ノート:桃井章
「新宿区路上喫煙禁止条例違反現行犯で摘発される」という記述について
[編集]この記述は一昨年に最初に書き込まれてから、3回削除され、4回目の書き込みがされて現状に至っています。いわば、非常に間延びした編集合戦のような状態になっているわけです。存命人物の伝記に関する方針からすれば、この記述が、「有名で検証可能でしかもその記事にとって重要なこと」が示されなければ、削除すべきということになります。
今のところ、「新宿区路上喫煙禁止条例違反現行犯で摘発される」という事実を裏付ける出典は、どなたも示されていません。ネット上には、桃井章本人のブログ桃井章の待ち待ち日記に、新宿区で路上喫煙しようとして路上喫煙撲滅キャンペーン隊に煙草を没収された経験を述べた記事(2008年11月13日付)、本件についてのウィキペディアの記述に関する批判(2008年11月13日付)があり、これを踏まえた記事は個人ブログなどに散見されますが、新宿区側が桃井を摘発したという事実は(少なくともネット上では)確認できないように思います(違っていればご指摘ください)。本人のブログしか記述がないということは、この記述自体の信憑性を客観的に担保できないということでもあり、検証可能性という点から大きな問題が生じます。
ブログの記事を見る限り、当人は、新宿区で路上喫煙しようとして路上喫煙撲滅キャンペーン隊に煙草を没収された経験は自ら公にしているわけで、秘匿することを望んでいるわけではないようですが、これを「新宿区路上喫煙禁止条例違反現行犯で摘発される」と表現することは「ニュアンスが違いすぎない?」とコメントしており、明らかにそのような記述は望んでいないと読み取れます。
また、「摘発した」という表現は「悪事を暴いて公にした」という含意になりますが、この一件を「摘発」と表現することには現状では問題があると思います。条例に基づいて「摘発」する側の新宿区が、桃井の件について、何も公にしていないからです(違っていればご指摘ください)。これは「摘発」には当たらないのではないでしょうか?
さらに、「現行犯」という表現は、通常は逮捕が必要とされる場合や、交通違反であれば反則切符が切られるような場合に用いられる表現ですが、ブログを見る限りでは、煙草を没収されたといっても、区側が正式に書類を出して没収するといったケースとは異なる、形式上は任意の放棄をしたということであるように読めます。
歩行者が赤信号で横断歩道を渡ろうとしたところを警官が見とがめて警笛を吹き、歩行者は渡るのを止めたとします。これを「道路交通法違反現行犯で摘発される」とするのは、適切な表現とは言えないでしょう。
以上を踏まえると、記述を残すとしても、「新宿区路上喫煙禁止条例違反現行犯で摘発される」と表現することは不適切であり、次のような形にすべきであると思います。括弧内は脚注でもよいと思います。
- 2008年10月、「路上喫煙禁止条例」(正式名称は「新宿区空き缶等の散乱及び路上喫煙による被害の防止に関する条例」)のある新宿区で路上喫煙しようとして路上喫煙撲滅キャンペーン隊に煙草を没収された経験をブログで公表した。
- 2008年10月、「路上喫煙禁止条例」(正式名称は「新宿区空き缶等の散乱及び路上喫煙による被害の防止に関する条例」)のある新宿区で路上喫煙しようとして路上喫煙撲滅キャンペーン隊に煙草を没収された経験をブログで公表し、ネット上で批判の的となった。
ご意見をうかがえれば幸いです。--山田晴通 2010年2月5日 (金) 16:19 (UTC)
- 二週間以上が経過しましたが、どなたからも異論はありませんでしたので、上記の最後で提示した表現に改めます。
- 別の表現をすべきとお考えの方、記述そのものを削除すべきだとお考えの方は、ご意見をお寄せください。--山田晴通 2010年2月21日 (日) 14:49 (UTC)