ノート:李淑賢
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「やはり溥儀の妻である事を嫌っていたためか、」に要検証範囲
[編集]- まず、重要な人物の記事なのに今まで記事が存在していませんでしたところに、記事を作成して下さったミラー海神さんに感謝を申し上げます。ありがとうございました。
- 「やはり溥儀の妻である事を嫌っていたためか、」に要検証範囲タグを設定しました。理由は以下の通りです。
- 島根慶一氏が書いた文章が出典とされていますが、旅行会社社員さんの文章のみが出典というのは、出典として少々力不足の感が否めません。
- 李淑賢による『わが夫、溥儀―ラストエンペラーの妻となって』は私も読みましたが、夫溥儀への愛情と、短くも幸福な結婚生活、文化大革命の騒乱と危険の中で助け合って生活する夫婦、が印象的な内容でした。中国共産党支配下での出版であり、検閲も当然経て居るでしょうから、どこまで史料価値を認めるかという問題は残りますが、この著作の存在(しかも日本語訳が出版されたのは没年であり、埋葬地決定時期とそう離れているとは思えません)と、「溥儀の妻である事を嫌っていた」という記述は、どう控えめにみても表面的には矛盾しています。
- 『わが夫、溥儀―ラストエンペラーの妻となって』には、整備された溥儀の墓に溥儀の遺骨を持って行く李淑賢、墓参りする李淑賢の写真が写っており、墓の意義を否定していたとは思えません(尤も、「それは当時の共産党の命令でなされたのであって、内心では嫌がっていた」という新しい史料が存在するのでしたら、私の勉強不足ですので御指摘頂ければと思います)。
- ただ、(押入れの奥に行ってしまっていますのですぐチェック出来ないので記憶頼りなのですが)『わが夫、溥儀―ラストエンペラーの妻となって』において、李淑賢は「溥儀は一人民として死んだ人なのだから、廟のようなものを作るのは相応しく無いと思うが、元皇帝であったのだから、それなりのお墓があっても良いとは思う」と述べています。ここからは単なる憶測ですが、「私は一人民として死ぬのだから、溥儀の隣に皇妃のような形で葬られる事は拒否する」ということは、李淑賢の遺志として有り得ると思います。つまり「夫を嫌う」という動機は(少なくとも『わが夫、溥儀』からは)考え難いですが、彼女の思想(と言って良いと思いますが)として、「一人民としての埋葬」を希望した、というのであれば、私は理解できます。
- 「実は『わが夫、溥儀』に書かれて居ない彼女の内心を示す新史料が1997年以降に出て来た。そこには『溥儀の妻であった事自体に否定的であった』事が示されている。」と言う、信頼性がより高い別の出典提示が必要と思います。--Kinno Angel(会話) 2015年8月17日 (月) 17:22 (UTC)
- 漢奸としての半生を持つ溥儀の妻と死後まで言われるのを嫌ったためか、」にも要検証範囲を貼付しました。理由の大半は上記と同じですが、もし李淑賢が「漢奸としての半生を持つ溥儀の妻と死後まで言われるのを嫌った」のなら、「仲睦まじい夫婦生活」を克明に書いた本一冊を晩年に上梓するかという単純な疑問です。仮に新史料が出て居ないのであれば、大変恐縮ですが、この島根氏による李淑賢にかかる文章全体に、出典としての信頼性を疑わざるを得ません。--Kinno Angel(会話) 2015年8月17日 (月) 17:32 (UTC)