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ノート:桜井の別れ

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 水野さんへ    資料の不備のあったこの項目を加筆・編集していただきありがとうございます。自分も歴史好きですので、どこかでまたお会いすることがあるかもしれません。その時はご教授いただきたく思います。


'この記事はしばらくの間「桜井駅の別れ」という記事名になっていました。以下の議論はその期間に書かれたものです。'

太平記について、等

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ShikiHでございます。白拍子花子さんに少々ご教示いただきたく存じます。

1 「桜井駅の別れ」が『太平記』による正式名称とのことですが、どこにあるでしょうか。私が読んだ国民文庫版では見あたりませんでした。「桜井の宿」はいくつかあります。ただし「桜井駅の別れ」も「桜井宿の別れ」も見あたりませんでした。

2 「最期まで父上と共に」は太平記にありますか? このあたりは巻十六と思われますが、私の読んだテキストは以下の通り。

五月十六日に都を立て五百余騎にて兵庫へぞ下ける。正成是を最期の合戦と思ければ、嫡子正行が今年十一歳にて供したりけるを、思ふ様有とて桜井の宿より河内へ返し遣すとて、庭訓を残しけるは、「獅子子を産で三日を経る時、数千丈の石壁より是を擲。其子、獅子の機分あれば、教へざるに中より跳返りて、死する事を得ずといへり。況や汝已に十歳に余りぬ。一言耳に留らば、我教誡に違ふ事なかれ。今度の合戦天下の安否と思ふ間、今生にて汝が顔を見ん事是を限りと思ふ也。正成已に討死すと聞なば、天下は必ず将軍の代に成ぬと心得べし。然りと云共、一旦の身命を助らん為に、多年の忠烈を失て、降人に出る事有べからず。一族若党の一人も死残てあらん程は、金剛山の辺に引篭て、敵寄来らば命を養由が矢さきに懸て、義を紀信が忠に比すべし。是を汝が第一の孝行ならんずる。」と、泣々申含めて各東西へ別にけり。

少なくともこの部分には該当箇所はありません。

3 戦前の教科書には載っていたとのことですが、国語や修身だったでしょうか?、歴史の教科書だったのではありませんか? 具体的には大正9年改訂の第三期『尋常小学国史』の見出しに楠木正成が登場し、「桜井の別れ」のエピソードが紹介された可能性があります。

4 記事名を「桜井の別れ」から「桜井駅の別れ」に変更なさいました。これで「さくらいえきのわかれ」と読むことはもちろんできます。また、そう読むべきであることには同意しますが、見出しとしてはいかがなものでしょうか。百科事典としては、一般の人の便を考え「桜井駅の別れ」のほうがよくはありませんか? あるいは元通り「桜井の別れ」にするのはどうでしょうか。 以上4点についてお教えください。--ShikiH 2009年10月17日 (土) 03:58 (UTC)[返信]

改名提案 「桜井の別れ」にもどす。

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ShikiHでございます。本文はもともとは「桜井の別れ」だったのですが、白拍子花子さんによって改名提案を経ずに現行の「桜井駅の別れ」に変更されました。その理由は太平記による正式名称とのことですが、太平記にその記述が見当たらないこと、「桜井の別れ」として人口に膾炙していること、記事名について議論があるなら元の場所で行うべしと考えられることから、「桜井の別れ」に改名することを提案します。--ShikiH 2009年11月22日 (日) 04:32 (UTC)[返信]

質問 どちらの方も、Wikipedia:検証可能性に基づき、まず出典をお願いします。--Kurz 2009年11月23日 (月) 10:38 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。出典というと太平記のことでしょうか。ないということを証明するのは大変難しいのですが、太平記の該当部分は上に全文を示してあります。ここには見当たりません。--ShikiH 2009年11月23日 (月) 11:26 (UTC)[返信]
不在の証明は不要です。ご自身がどのような文献を根拠としているかを示していただければよいです。たとえば、「『太平記』(長谷川端訳、小学館、2008年)にはかくかくしかじかという記載がある」で構いません。おそらく双方とも出典はあるとは思うのですが、念のためにお聞きしています。--Kurz 2009年11月23日 (月) 11:50 (UTC)[返信]

ShikiHでございます。「桜井の別れ」についても、探してはみますが、おそらく確たる出典は無いでしょう。ただし本文の通り、白拍子花子さんも「桜井の別れ」とも言うと書いていらっしゃいます。私も上記で「桜井駅の別れ」は否定していません。よって次のことだけ指摘します。「桜井の別れ」はリダイレクトの項目となっていますが、ここにリンクしている項目はかなりあります。

「桜井の別れ」へのリンク↓ 楠木正成 (← リンク) 島本町 (← リンク) 湊川の戦い (← リンク) 楠木正行 (← リンク) 桜井駅跡 (← リンク) 大阪府道124号桜井駅跡線 (← リンク) 川田甕江 (← リンク) Wikipedia:索引 さくら (← リンク) 桜井 (← リンク) 桜井の訣別 (← リンク)

つまりこれらの執筆者は「桜井の別れ」と呼ぶことに異論がないと推量します。学兄のさらなるご意見をお待ちします。--ShikiH 2009年11月23日 (月) 18:07 (UTC)[返信]

'記事名が「桜井駅の別れ」だったときの議論はここまで。'--ShikiH 2009年11月29日 (日) 05:19 (UTC)[返信]

「桜井の別れ」への再改名について

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ShikiHでございます。改名提案をしておりました。ご質問は1件ありましたが、反対意見はなかったので「桜井駅の別れ」から「桜井の別れ」に改名しました。--ShikiH 2009年11月29日 (日) 05:32 (UTC)[返信]