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ノート:昭和天皇の戦争責任論/過去ログ2

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そもそも。

「完全に中立的視点」においては、「どのような事象についても責任など意味がない」のだが、ばかばかしい議論をしているようですな。

「戦争責任」を当時の憲法を飛び越えて「道義的責任」とやらが有効だとするならば、世界中の有力国の元首という元首全員が「戦争犯罪者」であるのは、少し考えればわかると思うが。

日本は戦争に負けたので「実際問題として」天皇に責任を問える(問うことができた)のは、日本を「侵略」して占領し、分割したアメリカである。 事実として「日本を負かしたのはアメリカ」であり、中国やイギリスやオランダはアメリカの尻馬にのって喚いているにすぎない。

つまり、天皇の戦争責任問題について、アメリカ以外の他の国の意見など無視してもまったく問題などない。


アメリカは話し合いか、政治的判断か、どのような議論の結果によるか推測しかできないが、天皇制を保持した。 つまり、天皇に戦争責任は無い、もしくはあっても免責した。

つまり、天皇の戦争責任「論」は存在自体が無意味なものである。

よって、現在「天皇に戦争責任がある」としたい人間は、道徳的行動とやらが有益だと思い込んでいる困った人間であるか、個人的に目障りなので天皇を排斥したいだけの我がままな人間(団体・国)にしかすぎないかと思われる。

・女性国際戦犯法廷について 個人のブログなみの根拠しかないような法廷を論拠にしていることに驚きました。 謹んでください。 --Dmai 2009年5月3日 (日) 23:26 (UTC)

>「戦争責任」を当時の憲法を飛び越えて「道義的責任」とやらが有効だとするならば、世界中の有力国の元首という元首全員が「戦争犯罪者」であるのは、少し考えればわかると思うが。
このうち、「世界中の有力国の元首という元首全員」これは明らかな間違い。正しくは「戦争を行った国の、その当時の元首は」でしょう。それほど多くはないはずですよ。--Ks 2009年5月4日 (月) 02:21 (UTC)

>「戦争を行った国の、その当時の元首は」でしょう。

なるほど、では具体的にいってみよう。

具体的な名前があげられる「有力な、戦争を行った国の元首」というなら、サッチャー(英女王)、ブッシュ親子、プーチン、オバマ。

また、コソヴォ紛争に、イラク・アフガニスタン戦争に「加担」した元首というなら、この程度ではすまないでしょう。 戦争に加担している=それに対しての責任がある=戦争犯罪者(細かい言葉の使い方をするなら「戦争容疑者」かな)、ということですらね。

ブッシュ親子の西部開拓ごっこ~イラク戦争に加担した国をwikiから少し引用してみましょう~イギリス、韓国、イタリア、ポーランド、ウクライナ、スペイン、オランダ、オーストラリア、日本、ルーマニア、デンマーク、ブルガリア、タイ………(日本国の元首は…誰でしょうか。また、イラク戦争当時の日本の首相はありもしない大量破壊兵器の存在を理由にアメリカの戦争を肯定し、莫大な「戦費」を拠出し、補給任務をかってでていますが…)

>それほど多くはないはずですよ。

先にあげたとおり「世界中の有力国の元首という元首全員」が、必ず戦争に加担しています。 加担していない(できていない)国は、無力とは言わないまでも「有力」ではないか、自国の内部の反乱潰しに忙しいだけのことです。 ご理解いただけましたか?--Dmai 2010年4月5日 (月) 10:05 (UTC)

具体的にあげてみよう!で挙がったのが5人。それで全員ですか?それとも、1人、2人、大勢という数え方ですか?たとえばアメリカ合衆国大統領、これは多分かなり有力でよく戦争にかかわった国ですが、その全員の代に戦争してますか?それ以外の国だともっと少なくなりませんか?さらに、「加担していない(できていない)国は、無力とは言わないまでも「有力」ではないか、自国の内部の反乱潰しに忙しいだけのこと」という風に範囲を限定すれば、それは確かに全員がそうだ、という主張は出来るでしょうが、これは所謂循環理論でしかありませんよ?--Ks 2010年4月5日 (月) 13:02 (UTC)

>具体的にあげてみよう!で挙がったのが5人。それで全員ですか?

