ノート:早瀨久美
表示
この項目では存命人物を扱っているため、公式方針である存命人物の伝記を厳守する必要があります。訴訟になりそうな記述については、出典が明記されていなかったり、信頼性に乏しい情報源を出典としている場合、直ちに除去しなければなりません。{{要出典}}や{{要検証}}などのタグを貼るなどして記述の出典を求める行為は、このケースにおいては間違った対応です。そのような記述を残したままにしないでください。名誉毀損のおそれのある記述については特にこれが強く当てはまります。 |
姓と出身地について
[編集]初版投稿者です。一般には「早瀬久美」表記が多いですが、戸籍上の正しい姓の表記は「早瀨」だそうで[1]、自著『こころの耳 伝えたい。だからあきらめない。』(ISBN 978-4-06-212537-6)での著者名も確かに「早瀨久美」、デフリンピックの日本選手団名簿でも同じくです。ご主人はすでに早瀬憲太郎として立項されており、新聞やニュースでは大抵「早瀬」、NHKみんなの手話でも雑誌『ノーマライゼーション 障害者の福祉』でも「早瀬」ですので、どうしたものかと迷いましたが、確認した限り「早瀬」表記が多く(WP:CRITERIA『認知度が高い』)、そもそも「瀨」は環境依存文字らしいので(WP:NC#記事名に使用できる文字)、本記事名としました。
また、これも記事中に書きましたように、自著『こころの耳~』の28頁に、お母様の実家のある大分県宇佐市内で病院で誕生し、その後は本来の住居である岡山県倉敷市で育ったとあります。こうした場合は出身地は大分と岡山のどちらになるのか?と思いましたが、神戸新聞 朝刊 2001年7月20日朝刊2頁の記事「聴覚障害者として初めて薬剤師免許を取った早瀬久美さん」で大分出身とありましたので、大分出身としました。--逃亡者(会話) 2017年10月9日 (月) 10:08 (UTC)