ノート:死のう団事件
記事の改善(客観化)にむけて
[編集]一読、面白い記事と関心いたしましたが、歴史読物としてでなく百科事典の一項目として存立するには以下の点を改善する必要があると考えます。
以下の記述は非常に具体的ですが、当時の新聞報道等からの再構成でしょうか。それとも関係者の証言(戦後の?)によるものでしょうか。仮に後世の推定・脚色等が混じっているとするなら事典の記述としては適切ではないと考えます。
- 「よくも俺の女に手をつけたな」「江川を出せ」などと怒鳴らせるという嫌がらせ
- やがて苛烈な拷問が始まった。殴る、蹴るの暴行はもちろんのこと、火の点いた煙草を全身に押し当て、あるいは力任せに髪を引っ張っては振り回す。女性は裸にされ、他の警官らの見ている前で胸を揉まれた。
- 党員数は激減し、「たまには顔を出す」と語った者まで含めても
- 会館を怪しい人物が訪れるようになる。彼らは入れ替わり立ち代わりやって来ては、告訴取り下げを忠告したり、あるいは脅すような口調で迫ったりした。
- 示談金として1,000円が、それが断られると2,000円が提示された。
- (死なない程度に刃先で腹を切るのみに留めるよう言った。)それを聞いた党員らはあからさまに不満気な表情を浮かべたが、
- 首相官邸を目指した男は、目標が見付からず焦りの色を見せたが、やがて意を決して
以下は江川本人がどこかで文書に残しているのでしょうか。それとも江川の言を聞いた者の証言でしょうか。あるいは関係者の推定でしょうか。これも「戦後の関係者の談によれば~」のような客観化が必要と考えます。
- また江川は、検察の意図が「秘密結社を組織した」として治安維持法違反の罪を負わせることにあると悟った。
- (自室に籠っていた江川に、党員5名が自決の請願書を提出した。)江川は悩んだ末
あと別件になりますが、「関連書籍」として挙げられた3冊がどういった性質のものか(証言集か、小説の如きものか)などを記載していただけると有難いです。なんだったらこのノートにご紹介を頂けるだけでも助かります。以上長々と申し訳ありませんでした。--South Kensington 2006年2月16日 (木) 11:51 (UTC)
ご指摘の件について
[編集]無関係とも思える話から始めますが、私は「俗っぽい話題の充実」がウィキペディアの独自性の1つと考えております。モーツァルトの糞尿に対する執着を検証するような百科事典を、私は他に知りません。しかしそういう記述が理解と記憶の助けになると思っております。故に私は、かなり意図的に「読み物」に傾斜した記述をしました。
本文では3冊を関連書籍として挙げましたが、実際には保阪正康著『死なう団事件』に依拠していると考えて差し支えありません。本事件を主題として書かれた本は、同書以外に存在しないと認識しておりますので(残り2冊は、あくまで近代日本と日蓮主義の関わりを述べたものです。「死のう団事件」自体が主題という訳ではありません)。故に、保阪『死なう団事件』について詳しく説明します。
同書は、昭和47年に初めて上梓された、保阪の著述活動のきっかけとなった本です。世間は保阪を「ノンフィクション作家」と呼んでおり、実際本書は「読ませる」部類の本であります。しかし保阪の綿密な取材には定評があり、当事者の証言も多い本書の学術的価値は少なくないとも考えます。ただし保阪に対しては、証言者の主張に対する批判的検証が少ないとの指摘もありますので、その点に関しては留意した方が良いかもしれません。
前置きが長くなりましたが、ご指摘の件について。保阪『死なう団事件』では、以下のページに記述があります。
- 建設業者の嫌がらせ・・・95ページ
- 信者への拷問・・・141ページ
- 「たまには顔を出す」と語った者・・・171ページ(保阪『死なう団事件』では”たとえば時おりは会館を訪れますからと約束する信者”と記述)
- 「怪しい人物」「脅すような口調で」・・・176ページ(”得体の知れない人物”、”脅し文句を並べて威嚇”)
- 示談金について・・・215~216ページ(”「一千円でどうか」と内示”、”二千円しか出せないので、これで取り下げて欲しい”)
- 「あからさまに不満気な表情」・・・268ページ(”露骨に嫌な顔”)
- 焦りの色を見せたが云々・・・20ページ
- 江川は~悟った・・・146~147ページ
- 「江川は悩んだ末」・・・268ページ(”「二日二晩、ゆっくりと考えてみたが」”)
上述の通り、保阪は生存者や警察関係者への取材を行い、貴重な証言を得ております。また、警察と争っていた頃、江川らは交渉の内容や監視の警官の風体について詳細なメモを取っております。『死なう団事件』はこうした情報に基づいて書かれておりますが、やはり「歴史書」というより「ノンフィクション」といった性格がありますので、筆者の想像力が行間を埋めている可能性もないとは言い切れません。
