ノート:曾我祐準
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曾我 祐『凖』
[編集]Kosuke Itoさん。「準」(さんずい)を「凖」(にすい)に書き換えた編集の典拠をお示しください。 近代デジタルライブラリーで著者「曾我祐準」の明治時代の書籍3冊のうち、一冊は東京図書館の納本受付日付印が重なり判読不能ですが、他の2冊は、「曾我祐準」と「準」(さんずい)となっています。--rshiba 2010年1月25日 (月) 05:10 (UTC)
- 「曾我祐準」を「曾我祐凖」と「準」(さんずい)を「凖」(にすい)に書き換えたKosuke Itoさんの編集を、月曜日になりましたら「要出典」を貼って一週間経過しますので、元に戻します。わたくしの理解する事情は、つぎの通りです。
- (1) 明治の初期、本人が「曽我祐凖」と「凖」(にすい)で署名している事例が複数ある。
- (2) 明治初期から大正にかけて公式な書類で、手書きの場合、「曽 我 ネ右 準」となっている。
- (3) 明治初期から大正にかけて公式な書類で、活字印刷の場合、「曾 我 示右 準」となっている。人名は俗字ではなく本字で活字を組むという当時の原則通りの対応と思われる。
- (4) 現在の歴史辞典、人名辞典では「曾我祐準」となっている。曾も曽も常用漢字外で、曾が正字、曽が俗字。歴史的人名は、常用漢字体があるものは常用漢字で表記し、ないものは本字で表記するのが現在の研究書や事典の通例ですのでこの表記はそういうことです。(2)(3)では天皇の目に触れる場合でも「準」(にすい)ですから、こちらが戸籍に載っている、ないし、本人が正式なものと認識している名だったと推測されます。(1)は手書きの署名をユニークなものにするために一画減らした文字を用いたと推測します。以上の調査と推論に反論いただけない場合、編集を元に戻します。--rshiba 2010年1月30日 (土) 12:58 (UTC)
- 戻しました。--rshiba 2010年2月6日 (土) 09:59 (UTC)