サッチャー(英女王)、ブッシュ親子、プーチン、オバマ、と、戦った国の元首も含めると10人ということも書かないとわからないでしょうか。大変失礼しました。有史以来、すべての実例を挙げよというならお断りいたします。Ksの指摘のしかたから推察すると、たとえ20人挙げても「挙がったのが20人。それで全員ですか?」と言う類の人間のようですので。

>1人、2人、大勢という数え方ですか?

いいえ、私は五人まで数えられます。 貴方は二人までしか数えられないようですね。 知能が欠損しているようなので、大変同情いたします。

>これは多分かなり有力でよく戦争にかかわった国ですが、その全員の代に戦争してますか?

アメリカが「有力国」となりつつあった第一次世界大戦以後、残念ながら、ほぼ間違いなくしていると言っても過言ではありません。戦争行為、武力行使、他国の戦争補助に縁がなかった大統領は、カルビン・クーリッジ、ハーバート・フーヴァー程度ではないでしょうか。他にいたのなら、是非教えてください。さらに言うと、第二次大戦以降ならば、中米南米各国で、ラオスで、インドで、南ベトナムで、アフガニスタンで「反共なだけで、どーしよーもない軍閥や国」をえんえんと支援し続け「紛争ながびかせ、テロを扇動し実行し、テロリストを訓練し、戦争補助」をしつづけた国ですが、知りませんでしたか?

>それ以外の国だともっと少なくなりませんか?

アメリカよりは少なくなるでしょうが、依然として多いのは間違いありません。 有力国とは、G8とすることも可能ですが、G8が確立して以降、G8で戦争・戦争協力をしていない国はありません。

>これは所謂循環理論でしかありませんよ?

循環論法なら知っていますが、循環理論などという理論は知りません。 Ksは、単純に物を知らないだけなので、私の言うことが循環論的に読めるのでしょう。 そもそも私は「過去や現代の情勢の観察結果」を述べているのであり、数学・科学的な理論書いているわけではないのですがね。

煽るならもう少し考えましょう。

昭和天皇には道徳的見地から見て戦争責任があるとするなら、同様に戦争責任がある、イラク戦争の戦争容疑者リスト。

イラク戦争の「イラクと周辺国への部隊派遣国・参戦国」を参照。

道徳的見地とやらが有効ならば、上記の国の戦争当時の元首はイラク戦争の戦犯です。 「戦争協力者」です。

私は「道徳的見地」から見て、天皇に戦争責任のあるとする人間の主張が正しいとするなら、以上の国の元首はみな「戦争犯罪人である」とされるので、その考えはナンセンスである、ということを言いたいだけです。

Ksに質問。

Ksは、「世界中の有力国の元首という元首全員」が、必ず戦争に加担しています、ということを否定したいらしいので、是非とも答えいただきたい。戦争をしていない、加担していない「有力国の元首」というのは、たとえば誰ですか?。是非とも返答願いたいです。--Dmai 2010年4月6日 (火) 10:33 (UTC)

