ノート:横十間川
ダイオキシン類の基本的な認識及び東京都内の底質ダイオキシン類に関する情報に錯誤がありましたので、訂正させていただきました。よろしくお願いします。—以上の署名の無いコメントは、133.205.44.18(会話・履歴)さんが[2008年1月6日 (日) 14:08 (UTC)]に投稿したものです。コメントの最後に--~~~~と書くだけで自動的に署名できます。
新大橋通りの橋上から撮影した写真の差し戻し理由
[編集]新大橋通りの橋上から撮影した写真を差し戻しました。理由は、以前の写真(曇天の日の写真)のほうが横十間川が持つの特徴の一端を捉えているからです。横十間川にはいくつか特徴がありますが、曇天の日の横十間川の写真の左下隅にはボートが写っているのです。
広重の浮世絵『江戸名所百景』の「柳しま」はこの写真よりもっと北の方を描いた浮世絵で、横十間川が浅草通りの北側に沿って流れる北十間川と合流している地点です[3]。「柳しま」の浮世絵には横十間川にも北十間川にも舟が浮かんだ様子が描かれています。「柳しま」は横十間川と北十間川の合流地点なのですが、以前は北十間川沿いには亀戸梅屋舗があって、観光客は舟で訪れていたそうです。また、横十間川には亀戸天神社付近やJR総武線の橋の近くに遊覧船乗り場があって、遊覧船が横十間川を通って東京湾まで運河巡りなどをしています。 このように、横十間川と舟は歴史的に繋りが深いのです。曇天の日の写真のボートはどこかの学校か社会人のクラブ活動のようなのですが、江戸時代から舟との関わりの深い横十間川ですから、現代の舟であるボートが写っている曇天の写真のほうが横十間川の写真に相応しいと考えます。このような理由から、曇天の写真に戻しました。--Nzrst1jx 2009年8月1日 (土) 18:40 (UTC)
- (コメント)差し戻しの件、了解しました。もしお手間がありましたら、同様の特徴を捉えた晴天時の画像を撮影していただくとともに、類似画像をいずれかにまとめて、不要なファイルは削除していただくことを、希望しておきます。上記、もし長期的な課題として取り組んでいただけるなら幸いです。--しいたけ 2009年8月2日 (日) 02:45 (UTC)。字下げしました。--Nzrst1jx 2009年8月2日 (日) 03:37 (UTC)
- 晴天の日に遊覧船やボートが写った写真があれば、より相応しい写真だと思いますが、今はそのような写真を持っておりません。それから、曇天の日の写真をアップロードした当初の目的は、東京都立墨東病院の項目に写真を貼付することでした。墨東病院のホームページでも病院を北側から撮影した写真が使われているのですが、首都高速やビル、電線などの構造物を避けて病院を撮影するには、病院の立地条件により北側から横十間川越しに撮影するしかないのですが(墨東病院は横十間川の西岸に隣接しています)、晴天の日では逆光になってしまい、曇天の日の方が撮影が楽なのです。しかし、病院の項目でどんよりした曇天の日の写真ばかりでは気が滅入るので、晴天の日にほぼ同じ角度から撮影し直し、墨東病院の項目の写真はそれに差し替えました。墨東病院から外した曇天の日の写真にはたまたまボートが写っていて、横十間川に使えると思い、本項目に貼付したという次第です。晴天の日に舟が写った写真が撮れたら、それに差し替えたいと思います。--Nzrst1jx 2009年8月2日 (日) 03:37 (UTC)。変更。--Nzrst1jx 2009年10月8日 (木) 13:35 (UTC)