先に私は「意図的に読み物として記述した」と書きましたが、「事実を淡々と記述する」のも大事であり、両立を図りたいと考えております(一応私も「百科事典の執筆者」になった訳だし)。ご指摘はもっともだと思いますので、修正する(してもらう)のもやぶさかではありません。私自身は、気張って書きすぎたので正直疲れてしまいましたが。--Lombroso 2006年2月16日 (木) 16:01 (UTC)
- 記事執筆お疲れ様です。一読して即新しい項目候補に投票しようとしたのですが、文の調子が引っかかって残念ながら投票を迷ううちに選考期間が終わってしまいました。少しだけ文章を百科事典調?の語尾に直しました。凡庸な直し方になってしまいましたがご容赦ください--Nopira 2006年2月17日 (金) 05:51 (UTC)
過激な(?)意見になりますが…記事の存在意義が問われるのではないでしょうか。私もSouth Kensingtonさんとおおむね同意見です。ウィキペディアの目的は、信頼されるフリーな百科事典を創り上げることです。――それも、史上最大の、質も量も最高の百科事典を(ガイドラインより抜粋)とある以上、この事件の歴史的もしくは社会的意義などが論じられるべきと思います。「俗っぽい話題の充実」が目的のひとつであるというのは尊重されるべき意見のひとつと思いますが、であればWikipedia‐ノート:基本方針とガイドラインとかでコンセンサスをとる必要があると思います。また、Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアはナレッジ・ベースではありませんの5番に抵触するのではないでしょうか。
最近私も、翻訳依頼に基づきチューリップ・バブルを執筆しました。3面記事的な事件ですが、百科事典の項目に相応しいものになるようにできるかぎり配慮したつもりです。アズンチャ 2006年2月17日 (金) 12:21 (UTC)
- 何だか話が大きくなってきて困惑しておりますが。読み物として記述したのは、できるだけ当事者の息遣いが伝わる記事にしたかったからでもあります(文才はからきしですが)。ただでさえほとんどの人名を伏せているので(新聞業界が実名報道を求める気持ちが少し解ります)、この上事実の羅列としてしまうと無機質な内容になり、信者の追い詰められていく過程が伝わりにくいのではと考えました。ウソを書く気は毛頭ありませんでしたけれども。
- 私は初めてこの事件を知った時、「集団で『死のう』と絶叫したり自殺したりした変な集団」などという表層的な捉え方をしたものです。実際そのように取れる書き方の本が多いですし(記述がわずかというのも大きな原因でしょうが)。本記事は、それに対する「贖罪」のつもりでした。「切腹」という衝撃的なネタをぶら下げて関心を引き、最終的にはより深く考えてもらえるような構成にしようとしたのですが、途中で飽きさせないような表現を選んだのはどうやら逆効果のようですね。
- 「記事の存在意義が問われる」となると、どうしたら? 私は、歴史家や社会学者が本事件をどう位置付けているのか知らない(そもそも、事件を論じた学者がどれほどいるんだか)ので、事件の意義を書くことができません。このような状況下で意義を論じても、「私の個人的見解」とされてしまいそうで。また、血盟団のように重要人物を殺害した訳でもないので、例えば高校日本史でも決して取り上げられることはありません。となると「記事を立てる意味なし。削除すべし」となるのでしょうか。言っててだんだん解らなくなってきた(すいません。卒論以外に学術論文を書いたことないので)。--Lombroso 2006年2月18日 (土) 14:59 (UTC)
- ついでに。
- South Kensingtonさんの指摘した部分の記述は、恐らく検察の調書、元信者の証言や日蓮会側が記録していた文書によるものと推察されます。著者に聴いた訳でないので、あくまで推察ですが。治安維持法違反に関して、保阪は取調べ中に江川に対し、組織の秘密性を問う質問があったことを書いておりますので、恐らく保阪は「検察が秘密結社の容疑を着せようとしていることはすぐ解ること」として書いたのでしょう。拷問の内容は、告訴状が現存していること、新聞記事が日蓮会側の主張を取り上げたこと、著者が拷問の被害を受けた元信者らに取材していることから、これらの情報をもとにしていると思われます。「時おりは会館を訪れますから」とのくだりは、日蓮会が組織の人数を調査した際のことですので、その時の記録があるのではないかと思います。示談金については、警察との交渉を記録したノートがあるとのことですので、それに基づくものでしょう。首相官邸と間違えて外務次官邸で腹を切った男のくだりは、著者が本人に面会し、証言を得ております(「あんなところに行くのは初めてだから、全然わかんない。適当なところに目星をつけて、”死のう!”っていって、やったんだ」)。その他は、証言に拠っていると考えるのが妥当かと思います。全て推察ですが。著者ではないので。
