ノート:木下勝俊
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勝俊の東軍への背信のみでしたら、わざわざ守護された人である当該人物を「西軍を支持した」とまで形容しなくてはいけないのでしょうか。
なお、当該人物の兄は「西軍を支持した」人の兄でありながら、東軍の大将に対応を一応は評価されているという話で、場所の移転以外は石高は変わらず、極端に酷な扱いをされているようには思われません。
また、勝俊がいわゆる西軍ではないというのは、木下家譜やhttp://hdl.handle.net/2324/12076の里村昌叱への書簡で確実視に近い形で認識されるものだと思われます。なので、漬けマグロさんのコメントの書き方はやや誤解を生じるものでしょう。
逆の例ではありますが、伏見城戦に積極的に参加して戦死したにもかかわらず、佐野綱正は事実上改易に近い扱いをされていますし、『東軍への背信』でしたらこちらの例も考えてくだされば、よろしいのではないでしょうか。--Greenishpurplr(会話) 2013年5月22日 (水) 13:33 (UTC) 署名修正--立花左近(会話) 2013年5月22日 (水) 16:59 (UTC)
- まず第一に、勝俊が「なぜ」伏見城を退去したのかという理由の一つの説として、「高台院が西軍支持だったから勝俊に退去するように命令した」という説を紹介しました。理由として書かなければ、なぜ高台院が勝俊に退去を命令したかがわからないではないですか(白川氏はもっと踏み込んで、もともと三成が家康を仇敵のように憎んでいたわけではないこと、決起の準備が充分なされていないのは三成が立案者ではなく、高台院が三成に決起を依頼したからだということも論証しています)。
- 第二に、木下家定が酷な扱いをされていないことを言っていますが、ご存じのように関ヶ原では親子兄弟が敵味方に分かれるケースが多く見受けられ、「家定が酷な扱いをされていないから高台院が西軍支持だったはずがない」などとは決して言えないことは明らかです。真田信之が酷な扱いをされていないから真田信繁が西軍じゃなかった、ということにはならないでしょう?
- 第三に、木下家譜に限ったことではありませんが、江戸時代の文献は当然徳川家を批判などできなかったわけで、家康が正しいとする一方で三成や、大坂の陣の淀殿のような人に責任を転嫁したり、敗戦の責任をなすりつけたりする自己正当化のウソが多いことは論証できます(たとえば、毛利輝元や島津義弘が戦う気満々だったことは光成準治さんなどがすでに論証しています。しかし毛利家や島津家の江戸時代の文書では、安国寺恵瓊や伊集院忠棟を悪人にして自己正当化しています)また、勝俊は西軍として、東軍と戦う具体的な軍事行動をしていないという点では同意しますが、高台院が関ヶ原での西軍の敗戦を知るや、勝俊の護衛で慌てて宮中に逃れていることなどから、勝俊は高台院の警護役を務めていたことは間違いないでしょう。
- 第四に、勝俊の行動が高台院の意に反するものなら勝俊は当然高台院から不興を買っているはずですが、護衛をしていることや、家定の死後、勝俊が単独相続できるように高台院が画策する事実を見れば、高台院が勝俊を信頼していること、少なくとも勝俊の伏見城退去が高台院の意向に反していないことは明らかです。高台院が東軍を支持していたなら、勝俊の伏見城退去を許すわけがありませんし、東軍支持なのに自分の護衛のために退去させたのなら、当然家康に使者を送って退去の了解を得ようとするはずです。にもかかわらず勝俊が改易されたのは、家康の了解がなかった何よりの証拠でしょう。
- 第五に、佐野綱正の遺領が改易に近い処罰をされたのは、家康から伏見に残した徳川家の女性たちを警護するように命令されていたにもかかわらず、勝手に伏見城で戦って戦死するという、命令違反をしたからです。
- 最後に、あなたや私が個人的にどう思うかは本文に反映させるべきではなく、史料に証拠がある具体的事実に基づき、しかも本などで発表されていることを書くべきだと思います。
- 私が書いたことは白川氏や三池氏の主張を短くまとめたもので、私の独自研究ではありません。もちろん、納得できるから書いたというのもありますが、別の説もあるようなので、併記という形にした次第です。今のところ白川氏らの主張を史料に基づいて否定した研究者、学者は皆無ですので、少なくとも併記することすら許されないというのは違うと思いますよ。併記の形にしておいて、いずれ研究が進んでどちらかが完全に否定されたり、どちらかに確定されてから、否定された方を消去すればいいのではないでしょうか。長文にて失礼しました。--漬けマグロ(会話) 2013年5月22日 (水) 14:14 (UTC)
- 横から失礼いたします。まず、読みづらかったので、本ノートのレイアウト等を修正させていただきましたのでご容赦下さい。さて、ご議論の記述についてですが、信頼できる情報源(主に独立した二次資料)に基づき、中立的な観点からお書きになるようお願いいたします。それから、本文中に書誌情報が書いてあったり、リンク先のurlがそのまま表示されたりしていて非常に見づらくなっていますので、Help:脚注をご参照いただき、Template:Cite web等をお使いいただくなどして修正しただければ幸いです。よろしくお願いいたします。--立花左近(会話) 2013年5月22日 (水) 16:59 (UTC)