ノート:時制
中立的な観点について
[編集]内容が日本語および英語に偏るのはしかたがないことだとは思うのですが、構成上は日本語および英語もたくさんある言語の一つであるという形にするのがよいと思います。おなじヨーロッパの言語であるドイツ語やフランス語でも時制について英語との違いがかなりあると聞いています。言語の記事はたくさんあるので、詳しいことは各言語の記事に譲るとしてもある程度(簡略に)記述したほうがよいと思います。宝塚ファミリーランド 2008年3月20日 (木) 10:56 (UTC)
構成を、中立的なものに変えました。この構成にしておけば、必要に応じて、他言語の記述も可能となり、どの言語についてぎろんしているんだか分からない議論ともオサラバできるでしょう。--夜仮面様 2008年5月17日 (土) 18:36 (UTC)
あなたが知らないこと≠独自研究です。
[編集]- (利用者‐会話:TAKASUGI Shinji#あなたが知らないこと≠独自研究です。から移動しました。 - TAKASUGI Shinji (会話) 2008年5月24日 (土) 09:06 (UTC))
時制のところで、貴殿 (TAKASUGI Shinji) は、私のごく常識的で、下手をすれば参考書の丸写しを疑われるかもしれないレベルの 記述を削除されましたが、相と時制の概念の混乱が存在することは、高校では習わないかもしれませんが もはや常識のレベルです。また、時制が12個に分類されるというのも常識のレベルです。
また、狭い意味での時制(最近の立場ではこれを時制と呼ぶのですが、そうすると、学校文法で時制の一つと習った 「現在完了形」などは、時制の項目では説明できなくなり、これは読む側に面倒を与えます。)は、過去と現在と未来 (未来を時制に入れない立場は比較的受け入れられているが、まあいいやとおもって未来も時制にいれました。 また、少々俗論になりますが、人によっては大過去なんていう時制を考えている場合もありますが、 標準的とは思えないのでやめました。)
恐らく、「相による分類と狭い意味での時制(基本時制とロイヤル英文法には書いてあり、そのように記事でも書いた) の2つの組み合わせとする」説明の仕方や、ひょっとしたら高校では習わなかったかもしれない完了進行形の存在を 認めていることや、「完了でも進行でも完了進行でもないもの」に「普通形」という名前をつけたことなどが 気に入らなかったのか、あるいは、「○○と考える」という表現が気に入らなかったのかわかりませんが…。
「○○と考える」という表現の必要性については、これを想像せよといわれても酷ですし、 僕は理系なので自分自身もかつては悩んだことなので、親心で一つ教えておくと、文系の学問 の場合は、有名どころでは「三上文法では主語の存在が議論になっている」とか「広辞苑は 形容動詞の存在を認めていない」というように、権威のある書物間でも温度差が生じてきて 最も中立的な書き方は、個々の立場を一つ一つ丁寧に解説していくことしかありません。 しかし、そのすべてを公平に扱うのは誰にも出来ませんし、誰もしていません。従ってどれかを選ばねばなりません。
だからといって、学校文法にくみしてよいのでしょうか?それはNOです。何故でしょう? これは極めて簡単な理屈なのですが、貴君の行動の自信の源となっているだろう調査能力 に期待して、一応問にしておきます。お分かりになりますか?
