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ノート:林達夫

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現行の版によると1924年に東洋大教授となったとのことですが、28歳で大学の正教授になったとすれば当時としても異常に早い出世と言えるのではないでしょうか。寺田博編『時代を創った編集者101』p.85(新書館、2003年)には高橋英夫氏の文章で「結局一高は卒業せず中退する。だから京大文学部の哲学科には本科生ではなく、選科生として入っている。大学卒業後、大学や旧制高校の教授とならなかった(なれなかった)のも、そのことが響いていたのかもしれない。代って岩波の『思想』の編集に携わりながら、東洋大、津田英学塾、法政大、立教大で講師をつとめるという人生を歩んだ」とあり、東洋大では教授に就任しなかったように読むことができます。どちらが正しいのか詳しいことを御存じの方は加筆訂正をお願いします。--Chesapeake 2008年12月1日 (月) 13:51 (UTC)[返信]

たしかに28歳で大学教授とは驚かざるをえませんが、手元にある文献をとりあえず挙げておきます。この年譜は、「月刊百科」「林達夫追悼号」(1984年8月号262号)を参考にしたそうで、一次資料としてはそちらをあげるべきところかもしれませんが手元にないので。116.80.252.196 2008年12月2日 (火) 11:42 (UTC)[返信]

義弟とは

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「高瀬芳と結婚(略)芳の長姉照は和辻哲郎夫人であるから、和辻哲郎の義弟となったわけである。」とありましたが、義兄弟姉妹の説明が正しいなら義弟ではないのでは? プライバシー情報と共に削除しました。--忠太 2009年9月19日 (土) 14:46 (UTC)[返信]