あああ、もう突っ込みどころが多くてどうにもならない。細かいことははしょります。循環理論はまあ私の間違い、これはあやまっときます。で、大声の(太字の、ですが)質問ですが、答えは自分で言ってるじゃないですか。「戦争補助に縁がなかった大統領は、カルビン・クーリッジ、ハーバート・フーヴァー程度ではないでしょうか。」「アメリカよりは少なくなるでしょうが」だからいるんでしょ?--Ks 2010年4月6日 (火) 12:39 (UTC)
なるほど、具体的に知らないことにコメントして、具体的に知らないことを否定していたわけですか?。ならば改めて言います。先にあげたとおり「世界中の有力国の元首という元首全員」が、必ず戦争に加担しています。カルビン・クーリッジ、ハーバート・フーヴァー等は「例外」です。実に「珍しい変種」です。貴方の得意分野では、「珍しい変種」の個体を根拠に、その種全体の傾向を決定するのですか?。「世界中の有力国の元首という元首全員」といってもよいぐらいの大多数が、必ず戦争に加担しています。これ否定したいのなら、貴方の口から「戦争に加担したことがない有力国の元首の名前」を言ってください。逃げ回らずきちんと質問に答えてください。貴方はこの件について、論拠となる具体的事例を挙げていません。否定するならせめて論拠となる事例を示してください。
>あああ、もう突っ込みどころが多くてどうにもならない。細かいことははしょります。
逃げ口上するなら最初から書き込まないでください。--Dmai 2010年4月6日 (火) 13:22 (UTC)
逃げ口上とな?では個々に行ってみようか?
  • まあ、数の数え方のことは置きましょう。私の投げかけたのがそもそも程度の低いジョークでしたからね。
  • しかしそれに対して戦った相手も数えよ、というのは変ですよ。現にDmai様は挙げてないではないですか。あなたが挙げた数は5人です。私はまた、相手の国が有力国でない、との判断かと思いましたよ。
  • それに、5人挙げて相手がいるから倍の10人、という計算は成り立つのでしょうか?これはそれぞれが相手にしたのは別々の一人ずつだけ、という場合には有効ですが、それでいいもんですか?
  • 私自身に知識がないのは認めます。せいぜい高校世界史程度。確かにアメリカは大戦の合間にも様々な戦争に関わってましたね。しかしそれでもあなたは戦争に関わらなかった大統領を挙げていらっしゃる。
  • それ以外の国ではもっと戦争に関わった数は少なかったですよね?でしたら、私の主張したような、「戦争に関わらなかった元首の方が多いのではないか」は間違いかも知れないけれど、Dmai様の主張する「あらゆる国のあらゆる元首が戦争に関わってる」という主張の方があからさまな間違いと思いますよ。
  • 「関わらなかった元首を挙げることは出来るが、それらは例外」という主張は、私は受け入れません。関わらなかった人には関わらなかった理由があるでしょう。しかしそれを持ってそれらを例外とするなら、どんな主張でも通ってしまいますね。循環論法というのでしたか?
  • そう言うわけで、まあこれで終わりでしょう。それに、この項の内容からは少々離れてきたようですし。--Ks 2010年4月6日 (火) 13:44 (UTC)
ようやくマトモに脳稼動させたようですね。
>Dmai様の主張する「あらゆる国のあらゆる元首が戦争に関わってる」という主張の方があからさまな間違いと思いますよ。
「有力」が欠落していますよ。意図的ですか?
最後の最後まで「具体的事例」を挙げずに終わりましたね。第二次世界大戦以降ならば、ローマ法王でさえ「反共」という点で「戦争(冷戦)に加担」していたのですから、俗世の「有力な国の元首」は、国際政治としての戦争に関わらざるおえないのです。--Dmai 2010年4月6日 (火) 13:57 (UTC)
失礼、「有力な」が抜けてましたね。でも、それはともかく、私が出さずとも、Dmai様が出してくれたんだからいいではないですか?あなたが間違ってることは証明できたことですし。あと、ローマ法王まで引っ張り出してますが、さすがに戦争の当事者では有り得ないでしょう。拡大解釈もまた主張を通す必殺技ではありますがね。--Ks 2010年4月6日 (火) 14:31 (UTC)
私は間違っていませんよ。
「世界中の有力国の元首という元首全員といってもよいぐらいの大多数が必ず戦争に加担している」というのはこの上ない事実です。些細な例外(しかも、貴方が提示したわけではない、私の提示したものを、自ら検証もせずに)を根拠に「間違っている」とよく断定できますね。
前ローマ法王がポーランドの民主化運動に強い影響力をもっていたのは事実であり、その影響を危惧した共産主義陣営が暗殺を実行、法王は重傷をおいましたが、結果、生還、暗殺は失敗しました。つまり、共産主義陣営にとって前ローマ法王は「反社会の秩序破壊者」以外になにものでもなく、殺されてしかるべき人間だったのですが。これが「戦争」ではなくてなんなのでしょうか。また、過去の事例からすると、法王が有力国家の元首であった時代、自ら軍を率いて戦争をした者も実在しています。また「神がそう望んでいる」として中東での侵略戦争を主導し正当化したのは法王です。これは戦争の当事者以外のなにものでもありません。拡大解釈と断定する前に調べてはいかかですか?--Dmai 2010年4月7日 (水) 04:23 (UTC)

