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ノート:柏通信所

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地名関連

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Otherde氏に質問があります。

「柏通信所跡土地区画整理事業地域では流山市域部分も柏市へ編入済であることを確認」との記述について、

  • 別のページでは旧流山市大字駒木新田字南大中は1969年に柏市に編入とありますが、柏通信所国有財産台帳および同台帳地番明細によると、1971年3月18日に流山市駒木新田字南台中244-3として1筆、4,026.00平方メートルの購入が記録されています。これは国有財産台帳の記録が誤りということで良いのかどうかというのがまず1点。
  • 「柏通信所跡地土地区画整理事業」の施行地域について、旧柏通信所兵舎地区の複合リクリエーション施設付近(旧流山市域)は、同事業設計図および完成記念誌附図上で施行地区界を確認すると施行地区外になっていますが、これは図面が誤りであるのか、あるいは施行区域が計画当初と異なり変更・拡張されたのかどうかというのがもう1点。

以上、ご教示願います。 --4263508g505 2010年6月8日 (火) 01:27 (UTC)[返信]

ご質問ありがとうございます。まずは、私の編集ミスやコメントで混乱を招いていたことを4263508g505さんにお詫び致します。柏通信所跡土地区画整理事業地域のうち、以前に流山市であった部分も現在では柏市に編入済ということを指すコメントとしておりましたが、その意味が伝わりにくかったこと、「流山市大字駒木新田字南台中(現:流山市駒木台)の一部」という記載によって意味不明なコメントとなっておりました。お詫び致します。コメントが指す部分は、正しくは「流山市大字駒木新田字南台中・南台東の一部(現:柏市柏の葉三丁目)」となります。コメントアウト部分に関しては、流山市部分が現在柏市になっている記述を誤記載と勘違いされて手直しされてしまうことに対する予防線として記載しておりましたが、脚注によって詳細を記述する形が適切ですので、除去した上で脚注にて対処したいと思います。
また、「柏通信所国有財産台帳および同台帳地番明細によると、1971年3月18日に流山市駒木新田字南台中244-3として1筆、4,026.00平方メートルの購入が記録されています。」に関してですが、特に誤りではないと考えます。柏市史年表(柏市史編さん委員会編 1980年)によると、1969年に南台中の一部を柏市に編入していることが確認されます。しかしこれは南台中の一部であり、1971年3月18日に購入した部分に関しては1969年編入分とは別の区域であると考えられます。「流山市史近世資料編Ⅰ」の市域内村別小字地図から判断すると、1971年の編入部分は兵舎地区辺りのことであると考えられますが(駒木新田字南台中244番地3の詳細に関しては、当時のゼンリン住宅地図にて確認を行いますので少しお時間を下さい)、こちらは1977年(昭和52年)8月15日発行の「広報かしわ(No.383)」や、1982年(昭和57年)12月11日発行の「広報かしわ No.555」においても流山市と記載されており、1989年(平成元年)5月発行の「エアリアマップ 柏市」(昭文社)でも「流山市駒木台」となっております。これらの情報から推測するに、柏市史年表発刊(1980年)以後、おそらく1989年以降に流山市駒木台(1971年5月に駒木新田の大部分・十太夫新田の一部より新設)から編入されたと考えられます。また、施行地域に関しては1981年(昭和56年)11月21日発行の「広報かしわ No.517」に記載されている柏通信所跡地土地利用計画案と比較したところ、現在の区域と変わらないものとなっております。--Otherde 2010年6月8日 (火) 04:50 (UTC)(追記)情報を一部追加--Otherde 2010年6月9日 (水) 00:14 (UTC)[返信]
迅速かつ丁寧な対応、厚く御礼申し上げます。なるほど、良く分かりました。--4263508g505 2010年6月9日 (水) 02:04 (UTC)[返信]
