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ノート:本門宗

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本門宗最後の管長について

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三派合同(昭和16年・1941)を推進した本門宗最後の管長について、以下の資料は西山本門寺の第49世貫主由比日光師としています。

日蓮宗辞典にも、三派の管長によるそれぞれの「奉告文」が全文収録されており、本門宗の管長は由比日光となっています。そのため私がこの記事や富士門流関係の諸記事において関連する記述を行う場合には、本門宗の最後の管長を上記資料にしたがい、由比日光と記述しています。

いっぽう、榎木境道氏の『富士門流の歴史 重須編』(妙教編集室,2007)では、三派合同の推進者が北山本門寺46世の「井上日光」師とされています(pp.512-519)。著者は「本書をまとめるに当たり、(日蓮正宗の)宗務院経学部には細部にわたってご指導をいただき」と述べておられ(「はじめに」)、大石寺ではこちらの情報を正史としているようです。本門宗の最後の管長を「由比日光」ではなく「井上日光」とする資料は、正宗だけでなく、日蓮宗系の資料にもみられます。

西山の由比日光師は、戦後は西山本門寺日蓮宗から独立させ、日蓮正宗に合流させた方なので、とくに正宗方面には詳しい情報をおもちであると推察します。

本門宗の最後の管長がどなたであったのか、詳しい情報をおもちの方がありましたら、よろしくお願いします。--Dalaibaatur 2010年8月14日 (土) 17:46 (UTC)[返信]