- ご指摘のあった部分は、もうバッサリ切ろうかとも考えております。ところで、示談金のくだりは、そんなに問題のある表現だったでしょうか。--Lombroso 2006年2月18日 (土) 15:56 (UTC)
- Lombrosoさんに。私の投じた一石で大分困惑されているご様子で申し訳なく思っていますが、私はこの項目自体、存続する意義大有りと確信しております。昭和戦前期の異常な世相を代表する事件として、例えば三原山投身ブーム(あれは昭和何年からだったか?この死なう団より少し前かも知れません)などと共に論じられる価値があるし、新聞が大衆マスコミ化し、事件を興味本位で報道するようになったという点では阿部定事件などとも共通点があります。
- だからこそ、この項目の筆致を「惜しい」と思ったのです。他の利用者が「この時代はどんな世相であったか」「関連する事件に何があったのか」などを加筆しようにも、読み物としてあまりにも「面白すぎる」「完成された」筆致がそれを困難にしているように思えたのです。残念ながら、本当に残念ながら、百科事典には無味乾燥な記述が要求される場合もあるのです。阿部定事件なんてその意味では実に百科事典的です。
- 最後に、示談金の件ですが、1000円や2000円という金額の当時における価値は最低でも語られるべきだし、もしこれが本当の話だとすると警察が非を認めたということなので、戦前に片鱗でも報道があったのか、戦後の生存者の述懐に基づくのかは重要と考えた次第です。--South Kensington 2006年2月18日 (土) 17:17 (UTC)
- 貨幣価値の比較は非常に困難です。卵を基準にした物価上昇率と鉛筆を基準にしたそれでは、数値にかなりの差が出てくるでしょう。通常はもっと専門的な指標を用いますが、企業物価指数と消費者物価指数の間にも、やはり大きな差があります。故に、記事中で説明するには手に余ると考えます。「現在の○○円に相当」という書き方は、「現在」がすぐ陳腐化しますので避けたい表現といえますし。とりあえず、日銀ホームページで企業物価指数の比較を見ると、1934年の指数は0.969、対して2004年は644.7。これに基づいて考えれば、事件当時の1,000円は2004年の665,300円に相当することになります。これくらいでご勘弁を。
- なお保阪によれば、警察側が江川らと交渉を行う中で、「警察部長名で謝罪し、日蓮会を真っ当な宗教団体として扱うこと、その旨を警察部長の談話として新聞に掲載すること、慰謝料を支払うこと」などを条件に、告訴取り下げを何度も求めたとのことです。--Lombroso 2006年2月22日 (水) 10:56 (UTC)
- 貨幣価値を現在と(およびいつのことかわからない未来と)比較するのが困難であるのは私も承知しています。こうした場合普通は同時代の物価・給与などのうち、現時点(および未来時点)の読者にとっても類推可能なものをモノサシとして出すことで代用させます。ご参考までに、小笠原諸島#歴史の項では、船の運賃と公務員の初任給を比較していますね。Wikipedia日本語版で、いくつかの代表的な物価(郵便料金、米価、鉄道運賃、初任給、内閣総理大臣の給与等でしょうか)を一覧にしたものを整備すれば、そこへのリンクを貼るなどで片付くのですがね。--South Kensington 2006年2月22日 (水) 11:37 (UTC)
- (追記)Lombrosoさんにご迷惑でなければ、ここの部分(1934年の1,000円はどんなレベルか)に関しては私がやります。数日のご猶予をお与え下さい。--South Kensington 2006年2月22日 (水) 11:43 (UTC)
前回の発言について
[編集]前回の私の発言が、無用な軋轢を招いたみたいで、申しわけありません。一言お詫びしたうえで、言い逃げも何なので見解を表明させていただきます。
これは百科事典的な記事になるのだろうか、という気がしとります。「百科事典的」というガイドラインを振り回しすぎると一種の「清談」になってしまい、知識人のひとりよがり的傾向を招くおそれもあるんで、このへんは私も迷うところなんですけれど。事件じたいは面白いので、関連性などについての加筆があれば十分存在意義ありと思いますが、今のところ日付からしかリンクがない状況では、最近流行の「前言撤回」はできかねる状況です。
再読してみて思ったのですが、創価学会に対する反感を強める事件のひとつとなった、とする方向から意味付けることは可能性としてありえますね(これもやはり十分なリサーチが必要になってきますが)。きついことをいうと、この問題が解消されないなら、死のう団事件はWikipediaよりも個人サイトで紹介したほうが望ましい事件ということになるのではと思います。アズンチャ 2006年3月5日 (日) 00:14 (UTC)
英語翻訳
[編集]この事件は英語のページがあるの?
この記事は、保阪さんの本を参考にしたというより、その要約と言ったほうが正確ではないでしょうか。