(インデント戻します)もうDmai様の相手はやめたいと思います。あまりにもあほらしすぎる。以前に大声で(太字で、ですが)おっしゃったのは

  • 「世界中の有力国の元首という元首全員」が、必ず戦争に加担しています
でしたね?ところが今は
  • 「世界中の有力国の元首という元首全員といってもよいぐらいの大多数が必ず戦争に加担している」
とあって、それで「自分は間違ってない」とおっしゃる。明らかに言ってることが違います。それに、ローマ法王は「暗殺」されかかったのですね?暗殺って戦争なんですか?それこそ拡大解釈でしょう。そう言うわけでもうお相手はしないことにします。これ以上つきあうとアホがうつります。
あなたの投稿履歴も見せていただきましたが、ノートに書く以外はないようですね。こんなところに出入りして訳のわからない演説しても不毛ですよ。もっと生産的な活動をお考えになってはいかがかと思います。それでは失礼。--Ks 2010年4月7日 (水) 08:48 (UTC)

「世界中の有力国の元首という元首全員」が、必ず戦争に加担しています。 ほぼ、例外なくです。無知な貴方でも少し調べればわかることですがね。 有力国で戦争をしていない元首を挙げたほうが楽なのは確実でしょうね。 知能程度の二人までしか数えられない低い貴方にあわせて「丁寧に記述してたさしあげた」のですが、そこをついて「間違っている」と言い出すのですか。実に笑えます。 しかも「ローマ法王は「暗殺」されかかったのですね?暗殺って戦争なんですか?それこそ拡大解釈でしょう。」と自分に都合のよいところだけを持ち出し、「法王が有力国家の元首であった時代、自ら軍を率いて戦争をした者も実在しています。また「神がそう望んでいる」として中東での侵略戦争を主導し正当化したのは法王です。」は無視ですか。反論するために反論しないように。「アホがうつる」と言いながら、具体的事例の一つも出さずに無知をさらけだし、最後まで「歴史的事例の観察結果に、単なる理論的な厳密さを要求して文句」を言ってくるのに呆れます。畑違いのところで議論せず、ダニとか蛆虫の記事でも書いていてください。--Dmai 2010年4月7日 (水) 16:07 (UTC)

改題提案・天皇の戦争責任論

天皇の戦争責任ではなく、天皇の戦争責任論と改題した方がいいと思います。肯定派、否定派で分かれてるので、責任があるという趣旨がつよい、責任でおわるより、責任論とした方がよいと思うからです。 また、本文でもそうですが、天皇の責任と、日本国家全体の責任は分けて論じなければならないのにそれができていません。従って、日本の戦争責任論という上位、カテゴリーをもうけた方がいいのではないかと思います。Nakata88 2010年4月13日 (火) 11:11 (UTC)

賛成 確かに記事名がPOVに感じます。戦争責任に関する議論の記事ですし、それをうまくまとめておけばよいものと考え、改名を支持します。しかしまあ、出典がなさすぎる記事ですね。--清涼里588 2010年4月16日 (金) 16:16 (UTC)

