ノート:時空の哲学
「時間と空間についての現代物理学の見方」の修正理由
[編集]- 時間に限らずいかなる物理量も「そもそもなんであるかという定義はなく、他の量との関係で定義される」もので、特記することではありません。ただ自然科学的思考に不慣れな人向けに「物理量の定義は他の物理量との関係でしかできない」ことを説明する意義はありますが、そのためには修正前版の表記では不十分と考えます。
- 修正前版では空間を距離の意味で使っていましたが、日本語では空間という言葉を距離の意味で使うことはありません。
- 運動は運動量の誤植と考えました。場も違和感がありますが、ポテンシャルと取れば意味は通るので一応残しました。--Morivert 2007年2月25日 (日) 09:09 (UTC)
独自研究。そもそも「時空の哲学」は間違い。正しくは「時間と空間の哲学」
[編集]英語版、フランス語版、ドイツ語版などをよく読め。Philosophy of space and timeだ。 Philosophy of spacetime ではないぞ !!。
時空について大量に書くのは独自研究。せいぜい、1~3行程度、サラリと言及するにとどめるべし。
日本の工学部などの、若くて未熟で、無教養なウィキペディアンなどが、自分がたまたま刷り込まれた教義を頭から信じて、どこにでもその教義を生のまま書きこもうとしている。理学部出身者ならば(例えば日本なら京都大学の理学部レベルの学生などならば)、自分たちが理論自体を構築する側なので、誰の理論であれ、全ての理論の内容自体を疑うセンスを持ち合わせているのだが、工学部の連中ときたら、他人が作った理論をうのみにするばかりで、頭から理論を信じ込んで、理論の狂信的な信者になってしまう。理論を作る側は自分自身、理論を常にいくぶん疑っているのに、工学部の連中ときたら、それを勝手に信奉してイデオロギー化させてしまう。自分が信者になっているとの自覚もないもんだから、あちこちにウィキペディアでルール化されている中立的な記述も守らず、あたかも世界が理論どおりであるかのように言う虚偽を断定的に、つまりイデオロギーをそのまま書きこんでいる。ウィキペディアでは、ウィキシステムでの書きこみという手順がひとつあるので、その手の作業は工学部の学生などがハードルが低く感じる傾向があるのか、外の世界の人口比率と比べて、ウィキペディアでは工学系の輩がかなり多めになってしまっているようで、汚い部屋のゴキブリのように数が多い。この手の輩が、イデオロギーをそのまま信じた非中立的な文章を大量に書き散らし、それが放置されてしまっている。要注意。ウィキペディアのルールから言っても重大な違反行為。削除すべし。--221.188.31.29 2011年8月16日 (火) 04:52 (UTC)
とりあえず独自研究的な、中立性を欠いた、特定理論の狂信的記述はコメントアウトする作業は行っておいた。だが、概説として残した記述も、まだその傾向が変だ。参考文献として挙げてある本をよく読んでみるがいい。時間の矢とかばかりがやたら強調されているわけではない。この記事に加筆した工学系の理論信者が自分の信心に関係するトピックばかりを恣意的に強調している。出典をよく読んで、言及の比率を下げるなど、修正作業が必要。--221.188.31.29 2011年8月16日 (火) 05:04 (UTC)
この記事は「時間と空間の哲学」に改名したほうがよい。記事内容を勘違いして狂信的なことを非中立的に書き散らす馬鹿の侵入を防止できる。--221.188.31.29 2011年8月16日 (火) 05:04 (UTC)