ノート:朱子学
「アプリオリに存在するという理」これは"A Priori"のことなのでしょうか。最初は「何じゃこりゃ」と首を一瞬傾げてしまいました。西洋哲学では正確にはDeontologicalという表現を使いますがこれを中国哲学に当てはめるのは如何なるものでしょうか。Vapour
背景の節に付いて
[編集]この手のことは確かに良く言われることなのですが、しかしこれをこんな風に断定的に言ってしまっていいのでしょうか?私自身、朱子学に付いてまったく知識がないのでなんとも言えないのですが、少なくとも「家臣は主に絶対的に服従すべきであるという思想」などとは
「ただし上下的秩序といっても、下から上への一方的な恭順をいうわけではない。」(『儒教史』P280、ISBN 4634431009)
という言葉と明らかに矛盾しています。
また「利益=欲望であるとして商工業が人間としてのあり方(実は中華思想を中心とする社会秩序)に反するものであるとして」というのも
「上下的秩序は、一つには君-民-官の国家的秩序、一つには地主-佃戸をも擬制的にとりこんだ家父長的秩序であり・・・」(同上同ページ)
「彼が編み出した社倉法は地主制的秩序を基礎にしたものである点で・・・」(山川出版社『中国史3』)
とあります。私は朱子は単に欲望や利益を否定しているわけではなく、欲望を抑制して利他心を持ち、己が分を守ることで秩序が保たれると考えており、欲望や利益をエゴイスティックに追い求めて下の者を傷つけることを否定しているのだと理解しています。
この節に付いて要出典としておきます。出典の提示がない場合は二週間後にコメントアウト、更に二週間後に削除としたいと思います。らりた 2007年12月19日 (水) 08:45 (UTC)