最近、「物理学の論文では推論過程に飛躍が認められることが多々ある」といったレベルの、 一度でも論文なり、専門課程の教科書なりをよんだことがある人間ならば、「そうでないなどということは ありえない」と絶対に思うだろうことにまで独自研究扱いする人がいて、要出典をはるのは、「知らない人のため」 のWikipediaなのまぁ仕方がないのかなとも思うのですが…。踏むべき手続きがあるはずです。
--夜仮面様 2008年5月24日 (土) 05:09 (UTC)
- 私は無論、高校レベルの知識で判断しているのではありません。時間表現の説明なら時制と相を混同しても良いでしょうが、それなら時制と書かないほうが良いでしょう。「狭い意味での時制(最近の立場ではこれを時制と呼ぶのですが…)」と書いていらっしゃるのですから、相と時制が異なることは理解されているはずです。文法範疇としての時制と、迂言形や時の副詞などによる時間表現は分けるべきです。中国語には時制はありませんが、時の副詞はもちろんあります。フランス語では venir, aller がそれぞれ近過去、近未来を表す準助動詞ですが、独立の時制ではありません。
- そもそも、英語の時制が過去、現在、未来の 3 種類だとするのが間違いです。中学英語ですら、よく読めば「現在時制」、「過去時制」、「未来表現」と書いてあるはずです。英語では、動詞の形態としては非過去と過去の 2 時制であり、これはゲルマン語派に共通の特徴です。それに法の助動詞 will による表現を加えると全部で 4 種類です。3 種類にしている時点で、英語をよくご存じでないと言わざるを得ません。「時制が12個に分類されるというのも常識」とありますが、常識ではありません。英語で時制と法 (will) と相(完了・進行)を全て組み合わせると 24 = 16 通りになります。 - TAKASUGI Shinji (会話) 2008年5月24日 (土) 09:06 (UTC)
- 履歴をよく見たら、コメント欄に「学校文法レベルでは、相と時制を区別しないのでしょうが、そういう概念は確固としてあります。故に削除は、削除した側の勉強不足によるものと判断し、リバートします。」と書いていますね[1]。説明不足でしたが、私は時制と相や法を混同するべきでないという立場なので、上記コメントはまったくの的外れです。 - TAKASUGI Shinji (会話) 2008年5月24日 (土) 09:25 (UTC)
>私は無論、高校レベルの知識で判断しているのではありません。
削除理由からそう短絡してしまいました。失礼しました。
>時間表現の説明なら時制と相を混同しても良いでしょうが、それなら時制と書かないほうが良いでしょう。
ここは悩みます。少なくとも俗には時制と言われているもので、俗に学校文法と言われているものでは そのように認めているものとみています。僕としては、少し「現代的」な説明を交えながらも最終的な 分類については、「学校文法」といわれる、本当はそんなものはもはや存在しないものと バッティングしない方向で議論しようかとおもって書きました。そのため、最終的な ”時制”の数はロイヤル英文法と同じ12個としました。その上でくどくどと 言い訳はつけたつもりですが。
確かに、厳密に言えば狭い意味での時制を議論するべきで、そうすると、英語に関しては、 諸説ある中でもっともシンプルな「動詞の形態としては非過去と過去の 2 時制である」 (中学の教科書で未来時制を未来表現と書くほどまでに先進的とは知りませんでした) という説をとったほうがよく、その理由を文献を挙げながら論じてもよかったのですが、 当面「時制の概念を用いて何か英語で論文でも書かねばなるまいよ」という 連中にとっては、そこについては後回しの議論にしたほうがよいとおもいましたので 前面に出さない方針をとりました。その方針が良いか悪いかについては、現在再考中です。
>英語の時制が過去、現在、未来の 3 種類だとするのが間違いです。 これは、立場の問題であり、慎重に扱うべきでしょう。僕も気をつけますが 誤りと断じるのは誤りです。実は僕も「未来時制」という 言い方は好きではありませんが、権威ある文法書の中にも出てきているもので、 どうしたものか。間違いと断じるには至らないけども、いささかカビの生えた話 と私は理解していますが。
>私は時制と相や法を混同するべきでないという立場なので、上記コメントはまったくの的外れです。
