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ノート:明石行雄

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明石行雄への改名を提案します。明石景親の名で広く知られていますが、実際には発給文書の上で「景親」と名乗った事は一度もないようです。実名がリダイレクトとなっている現状は不適切であると考えますので、「明石行雄」の項へと本文を移した上で春日虎綱のページのように景親の名を併記する方式に変更したいと思っています。--Bakira会話2012年12月1日 (土) 13:24 (UTC)[返信]

コメント 念のため、発給文書上では「行雄」と名乗っているが「「景親」と名乗ったことはないということが確認できる出典をご教示下さい。--立花左近会話2012年12月1日 (土) 17:26 (UTC)[返信]
コメント 出典の明記を忘れていましたね、申し訳ありません。出典は大西泰正「明石行雄について」(『宇喜多家史談会会報』第44号)です。--Bakira会話2012年12月2日 (日) 11:44 (UTC)[返信]
コメント ありがとうございました。--立花左近会話2012年12月2日 (日) 12:04 (UTC)[返信]
コメント すみません、ご教示いただいた出典ですが、このサイト内を見る限り、会員制の団体の刊行物で、信頼できる情報源と言えるのかどうか分からないのと、実見するのが困難で検証性に乏しいのではないかと思われます。大西泰正さんについても、著書が2冊おありになることは確認しましたが、失礼ながら名のあるとはいえない出版社のものでした。しかし、複数の有名書店で入手可能ですし、ご本人のブログによればですが、講演をされたりNHKの番組へのビデオ出演もおありになるので(この番組は有名とはいえない郷土史家の方もご出演されますので微妙ではありますが)、こちらはいいとしても、検証が困難でないもう少し信頼性の高い情報源があった方がいいと思います。同じ大西さんの『「大老」宇喜多秀家とその家臣団―続豊臣期の宇喜多氏と宇喜多秀家』あたりにも載っているなら、さしあたりそれでもいいと思いますが。--立花左近会話2012年12月2日 (日) 13:39 (UTC)[返信]
コメント 『「大老」宇喜多秀家とその家臣団―続豊臣期の宇喜多氏と宇喜多秀家』は手元にないですね・・・他に出典にできそうなものが無いか図書館で調べましたが藤井駿『岡山の歴史と文化』(福武書店、1983年)に「景親と自著したものはない」との記述が見つかりましたので出典を確認の容易なこちらに変えたいと思います。--Bakira会話2012年12月8日 (土) 11:02 (UTC)[返信]
コメント ご調査お疲れ様でした。新たな出典をご提示いただきましたので、改名には反対いたしません。明石全登と違い、この人物の良質な出典を探すのはなかなか難しそうですね。--立花左近会話2012年12月8日 (土) 14:04 (UTC)[返信]
コメント 3週間以上経過しましたが特に反対意見は無いようですので移動を実行しました。--Bakira会話2012年12月31日 (月) 10:54 (UTC)[返信]