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ノート:梶川日記/削除

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この投稿で追記された文章の内、書き手の意見の表明と思われる一番最後の部分、こちらのページに[1]ほぼ同一の表現が見られます。

これが著作権侵害になるか、というと、ちょっと正直わからないのですが、思想・感情の表現であるか否かといえば確かに思想の表現ではあります。

そうであれば、判例によっては、独創性などを書いた表現であっても著作物として認めた上で、後はそれがデッドコピーなどであれば侵害とし、改変の度合いが高ければ侵害ではないとする、というような扱いをすべきという判断も見られますので、あるいはそのように扱うべきなのかも知れません。

関係の深そうな判例として、とりあえず以下の高裁判決2つを挙げておきます。[2][3]

これだけ長い記事なので、正直もったいないという気もするのですが、とりあえず報告しておきます。

Tomos 2004年7月23日 (金) 22:13 (UTC)[返信]

百楽天です。
Tomosさんが指摘されたところは「秋ノ野間」のことでしょうか。これは、専門家の間では過去何度も議論されてきたことです。私の説もあるのですが、それをだすと話がややこしくなるので、やめました。(この裏話はメールにて)

松之大廊下の中庭側は、柱と柱の間に舞良戸2枚と明障子が引き違いに入っていた。このときは舞良戸2枚を重ねて明障子を閉め、外気を閉ざして外から明りだけをとっていたはずである

これは、私が言い出したことで、高い評価をうけています。

なお、梶川與惣兵衛の日記の写本を収載した「丁未雑記」は、幕府祐筆の向山誠斎(むこうやませいさい・文化七~安政三年・1810~1856)が筆写したもので、東京大学の史料編纂所では「丁未雑記」がどのようなものかわかっているはずですが、その説明を書いたものは私が知る限りありません。『忠臣蔵』(野口武彦著/ちくま新書/ ISBN 4-480-05614-9)は最近よくいろいろな本に引用されたり参考文献としてあげられていますが、野口氏も「丁未雑記」の意味がわからず、お手上げでした。百楽天 2004年7月24日 (土) 08:54 (UTC)[返信]