ノート:朝倉宗滴
表示
朝倉宗滴話記 に書かれている表現はおかしくないだろうか。当事の記述がこのような口語体であったのであろうか?0null0 2004年8月20日 (金) 01:57 (UTC)
ほぼ同意です。この訳では明治のがんこじじい的な味が勝手についてしまい、史料の適切な訳とはいえないです。--Aboshi 2004年8月20日 (金) 02:11 (UTC)
御貴殿の彗眼通り、おかしな点が多数散見されますので、いくつか指摘修正しました。--ハニーハニー00 2008年12月9日 (火) 10:28 (UTC)
宗滴嫡男説について
- この点、あまり解明されていない事項に基づく私見の掲載はいかがでしょうか?
- また、宗滴が「小太郎」「教景」を名乗っているから嫡男というのは、余り説得的ではないと思われます。すなわち、英林孝景が死去した文明13年当時、「小太郎」「教景」を名乗る宗滴の兄(以千宗勝)は元服を済ませています(それどころか、孝景に代わって朝倉軍の総大将を務めるほどの立派な武将です)。したがって、もし「『小太郎』『教景』を名乗る男=嫡男」であれば、彼が孝景を継いでいたはずです(ちなみに、宗滴と以千宗勝は同母兄弟(しかも後妻とはいえ正妻)で、条件は全く同じです)。
- また、本文掲載の私見では氏景の仮名が「孫次郎」であることも論拠の一つとしているようですが(「小太郎」を名乗っていないとの意味だと思われますが・・・)、「孫次郎」も、代々の朝倉当主が名乗っている通称であることは、みなさんご存知のことと思われます(2代高景や3代氏景、6代家景参照)。
- 更に言えば、朝倉当主では、数代続いて「孫右衛門」の通称を用いており、氏景もその例に倣っているのですが(『朝倉家記』を見れば、氏景が「孫右衛門」を孝景在世中から用いていたことが確認できるはずです)、宗滴やその兄小太郎教景(以千宗勝)が孫右衛門を名乗った形跡はありません。
- 宗滴が嫡男として遇されていたとするのであれば、せめて、その兄(以千宗勝)がどういう立場にあったのかを明らかにすべきだと思われます。—以上の署名の無いコメントは、60.37.111.16(会話/whois)氏が[2006年6月13日 (火) 10:36 (UTC)]に投稿したものです(野良人による付記)。
質問
[編集]朝倉宗滴と朝倉宗滴話記を別々の記事にした方いいではないでしょうか?--Alex K 2009年9月11日 (金) 09:44 (UTC)
- 「分割提案の提出」のための意見募集でしょうか? もともとはエピソードとして軽く書いてあった部分が加筆で独立させても問題ない量になったと私は感じます。人物と書物は異なるものですから、記事が別でも問題ないと思います。--KurmUmy 2009年9月12日 (土) 15:39 (UTC)