ノート:正木流
最近、以下の文が何度も書きこまれています。
付け加えると上の文を載せる人は「編集の要約」に度々「aho」「baka」「hageyarou」と不真面目な書きこみをしています。
この書きこみはWikipediaのルール(検証可能性、中立的な観点、礼儀を忘れない)に抵触します。--シンシン 2008年7月19日 (土) 08:27 (UTC)
11代宗家
[編集]他の人が出典にしている十代宗家の名和弓雄氏が書いた『隠し武器総覧』(壮神社)の末尾《おわりにあたって「正木流万力鎖術伝承と宗家廃絶」》には
平成十年十月十日をもって、正木流宗家の廃絶を予告し、名和弓雄の死去と共に廃絶する。師範家は目下、人選中である。 技術優秀で、すべての型に精通し、健康で人格的に師範にふさわしい人で、十代宗家の直接に指導した人の中から、師範家を選びたい。したがって、名和弓雄の死後は、何人も正木流宗家を名乗ることは許されない。
万一、まぎらわしい肩書きを使用した場合は、悪意による贋物とみなし、重大な詐欺行為と認定する。とあります。
よって「11代宗家」はありえないものと判断できます。「11代宗家」が真実だとしてもが出典が明記してありません。--シンシン 2008年6月30日 (月) 16:39 (UTC)
他の人が書いた出典情報の削除
[編集]また他の人が出典として明記している上記の『隠し武器総覧』(壮神社)の情報を削ってしまうのは問題があります。--シンシン 2008年6月30日 (月) 16:39 (UTC)
検証可能性の不備
[編集]「名和氏が老人特有の病気が出たことを良い事に」「詐欺師紛いの弟子」「ちなみに師範家は実力ではなく金銭で売買された。(70萬円前後の価格) 」と書いています。
しかし常識的に考えれば、十代宗家の承認なく師範の資格を売るものがいても買う人間はいません。詐欺、脅迫によるとしても、犯罪まで犯して一人から取る金額が70万円では割に合いません。
ウィキペディアの記事における方針のひとつ検証可能性を満たしていません。書いたことが真実だとしても今はウィキペディアであつかうべき内容ではありません。--シンシン 2008年6月30日 (月) 16:39 (UTC)
中立性の問題
[編集]「正統派正木流」とあえて「正統派」を付けるのは、ウィキペディアの大事な方針中立的な観点にはそぐいません。
また同じ理由から「名和氏」「柴田孝一氏」と敬称つけるのは好ましくありません。--シンシン 2008年6月30日 (月) 16:39 (UTC)
ローカルルール草案
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現状改善にあたりローカルルールを提唱します。
2008年7月20日発布、仮運用開始
2008年9月20日正式運用開始予定
- 投稿者は既存の書きこみに異論がありかつその書きこみがローカルルールを満たすなら、編集する前に必ず議論を経ること。ローカルルールに違反した編集のリバート、荒らし投稿の除去、誤字脱字の修正は別。
- 周知で疑問や異論が出ないと思われるもの以外は出典をもって記述する。(Wikipedia:検証可能性)
- 検証可能なことのみを載せる。(Wikipedia:検証可能性)
- 中立的な観点から書く。(Wikipedia:中立的な観点)
- 個人的な分析、批評、総括などを書かない。(Wikipedia:独自研究は載せない)
- 著名活動をしていない一般人のサイトへの外部リンクはしない。(Wikipedia:外部リンクの選び方)
- 編集、要約欄への書き込み、コメント、ノートページでの議論において礼儀を忘れない。(Wikipedia:礼儀を忘れない)
- 正木流十代宗家名和弓雄氏が書いた『隠し武器総覧』(壮神社)の末尾《おわりにあたって「正木流万力鎖術伝承と宗家廃絶」》の一部
平成十年十月十日をもって、正木流宗家の廃絶を予告し、名和弓雄の死去と共に廃絶する。師範家は目下、人選中である。 技術優秀で、すべての型に精通し、健康で人格的に師範にふさわしい人で、十代宗家の直接に指導した人の中から、師範家を選びたい。したがって、名和弓雄の死後は、何人も正木流宗家を名乗ることは許されない。
万一、まぎらわしい肩書きを使用した場合は、悪意による贋物とみなし、重大な詐欺行為と認定する。は当事者が書いた重要な情報であるため削除しない。
ローカルルールについてのコメントはこちらへお願いします。--シンシン 2008年7月11日 (金) 15:57 (UTC)
これはローカルルールと断る以前に、ウィキペディアの基本方針ではありませんか? 原則としてローカルルールを安易に作ってしまうことには賛成できません。上記の草案は、「基本方針の確認」とでもして、これにそった書き込みをお願いします、という論調で充分だと思うのですが、いかがでしょうか。--Nazox 2008年7月11日 (金) 16:17 (UTC)
コメントありがとうございます。既存のローカルルールを参考にして上記のようになりました。是が非でもローカルルールを作るつもりもありません。ただ「7月20日発布、仮運用開始」と謳っているため、みなさんの意見を聞いたうえで7月20日には対応を決めたいと考えています。--シンシン 2008年7月12日 (土) 12:19 (UTC)