  • 確かに、ソースが少ないと思います。天皇の戦争責任を独立に項目を立てるようなソースが集まらないなら、天皇の戦争責任論というより、日本の戦争責任論を立ててそれに吸収した方がいいかも知れませんね。Nakata88 2010年4月16日 (金) 17:09 (UTC)

賛成 定義文で『昭和天皇の戦争責任を肯定するか否定するかで議論がある。一般的には「天皇の戦争責任」という言い方がなされることもある』とあるし内容もそれに沿っているので、項目名を『天皇の戦争責任論』に改題するのが妥当だといえますね。--Carpkazu 2010年5月4日 (火) 12:26 (UTC)

(報告)改名提案を提起しました。このまま一週間程度の間異論がでなければ昭和天皇の戦争責任論ないし天皇の戦争責任論に改名を実行しましょう。どちらにするかは議論すべきだと思います。--Carpkazu 2010年5月4日 (火) 12:37 (UTC)
(報告)告知から10日間経過しても反対意見がつかなかったので、改名実行いたしました。それにしてもどこから手をつければいいのか迷うぐらい要出典が濫用されています。この問題の本質は法的問題であるのに、イデオロギー対立の場となっています。ぼちぼち改善していく必要があるといえます。--鯉華厨師 2010年5月15日 (土) 07:43 (UTC)

はだしのゲンについて

はだしのゲンに関する記述は全て除去していいのではないでしょうか。一フィクションでの描かれ方をもとにどういう記述であろうと、いちいち本記事に取り上げる必要はないと思います。--Tiyoringo 2010年5月15日 (土) 08:13 (UTC)

Tiyoringoさんのご提案からそろそろ1ヶ月だし、あと1週間くらいみて反対がないようなら「昭和天皇の戦争責任を扱った作品」の節を丸ごと消すよ。--Bo-ci-an 2010年6月11日 (金) 21:32 (UTC)
削除した。--Bo-ci-an 2010年6月18日 (金) 20:28 (UTC)

市民の反応についての節について

本島等の発言に対する7323通の手紙について市長を激励するものが6942通、批判、抗議するものが381通市長を激励するものが6942通、批判、抗議するものが381通という記述ですがこの記述は天皇に戦争責任があると考える市民が数字をそのまま鵜呑みにされるような記述方法ではないものの多数存在しているかのように閲覧者をミスリードするものですので除去することを提案します。--Tiyoringo 2010年6月11日 (金) 22:02 (UTC)