というコメントから察するに、これを混同した体系もまたあるということはご存知で、 比較的穏当な文法書では、この辺は「まぁ多少は区別しておきながらも似たような話だから 一緒に考えちゃえ」という(僕に言わせても乱雑に見える)説明をしていることはご存知のはずで、だとすると 「そういう立場もある」という意味で 「独自研究」の扱いこそ、当たらないのではないでしょうか。
まぁ、多少エッセー的であることや、多少苦しいまとめ方をしていることは認めますし、
これについては誠意を持って改善するつもりですが。ただ、
よくご存じのとおり、文系の科目についてまとめる上では、「いろいろな立場」があり、
それをどうまとめるかが案外難しいわけです。理系の場合は、2つの立場があったとしても
等価でないことはありえないわけですが、文系の場合はそうとも限らないので困るのです。
では、その全部を挙げるとすると…。おそらく学者の数だけでは足りないでしょう。
いや、時制については、バッサリ切って、「動詞の形態としては非過去と過去の 2 時制である」とか あるいは逆に、法や相も全部入れてしまって16通りとするのか 今のように比較的穏当な12通りにしておくのがいいのか 本当は悩んでいるわけです。その上で、「判定方法をどう明確に示すか」 を重視したいという哲学は持っているつもりですが。
- 記事前半を修正しました。英語の部分には手を付けていませんが、出典がないので {{出典の明記}} を貼りました。時制に限らず格や法でもそうですが、形態論的に厳密に行くか、意味を考慮して融通を利かせるかの違いは大きいですね。一般的な用法に配慮するのは必要かもしれません。 - TAKASUGI Shinji (会話) 2008年5月24日 (土) 16:31 (UTC)
お疲れ様です。世の中にはまだ「自分が動くから自動詞だ」なんて言っている「教師」がいるとかいないとか いう話で、そう考えると教師とは何ぞやと思うわけです。先ほどは 「あなたの知らないこと」などと申してしまい、申し訳ありません。 もっとも、これには「多少でもでも、俗に浸透しているものを否定する見方を示すと すぐに独自研究としてしまう人がいて、だいたい2~3件文献を挙げて反論すると今度は 盗作だなんていってくる」わけです。こういうのに辟易していると、 そういう過剰反応は納得いただけるかと。
それで、英語の部分についてですが、さしあたって僕が準備した資料というのは、 ロイヤル英文法に加え http://www9.ocn.ne.jp/~bigarden/g04jn/notej-13.html http://www5c.biglobe.ne.jp/~jesazuma/future%20progressive.htm といくつかの定評ある英文法辞典と英和辞典であり、 あとは受験参考書ですが、富田一彦先生の 「富田の入試英文法―代々木ゼミ方式 Ver.1 解法の基礎」を見ています。「運用面」になると、なんだかんだで この人のまとめ方は手際よく、比較的現代的な立場から 書いていて、かつ、学校文法で聞きなれない概念を無理に押さない あたりが便利です。
ということと、先ほどの貴殿の加筆を総合的に判断して、英語についても言語学に相当通じておられるだろう貴殿が 執筆されたほうがよいのではないかとおもいます。 ご自由にといいたいところですが。要望としては
- 俗にいう学校文法で聞きなれない概念を理解せねばならない場合には可能な限り平易な説明をつけ、セルフコンテインに。
- 現実の作文、読解、穴埋めに関して、有益な示唆が得やすいように
- シンプルな立場(というのは、僕はとりませんでしたが)で
- 俗にいう(本当はそんなものは大昔に廃止された)常識的な学校文法との対応がつくように
ということをお願いします。これは、とてつもなく面倒な話で、最初からこの問題を背負い込むのは 面倒だと思いますが…。--夜仮面様 2008年5月24日 (土) 16:52 (UTC)
- 構成を考えてみます。時制の説明と個別言語の時制との内容重複は避けたいです。 - TAKASUGI Shinji (会話) 2008年6月3日 (火) 06:54 (UTC)
中国語の例文について
[編集]中国語は確かに時制が存在しませんが、相(アスペクト)はたくさんあります。「現実」であることを表すときは、「〜了」は基本的に使われます。ですから「我昨天去学校」という文は、実は文のどこかで「了」を綴り、「現実」の意味を示さなければなりません。よって、その文を「変形が無い」の例で使うことは実にちょっと不適切のものなのです。