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ノート:木曽川堤(サクラ)

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木曽川堤(サクラ)の位置について

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[[1]] 愛知県のページでは木曽川堤防上とあり、宮田川用水路の両側という記述が無く、画像を見ても堤防法面に植樹したサクラ並木と確認できますが、その点いかがですか??--Mikkabie 2011年2月26日 (土) 09:47 (UTC)[返信]

私が加筆した宮田用水の件は、参考文献として記載した加藤陸奥雄他編『日本の天然記念物』、講談社、ISBN 4-06-180589-4の433ページにおいて倉内一二(元、安城高等学校教諭、豊橋短期大学講師)によって解説されたものを参考に加筆させていただいたもので、同ページには記念物指定エリアの詳細な地図もあり、木曽川本流の堤防ではありません。また、画像の法面は木曽川本流の法面でなく、宮田用水路の法面ではないでしょうか?私が座標指定しましたリンクの地形図でも、記念物指定位置は木曽川本流ではなくて宮田用水路に記念物記号と記念物名の記載があることから確認が出来ると思います。愛知県のページを否定するわけでは決してありませんが、専門書と地形図上、また外部リンクとして提示した文化庁のリンク地図からも木曽川本流の堤防でない事は間違いないと思われます。 --さかおり 2011年2月26日 (土) 10:30 (UTC)[返信]


江戸期の御囲堤が、明治初期に決壊し復旧され木曽川堤(サクラ)となった。さらに大正期に三派川の河川改修がありかつての河川敷が陸地化し木曽川堤は内陸になったのでは?座標の地図を拡大しても宮田用水の流路はわからず。座標北側に東堤外、中堤外、西堤外の地名を確認できることから木曽川堤の存在を暗示しているように思える。精査が必要だと感じる。--Mikkabie 2011年2月26日 (土) 16:48 (UTC)[返信]

Mikkabieさんが疑問に思われていることは、もしかして『宮田用水』と『木曽川堤(サクラ)』(固有名詞としての意味であって、現木曽川自体の堤防とは異なる)が別個の場所なのではないか?と言う事でしょうか?この記念物名称の命名の由来までは私の手元にある資料からは確認できませんが、仰せのように木曽川のような規模の大きな河川になると、時代の変遷により広大な河川敷が自然人為を問わず流路変更し、かつての堤防が内陸化することは良くあることです。こちらの座標をご覧ください。この場所には本文中に記載した座標とは別の位置にある、地形図上のもうひとつの記念物名記載位置です。この位置には小規模な河川があって、本文中に記載した下流部にあたる座標位置との間が記念物指定のエリアになるのですが、その小規模河川に『宮田用水』と記載されているのが確認できるかと思います。木曽川堤という漢字の文面から、現在の木曽川を連想してしまうのは仕方がありませんが、木曽川堤(サクラ)は記念物としての固有名詞なのです。記念物に指定された位置は今日の木曽川の堤防からは離れた場所であることは明らかです。 --さかおり 2011年2月27日 (日) 01:58 (UTC)[返信]

[[2]]を見ると、確かに宮田用水上に「木曽川堤(サクラ)」と書いてあるが、木曽川堤とはさらにその南側の堤ではないのか?地図では南側に堤防上の道路らしき物が確認できる。これが、かつての御囲い堤ではないのか?「木曽川堤(サクラ)」と宮田用水は無関係のような気がしてしょうがない--Mikkabie 2011年2月28日 (月) 13:05 (UTC)[返信]

無関係のような気がしてしょうがないと言われましても、上記で示した地図等のソースから、記念物に指定された『木曽川堤(サクラ)』の位置は宮田用水沿いであると考えられるのですが、一体何が引っかかるのでしょうか?--さかおり 2011年2月28日 (月) 13:51 (UTC)[返信]



[[3]]たとえばこれ。一宮市浅井町河田には宮田用水がないにもかかわらず「木曽川堤(サクラ)」の記載があること。
[[4]] そして、やはり愛知県のページと記述内容に齟齬があること。 肝心の宮田用水にサクラの記述がないこと。--Mikkabie 2011年2月28日 (月) 14:16 (UTC)[返信]