事実ですし、直接に関連する物事です。あとは文面の問題かと。--Ks 2010年6月12日 (土) 04:30 (UTC)
私はTiyoringoさんに賛成だ。天皇の戦争責任論に対する市民の反応ではなく、本島等市長が天皇の戦争責任論に言及したことに対する市民の反応だろう?しかも、そのときに手紙を書きたいと思った者が手紙を出しただけの話で、統計資料にだってならないじゃないか。いったいどう直接関係するんだ?Ksさんが書いたものかどうかはしらないけど、本文に「市長の発言に支持を表明するものも数多く収められている。」とあるが、当然だろう。市長のしたことを褒め称えるテーマの本だろう?市長と見解を異にするするものか「やっぱり市長のいうとおりだ」ということで書いた本なら、確かに特筆性があるだろうね。私自身はそういう類の本は見たことがないから。どう言ったところで、この記述は大切なんだ、という話をきかされるのだろうから、今私は触るつもりはないけど、どう考えて直接関係するという話になるのかは興味があるね。--Bo-ci-an 2010年6月12日 (土) 19:00 (UTC)
なんか努力の方向間違えてませんか?この部分、確かに「天皇の戦争責任論」については周辺を固める程度の意味合いですが、関係はあはっきりしてますし、それに出典があります。それに対して、この記事の残りの部分のほとんどには、その出典すらないんですよ?たとえば「戦争責任を否定する立場の主張」の章の後半を、出典無しを理由に削除すべしとの提案が出たらどうします?そういうのを放っておいて、せっかく出典のある部分を削除するのは、記事の信頼性を失わせる方向ではないですか?内容に関する議論は、水掛にしかならないからしません。すべきでないと思うし、両論併記の方針がある以上、問題ないでしょう。反対論を載せるなら、この本に関する批判を出典つけて書けばいのです。それをしないで削除を求めるのはその点からも変です。--Ks 2010年6月12日 (土) 23:11 (UTC)
市民の声という節が示すような代表的なものとは言えないでしょう。昭和天皇が崩御された頃に天皇に戦争責任があるかないかといったアンケートがなされた[1]ようですのでそうしたものならばまだ適当でしょう。また日本国民の声ではありませんが1945年にアメリカで行われた世論調査[2]は当時のアメリカ国民の反応として有用な情報と言えるのではと思います。--Tiyoringo 2010年6月13日 (日) 00:14 (UTC)
(Ksさんへ/Bo-ci-an記)何?その出典とか、両論併記というのは。私はその本(あるいは出来事)と天皇の戦争責任論とどういう関係があるのか疑問を呈しているのだけど。関係がないという私の意見の理由は上に書いている。だから、よく言って、上の節のはだしのゲンくらいの関係しかないと思うね。Tiyoringoさんが書かれている通り、まさにその主題でアンケートをとったのなら、確かに関係ははっきりしているし、しかるべきやり方で行われたアンケートなら、その結果も書く価値があるのはわかる。「この本に関する批判を出典つけて書けばいのです。」とお書きになっているが、なんでその本について、この「昭和天皇の戦争責任論」の項目でそんなことをしなければならないんだ?たとえ話をすれば、「ネコ」の項でポーの話を書くくらいシュールだと思うのだが。シュールだからネコの項では誰もそんなことしないだろう?(多分、過去にもいなかったんだろうと思っているだけだけど) いずれにしても、Tiyoringoさんのご提案の背景を共有していると思うので書いているけど、直前のTiyoringoさんのお話によって、話題が具体的な資料探しにうつっているのなら、私の今書いてるこのノートは無視してもらってかまわない。--Bo-ci-an 2010年6月13日 (日) 02:43 (UTC)

(インデント戻し)さて、Tiyoringoさんの提案から1ヶ月以上たっているし、私のゴタクを別にすればTiyoringoさんの説明でこのノートも終わっているし、そろそろ直してしまいたいと思う。まず「市民の反応についての節について」の節は無くしてしまおう。上に書いたとおり、本島等市長のしたことに対する市民の反応であって、天皇の戦争責任論に対する市民の直接の反応とは違うと考えているからだ。ただ、内容をみんな消してしまうのではなく、「タブー化」の節で本島等市長に触れているから、「市民の反応についての節について」の内容を2、3行に要約し、脚注にうつして、「タブー化」の節のどこからかその脚注に飛ばしたいと思う。要約の際、何が何通というのか統計資料に見えないように配慮する。一週間くらいたって何もコメントがなければ、その方針で改訂した本文を上げる。その上げた改訂案を見てもらってから、さらに議論してもいいと思っている。--Bo-ci-an 2010年7月18日 (日) 17:14 (UTC)

