ノート:柳生心眼流體術

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『大阪商工銘家集』の記述[編集]

『大阪商工銘家集』の中に「北久宝寺町東堀 柳生心眼流打身骨折治療 一子相伝 大嶋荒木堂」とある、とのことなのですが、同書を何度も読み返したのですが、同様の文章を見出せなくております。だいたい、どのあたりに記述されているのでしょうか?--221.116.241.2 2024年5月15日 (水) 14:58 (UTC)[返信]

詳細な編集ありがとうございます。
古い本でページ数を書くのが難しいのでグーグルフックのリンクを貼っておきます。
住んでいる場所が違うとのことですが、後に引っ越した可能性があります。
こちらも子の大嶋学だと思います。
大阪商工銘家集--夢之枕会話2024年5月16日 (木) 03:40 (UTC)[返信]
夢之枕様
早速のご教示、誠にありがとうございます。自分の見たデータでは、なぜか、最後の方の医者の部以降が落丁している(?)ものだったようです。
こうした武術以外の資料による発見はなかなか縁がないと出会うことが難しく、大変勉強になるとともに、こうした庶民的なデータにも先師の足跡があることに改めて感動いたしました。誠にありがとうございました。--221.116.241.2 2024年5月16日 (木) 05:06 (UTC)[返信]
弘化3年には、大嶋学はちょうど二十歳となりますので、柳生心眼流(活法治療術含む)の免許を得て開業し、意気揚々と広告を打ったものかもしれませんね。--221.116.241.2 2024年5月16日 (木) 05:52 (UTC)[返信]
なお、北久宝寺町と南船場はかなり近いようなので、引越しというよりも、町名の区画変更か何かである可能性もあるのではないか、と愚考しております。--221.116.241.2 2024年5月16日 (木) 09:43 (UTC)[返信]
確認できたようでよかったです。
当時の商工の本に載ってるとはすごいですよね。
門外漢ですがこういう記録が残っていることに感動しました。
確かに地図を見たら北久宝寺町と南船場はかなり近いですね。東堀が共通しているので場所は同じで区画変更の可能性は十分にあると思います。
今後の研究に期待です。--夢之枕会話2024年5月16日 (木) 22:07 (UTC)[返信]
実は最近読んだ星野天知の本が非常に興味深かったので柳生心眼流體術の歴史に興味を持ちページを作成しました。
既存の柳生心眼流のページを編集するかで悩んだのですが、色々と詳細な編集をされる方がいるので分けてよかったと思いました。
私自身は心眼流について全く詳しくないのであまり編集できませんが、今後とも最新情報に更新編集していただけたら幸いです。
ウィキは意外と見ている人がいるので、関西江戸伝の知名度も上がると思います。--夢之枕会話2024年5月16日 (木) 22:09 (UTC)[返信]