そもそも私は『木曽川堤(サクラ)』指定エリア全てが宮田用水沿いに面しているとは申しておりません。確かに『木曽川堤(サクラ)』最西端部にあたるエリアである浅井町河田地区は宮田用水沿いではありません、しかし河田地区のすぐ東側で、江南市方面から流れてきた宮田用水は大江用水と新般若用水に分流していて、延長約7~8キロメートルに及ぶ記念物指定エリアの大半が宮田用水路沿いであることから、記事中でも宮田用水沿いと表現しました。もしそれが問題であるのでしたら、‘指定エリアの大半が宮田用水沿いに’とすれば問題ないと思います。また愛知県のページと文化庁のページ内での地図に齟齬がある件ですが、日本国の名勝及び天然記念物を指定告示する(管理ではなく)のは愛知県ではなくて文化庁であることから、当該記事が対象とするものが名勝天然記念物である以上、文化庁サイトの内容を基準に考えるのが妥当だと私個人は考えます。--さかおり 2011年2月28日 (月) 14:48 (UTC)[返信]



明治十八年堤防ノ兩側數里ニ亘リテ植栽セル處ニシテ樹種ハ彼岸櫻及枝垂櫻ヲ主トシ交フルニ少數ノ山櫻ヲ以テス 花色ノ紅白、花形ノ大小種々アリテ自ラ變化ニ富メリ現存ノ樹數千餘ニ達シ花時盛觀ヲ呈ス此類ノ櫻ヲ多數列植セル名勝トシテ全國唯一ト謂フヘシやはり、堤防の並木が主であるのは間違いないと思います、自分的には。宮田用水の両側というのは新規に指定された物なのかも知れませんね。まぁ明日、問い合わせと参考文献探しをしてみようと思います。 --Mikkabie 2011年2月28日 (月) 16:08 (UTC)[返信]



[[5]]で、正確な天然記念物の範囲がわかります。--Mikkabie 2011年3月1日 (火) 04:07 (UTC)[返信]

探し出してくださいましてありがとうございます。[6]で背景図を航空写真(G)にして重ねて表示すると、記念物指定範囲は、明らかに木曽川(南派川)堤防の並木ではありませんね。指定域の東側は宮田用水沿いであることがこれでハッキリしたかと思います。--さかおり 2011年3月1日 (火) 06:05 (UTC)[返信]

私は最初から木曽川堤が現在の南派川の堤防だとは思っておりませんし、さかおりさんの本の改訂版と思われる2003年度版の『自然紀行 日本の天然記念物』講談社では「木曽川堤の両側に・・・。」と明記してあります。今日は愛知県の担当者が休みということで強く反論はしませんが。指定域の東側が宮田用水沿いであることと、宮田用水の両側が天然記念物であると言い切ることとは、かなり、意味が違うと思います。倉内一二先生は既にお亡くなりとの講談社編集部の談 1995年の記事をFAXにて講談社編集部より取り寄せましたが宮田用水の両側という記事は本文になく地図から、さかおりさんが、そのように読み取ったのでしょうが曲解ではありませんか?あまりにも拡大解釈です。 --Mikkabie 2011年3月1日 (火) 08:10 (UTC)[返信]

別に言い切っているわけではございませんし、是が非でも私の編集が正当であるとは申しておりません。くどいようですが私は所持する文献(該当ページにある範囲地図)、地形図上の表記などを元に編集したまでで、検証性が担保された私が知らない出典があるのでしたらMikkabieさんに限らず誰でも編集してください。ここはwikipedhiaなのですから。Mikkabieさんが立項された当記事に特筆性タグが貼られ、たまたま見ていた私が『私が出典を知る(所持する)範囲』で加筆したまでです。この件に関しては、これ以上続けても同じ話の堂々巡りになりますので私はこれ以上申し上げることはございません。--さかおり 2011年3月1日 (火) 08:19 (UTC)[返信]

実際に木曽川堤(サクラ)を管理している愛知県の担当者より電話があり、宮田用水は天然記念物の指定区域ではないとの回答。--Mikkabie 2011年3月2日 (水) 13:30 (UTC)[返信]