直接に関わる事例だと思いますがね。それまで消したら、何も残りませんぜ?例えば最初の6章、一切の参考文献、脚注が存在しないのは、どうするんですか?--Ks 2010年7月18日 (日) 22:51 (UTC)
他の部分に出典がない点についてはつけてより信頼性を高める必要がありますが、昭和天皇の戦争責任を直接扱ったものではなく適切なものではないでしょう。鳥飼行博の[http://www.geocities.jp/torikai007/bio/syowa.html 大元帥昭和天皇の開戦と終戦]や「アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局」による「富田メモ」が明らかにする昭和天皇の無責任と傲慢ピューリッツァー賞を受賞しているハーバート・P・ビックスの「昭和天皇」[3]など利用できるものはいくらでもありますのでそうしたものを元に肉付けがなされていけば良いと思います。昭和天皇が崩御した頃に新聞社が世論調査を実施し、戦後40年以上経った時点でどういった意見が各世代ごとに答えられたかわかるようなものがあれば市民の声として取り上げる価値はありますが本島市長のケースでは極端な話、もともとの支持者、その他団体などが組織的に手紙を送っている場合などがあれば数字自体にもほとんど意味をなさないものとなります。仮にこの記述を残すにしろ市民の反応という節は不適切な印象を与えるものでしょう。--Tiyoringo 2010年7月19日 (月) 06:58 (UTC)
「昭和天皇が崩御した頃に新聞社が世論調査を実施し、戦後40年以上経った時点でどういった意見が各世代ごとに答えられたかわかるようなものがあれば市民の声として取り上げる価値はありますが」実にその通りではありますが、それが現在存在しない以上、その代替としての意味はあると思いますが。もちろん、戦争責任論に直接に関わる事件の事後の影響としての意味はそれでもあると思います。--Ks 2010年7月19日 (月) 07:16 (UTC)
資料がないなら、それは無いというだけで、無理に代替の資料を掲げる必要も無いと思うのだが。何か特定の主張を宣伝したいわけではないのだろう?
それにこれは世論調査の代替にはならないはずだ。私が問題にしているのは『天皇の戦争責任に関して、市民の反応は、7300通の内6942通が肯定的で、381通が否定的である』という風に読めることに対してだ。もちろん本文にそんな単純な話でないとエクスキューズしてあるが、それでもあたかも市民(日本国民)の圧倒的多数が天皇に戦争責任があると考えている、というニュアンスが漂っている。統計を取るときにサンプルをどう採集するかというのは最重要ポイントであって、Tiyoringoさんもふれておられるが、市長の行為に対して自分の意見を自発的に手紙やその他の媒体で送りつけてきた、というのはどう考えても適切なサンプル抽出方法だとはいえない。市長の行為に対する統計としても不十分だし、ましてや天皇の戦争責任に対する統計(単なる傾向としても)と見るのは飛躍のしすぎだろう。そもそも、その本は「だから日本国民の大多数は天皇に戦争責任があると考えている」という結論を与えている本なのだろうか。もちろん実際のところ、厳密に統計をとったとして、どういうことになるのかは知らない。
いずれにしても、Ksさんが私の改訂案に賛成できないのはわかったから、別の提案をしたいと思う。この章は残すことにして、タイトルを”『長崎市長への七三〇〇通の手紙』”と変え「タブー化」の章の下位の章、つまり”=== 『長崎市長への七三〇〇通の手紙』 ===”という風にしてはいけないだろうか。本文には触らない。Tiyoringoさんのご趣旨にも合うと思うし、Ksさんの「戦争責任論に直接に関わる事件の事後の影響としての意味」も損なわないと思うがどうだろう。--Bo-ci-an 2010年7月19日 (月) 18:01 (UTC)
特にご意見がなければ、私が最後に書いたとおり直していいだろうか。もう1週間ほど待って、どなたからもご意見がなければ改訂することにする。--Bo-ci-an 2010年7月23日 (金) 21:59 (UTC)
私の意見をご理解いただけたのはうれしいことです。でも、章の名を変えるのはどうかと思います。一つは、その名が長ったらしいこと、もう一つは、似たような話があるなら、それも書いていいのではないか、という点です。私自身はそれを持ち合わせていませんが、あり得ることと思います。--Ks 2010年7月23日 (金) 22:12 (UTC)