こちらこそご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。追加情報ですが、柏市と流山市のゼンリン住宅地図を拝見したところ、兵舎地区近辺は1970年代以降に少なくとも2回は境界変更を行っていることが確認できました。流山市の1973年版と1978年版で比較を行うと、少なくともその間に兵舎地区近辺から守谷街道にかけての間で市境の変更が行われております。また、完成記念誌(柏の葉)によると柏の葉一丁目~六丁目は1990年(平成2年)3月24日に新設されていることが確認できますが、1990年や1991年の柏市のゼンリン住宅地図を確認すると、初期の柏の葉三丁目は現在の区域と異なり、兵舎地区とその近辺の各一部(旧流山市駒木台部分)は含まれておりませんでした。該当部分は1997年の柏市の住宅地図では柏市に編入されていることが確認できたほか、1994年(平成6年)6月21日発行の「広報かしわ(No.970)」や、1995年(平成7年)2月11日発行の「広報かしわ(No.993)」においても柏市に含まれていることから、1994年前後に流山市駒木台から柏市柏の葉三丁目に編入されたものと思われます。
続いて、柏通信所跡地土地区画整理事業の範囲についての補足ですが、1981年(昭和56年)に発表されている「柏通信所跡地土地利用計画案」には旧流山市域を含めた現在の柏の葉一丁目~六丁目の範囲で計画案が出されていますが、もしかしたら「土地利用計画案」は柏市域・流山市域を含めた柏通信所跡地全体の計画案で、「柏通信所跡地土地区画整理事業」の範囲とは異なる可能性があります。柏通信所跡地土地区画整理事業終了の段階では旧兵舎地区の一部は柏の葉三丁目に含まれておらず、あくまで柏通信所跡地土地区画整理事業は柏市に限定したもので、流山市域は別の名称の区画整理事業区域とされ、後から柏の葉三丁目に組み込まれた可能性もあります。この仮説を分かりやすく表すとこのような感じです。
  • 柏通信所跡地土地区画整理事業区域(初期の柏の葉一丁目~六丁目の範囲)+流山市域の区画整理事業区域(後から柏の葉三丁目に組み込まれた範囲)=全体計画の範囲
また、駒木新田字南台中244番地3の詳細に関しては住宅地図では確認を行うことができませんでした。申し訳ありません。--Otherde 2010年6月9日 (水) 10:31 (UTC)[返信]
お手数かけてしまい恐縮です。ちなみに当方における疑問の本質は、
  • 柏通信所敷地内における流山市域部分が返還前に全て柏市域に編入されていたのかどうか(ゆえに、国有財産台帳の記録は地名を誤記したものではないかとの疑問)。
  • 柏通信所跡地土地区画整理事業の「施行地区(事業地域)として」柏通信所跡地の流山市域部分が柏市に編入されたのならば、事業設計図(事業決定公示当時)上で施行地区外となっている兵舎地区内の複合リクリエーションビル(旧格納庫)の敷地は、事業開始後、施行地区に追加されたのか(しかし、事業完成記念誌附図上において施行地区界の変更はみられないため、可能性としては薄い)。
ということです。後者に関しては、土地区画整理事業の事業主体が県であるところからすると、流山市域と柏市域をわざわざ分けて行う理由というのがよく分からず、かつて県の担当部局に問い合わせてもはっきりしない回答だったため、長年の疑問でした。
結論としては、
  • 柏通信所跡地土地区画整理事業は設計図および完成記念誌附図上の施行地区(変更なし)で実施され1990年に終了。
  • 兵舎地区の旧格納庫敷地付近および給水塔地区は「柏通信所跡地土地区画整理事業」とは別に跡地処理を実施。
ということでいいのではないかと考えます。理由としては
  • 土地区画整理事業の決定公示以前に旧兵舎地区内(流山市域分も含む)の米軍施設と給水塔は解体撤去されていたこと。
  • 当時オペレーションエリア内の米軍施設はまだ残存しており、事業施行時(1989-1990頃)に解体撤去されたこと。
などです。
なお、駒木新田の土地の件については機会があれば登記簿等で確認したいと思っております。以上、親切にご対応いただき有難うございました。--4263508g505 2010年6月10日 (木) 00:57 (UTC)[返信]