(結論) 2008年7月20日からローカルルールを仮運用すると書きましたが、コメントを考えローカルルールは見送り注意のみ書きます。また問題の書きこみは削除し、それに伴いテンプレート「中立的な観点」も削除します。--シンシン 2008年7月19日 (土) 08:27 (UTC)
参考事項 名和弓雄 晩年の名誉のために
最晩年まで氏とはある程度親しくお付き合いいただきました。 知る限りの実像を申し上げておきます。 (1)著書の多い方でしたが、最晩年になっても新著意欲は高く何冊かの新著を出されています。 なお著作までいかなかったものの構想としては(カラミティジェーン)に若いころの映画のイメージもあって興味を持たれて調べておられました。 英文の翻訳、古写真の銃の形式判別などをお手伝いしました。 どの程度著述されたかは存じません、発表には至りませんでした。 (2) 晩年の代表的著作は(設楽が原合戦の真実=雄山閣 平成10=1998)で、これは騎馬隊対三段一斉射撃の大論争にかかわるもので、代表的研究家たちとは随分打合せをされたのに同席したことがありましたが、通常老人の手に負えにくい程の力行でありました。 2000年(平成12~)代になっても意欲は衰えず新著が二冊出ています。 (時代劇を斬る=河出書房新社2001年2月=平成13年) (妖刀村正=河出書房新社=2001年3月=平成13年)これがたぶん絶筆と思います。 (3)問題の(図解隠し武器百科)の初版は昭和52年ー1977、新人物往来社の刊でこの後書きには「正木流・江戸町方十手術宗家」と略歴で書かれています。 (4)宗家としての秘伝意識 想像ですがあまり(秘伝)として隠すという事は好まれなかったように思います。 門外のわたしなどにも気軽に万力鎖の操法などを雑談の合間に見せる人でした。 「正しい形を伝え残さなければならない、間違った形は許されない」と幾度も聞きました。 十手・捕縄事典 雄山閣1996年2月=平成8)後書きにその気持ちが善く現れていると思います。 (5)風貌と健康状態 (時代劇を斬る)巻末の(著者近影)はよく出版当時ころの面影を伝えています。 年齢から考えると類い稀な矍鑠状態で、「老人特有の・・・」と言うのは運動機能のことか頭脳のことか、どちらも全く納得できません。 (妖刀)をちょうだいしたときの雑談に「もう受け身を取るのはできないな、危なくなってきた」と言っておられました、そういう程度まで運動能力は持っておられました。 時によるのか杖を使われていることがありましたが「歩行の用心か?。護身用か?」などとわたしなどは深読みするくらいのものでした。 療養は亡くなる前々年の暮れから正月にかけて入院されました、風邪起因の肺炎と聞きました。 退院されてから「生まれて初めての入院体験。 (患者様用)というスリッパがあった。 患者様とは俺のことか・・とちょっと感懐があった」と言う話でした。 その年末に再び同じことで入院されそのまま帰天されました。 「老人施設で云々」と言うのはどの時点のことを言うのでしょうか?。 (6)晩年の生活など。 失礼な話ながら(生活困窮)と言うことなどはなかったお見受けします。 阿佐ケ谷のマンション2フロアーを、1フロアーをコレクションの一部の収蔵と事務所、1フロアーを生活拠点にされる状況で、出版も精力的にされていましたし、最晩年寄贈も含めてコレクションを大学などに譲渡されたことも含めて経済的には余裕のある生活だったと想像しています。 お酒は全くだめ、想像以上に堅物のところのあるひとのようでした。 むしろ付き合いのある人の酒癖や健康を気遣われて、かなり強く言われていたことがあります。 (7)葬儀など 葬儀は本人の意向で家族のみ、ただ今は故人になったひと独りだけが、たまたま知り得て内輪の手伝いをしたと聞きました。 設楽が原研究でかかわった著書のサンクスにも度々登場する研究者たちは古い付き合いの方たちですが、わたしともども気が付かなかったというのが実情です。 (8)宗家の継承などの問題。 細かいことは知りません、知っていても公表しません。 正木流以外のところでも、いろんな愉快ならざる経験があったのは事実です。 (流派)と称することが売名と骨董営業の具にされる傾向はかなりの範囲で目に余る状況もあり、不快感を漏らされていたのは幾度か経験があります。 これは名和弓雄周辺だけの現象ではありません。 結局のところは、そういう人達は社会的にも認知されなくなっているのが現実で、その見当外れの憤懣が名和批判と言う形で続いているのではないでしょうか。 名和弓雄という人も人間ゆえに完璧であったとは申しませんが、宗家・秘伝家を名乗る武術家・研究者としては珍しくオープンな方だったと思います。
かかわる流派関係者には以上でおおよそおわかりのことと思いますが、故人の名誉のために知る限りを記載しておきます。(外天) (文責・山本伊左夫 *鹿島神宮古式砲術保存外天会・武道通信社編集委員)
流祖と現在の道統について
[編集]流祖正木利充と名和弓雄以降の道統については見出しを分けた方が読みやすいように思います。 次に正木利充の修めた武術は剣術、薙刀、万力鎖、鎖鎌など幅広く、それらに「正木」の名が冠されます。そこで各武器毎に見出しを付けて記述してはいかがですか。大垣に古文書が残されていますのである程度史料に基づく記述は可能です。 --御燈香平(会話) 2015年5月24日 (日) 08:28 (UTC)