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ノート:柴田勝義

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>織田氏の重臣となった柴田勝家の親だと言われているが、はっきりとした史料はない。しかし「勝家が織田信秀時代から重臣として扱われていたのは、勝家が守護斯波氏一族であったからである」という説の補強となり得る話である。

勝義が勝家の父である事と、勝家が斯波氏一族である事とはいずれも真偽不明であり、真偽不明なもの同士が互いに補強しあう事はたいへん困難というべきではないでしょうか。また、上の引用部分の意見は独自研究か、それ未満の私的な感想のように見受けられます。

>足利氏の氏寺・鑁阿寺にある「新田足利両家系図」の系譜によると、柴田氏の先祖は斯波高経とされる。その子孫の斯波義勝が柴田氏を称し、子の勝重、孫の勝義と相続したという。

「新田足利両家系図」は、『新田氏根本史料』所収のものは足利氏については高義をもって記述をとどめる旨の註が付されており、斯波氏については一切言及していません。従って『新田氏根本史料』所収のものをみる限り同系図を根拠として柴田氏の先祖を斯波高経とする事はできません。同系図の註によれば原本はこれ以降の足利系についても記し、傍註詳細であるとのことですが、通常は『新田氏根本史料』所収のもの以外を参照する事は困難でしょう。

そもそも柴田氏の先祖が斯波氏である旨「新田足利両家系図」に記載されていれば、その真偽はともかくとして、かねてより然るべき文献で「斯波氏=柴田家の先祖」説の根拠として同系図が提示されていたはずです。--Сорасоуё 2008年9月29日 (月) 08:11 (UTC)[返信]