますので、かつての分裂を起こす前の古き良き日本ホーリネス教会再建したいという、東洋宣教会の意向を考えれば、 東洋宣教会は車田に、和協分離以前にさかのぼるもともとの正統性を与えたということなのかもしれません。再建とは日本聖教会や日本基督教団六部でもなく、1936年の和協分離以前の日本ホーリネス教会の再建と理解します。

しかし、車田師は、分裂→和協分離→日本聖教会→日本基督教団参加→弾圧→解散という流れの中で一番の責任者であったわけで、和協分離の誓約書に署名捺印したのは、中田監督と車田師御本人なのです。ですから中田監督との誓約から言っても、和協分離を無視してはならないと思うのです。「ホーリネス」の名称は使うべきではないでしょう。それとも、事前にきよめ教会の関係者との合意があったのであれば良いのですが。それとも、和協分離が無効であるという法的根拠があったのならば是非教えて欲しいのですが。

どうしても「ホーリネス」にこだわるならば、中田重治監督ともまったく分断した、戦前の日本ホーリネス教会とはまったく関係のない団体でければならないと思います。そうでなければ「ホーリネス」という名称は使えないのではないでしょうか。その意味で、日本聖教会の延長でも、日本ホーリネス教会の延長でもないと思われます。

そうなると、小原十三司が指導者の日本基督教団に残ったホーリネスの群の場合も同じく関係ないのでしょうか。「ホーリネス」の名称を用いるならば、和協分離の精神とは直接関係ない新規の団体であるとみなすのが妥当だと思います。

1936年からのホーリネス分裂事件の時に,阿部義宗松山常次郎など、日本キリスト教界の指導者たちが、問題ついて憂え、三年かかって苦労に苦労を重ねて成立させた和協分離が、戦中戦後のどさくさで、うやむやになっている可能性が高いです。

戦後のどさくさはホーリネスだけではありませんでしたので、戦後の歴史の事実として仕方がないのかもしれませんが、でも百科事典はどの立場に対しても公平であるべきで、知的探求をする人すべてが分かるようにすべきで、この事実を明らかにする必要があると思います。聖書学院の問題に関しても同じだと思います。和協分離の際に、きよめ教会が聖学院を使うことが確認されたはずなのに、戦後のどさくさで、日本ホーリネス教団は同じところに1950年に東京聖書学院を設立して、これは柏木聖書学院の再建であり、創立百年以上たっていると、ホームページで堂々と主張しています[1]。しかし、教団と同じように正当性は疑われるべきです。

また、日本基督教団への統合によって、実質的に聖教会は消滅して、さらにホーリネス弾圧事件を経て、当時の政府と日本基督教団によってホーリネス系の教会はすべて解散が命じられたのですから、戦中にホーリネスの流れは一度消滅していると考えるのが普通だと思います。

ですから、日本ホーリネス教団が主張している1949年の「再建」は、客観的に言えば新規の「創立」なのではないでしょうか。1917年の日本ホーリネス教団の創立は、たとえ日本ホーリネス教会の精神は受け継いでいたとしても、実際の組織としては、新規の創立と考えるのが歴史学の見地からは妥当ではないでしょうか。

実際、日本ホーリネス教団の「宣言書」を読んでも、再建という言葉はできません。日本基督教団を離脱して、新教団を創設したとしか読み取ることはできません。車田先生をはじめ代表者は、日本聖教会ではなく、おそらく和協分離の以前の、日本ホーリネス教会をもう一度作りたいと考えたのだと思いますが、そうなると再建ではなく、別の団体です。

日本ホーリネス教団の記事はこれらのことが曖昧であり、日本ホーリネス教会に有利な立場に偏っていると思われます。あたかも、戦前の日本ホーリネス教会と戦後ホーリネス教団が連続しており、日本ホーリネス教団が唯一の正統派のように受け取られてしまいかねません。あたかも、きよめ教会が存在しなかったような記述です。

結論としては、戦前の日本ホーリネス教会と日本ホーリネス教団は、まったく別の団体と考えるべきです。そして、旧きよめ教会系にたいしても公平にするべきだと思います。将来、十派に分裂した団体が、合同して新教団を作るならば、その時に、正統派として堂々と「ホーリネス」を使えばいいだけのことです。その時は、和協分離がまったく無効になる時です。

日本ホーリネス教団のホームページの教団の歴史を見ると、日本ホーリネス教会→日本聖教会→日本基督教団→日本ホーリネス教団という流れになっています。この流れが正統派であると宣伝していますが。これでは、もう一つの正統派であるきよめ教会の存在が消えてしまっています。もう一度、和協分離の覚書に立ち戻る必要があるのではないでしょうか。

決して、日本ホーリネス教団と車田先生を誹謗中傷ているわけではありません。ホーリネスの歴史を研究していて、学問的な良心から生じた疑問をこの場で提示してみました。あるいは、私の方が間違っている可能性もありますので、お気づきの点を是非ご教示下さい。

今後これらの歴史的な経緯がクリアーになるように加筆修正、もしくは分割を試みたいと思います。日本ホーリネス教団の分割について異論がある方は、是非ご意見下さい。お待ちしています。分割に賛成してくださる方もいるので、分割が相応しくなければ、日本ホーリネス教会の新規作成を試みたいと思います。

--More blessing 2010年3月15日 (月) 23:21 (UTC)[返信]

分割と訂正の意図

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これまでは、日本ホーリネス教団日本ホーリネス教会と連続性があるような記述でしたので。しかし、これは歴史的事実ではありません。日本ホーリネス教団が主張しているだけのことですので、訂正しないならば日本ホーリネス教団の正当性を宣伝する記事になっていました。だから、告知したように日本ホーリネス教会として、前半の戦前の歴史を分割しました。 これまで、日本ホーリネス教団の記事は、あまりにも日本ホーリネス教団側の視点に立った記述で、百科辞典的ではありませんでした。また、文体も客観性を書いていましたので、訂正しました。なお、気をつけた点は。

1.日本ホーリネス教団日本聖教会の関係者によって形成さたことを明確にすること。
つまり、同じく正統派である、きよめ教会の関係者は含まれていないことを明らかにする。
2.東京聖書学院柏木聖書学院の非連続性を明確にすること。
実際に、和協分離で委員側が去った後は、中田重治監督側で教師陣の体制を整えている。一方、委員側では別の神学校を設立しているので。そして、委員側の関係者が戦後1950年に同じ場所に東京聖書学院を設立したので、両者は同じ場所にあってもまったく違う学校であること。
3.日本ホーリネス教団の自己宣伝的な表現を、百科事典的な客観的な表現に書き換えること。--More blessing 2010年3月19日 (金) 00:23 (UTC)[返信]