節の名称としては「戦争責任を肯定する立場の主張 」「戦争責任を否定する立場の主張」などと比べて特別に長いようには思いません。さて本島等を読んで改めて思ったのですが、この発言に対する反応として手紙に関してだけ取り上げているのは中立性を欠くように思います。自民党や保守系団体の反発、右翼の激しい街宣行動などが起きたことが記述されておりません。タブー化の下に「長崎市長発言への反応」といった節名にして、発言への否定的な反応も加筆するか、または詳細は本島等を参照とし市長が市議会での共産党議員の質問に対して答弁したこと、それに対する反発、7300通の手紙が届いたこと(手紙の内訳についてはこの記事では触れず)、その後銃撃を受けたことなどを簡潔に記すといった方法も考えられます。--Tiyoringo 2010年7月24日 (土) 00:50 (UTC)
つまり、他の人にも「市民」がおこなった、何かを書いて欲しいからそのタイトルでなければならない、ということだろうか。でも、この分量で『長崎市長への七三〇〇通の手紙』の内容とその解説が書いてあったら、他の人は別に節をたてるのではないかな?とはいえ私の想像に基づく話だから、ぜひ教えて欲しいのだが、なぜ『長崎市長への七三〇〇通の手紙』の本と「市民の反応」がセットでなければならないのだろう?その2つはダイレクトに結び付けるべきではないし、今のままではダイレクトに結びついて見えるから修正したいのだ、とTiyoringoさんと私がずっと説明しているのだけれども。あるいは、「市民のほとんどは天皇に責任があったと考えているはずだから、それを示さなければならない」ということだろうか?--Bo-ci-an 2010年7月24日 (土) 05:44 (UTC)
特にご意見もないようなので、(1) 節の見だしが長い-他の節の見だしに比べて特に長くはない。(2) 将来他の事例が入るかもしれない-別に節を立てればよい。ということでよいだろうか。(2)について補足して言えば、どんな事例が入るか現時点ではわからないから、今話題にしてもしようがないだろうとおもう。事例が入ってきたところでいいように考えればだろう。それがウィキなのではないだろうか?ということで、私が7月19日に提案したとおりに改訂したいと思う。
Tiyoringoさんのご提案を全部無視しているように見えるかもしれないが、もちろんそんなことはない。ただ、Tiyoringoさんのご提案の内容は、大なり小なり追加の調査が必要なことであり、すぐにこの記事を改善するということにはできない。「本島等」の項目に記述を移すのも良い案んだと思うのだが、あちらの記事とこちらの記事で執筆者の顔ぶれが違うので、あちらの記事でも合意を形成する必要があるだろう。上で繰り返していることだが、Ksさんには悪いが、要するに今の状態でこの節が反天皇制をテーマにしたエッセーみたいに見えるので、どういう風に直して移すかはあちらでも議論になり、簡単なことではないと思う。ということで、私の案はとりあえず現状を改善するという位置づけでいる。また、どのような形にしろTiyoringoさんは手紙の内訳に触れることに反対なのではないだろうか。もちろん私も上で何回か述べたように反対だ。ただ、この部分がKsさんがもっとも重要と考えておられる部分のようなので、手早く合意を形成するために今回は本文には触らないやりかたで提案している。少ーしづつ直していこうよ、というのか私の提案の元になっているとご理解いただきたい。--Bo-ci-an 2010年7月31日 (土) 08:48 (UTC)

(インデント戻します)出来れば、ここの三人以外の意見が知りたいのですがね。なかなか出ないようです。Bo-ci-an様の提案、上述のように反対ですが、他から意見がないのなら、内容の確保を前提に、従わざるを得ないんでしょうかね。--Ks 2010年7月31日 (土) 09:07 (UTC)

私も他の方の意見が出ないかなぁと思っているのだが、中々でないものだね。Ksさんの"反対だけど、やむを得ない"というお言葉に甘えて、改訂することにする。でも、もう1週間くらい他の方の意見も待ってみよう。--Bo-ci-an 2010年7月31日 (土) 09:46 (UTC)
修正した。--Bo-ci-an 2010年8月8日 (日) 14:55 (UTC)