ノート:民族性

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統合提案[編集]

当記事「民族性」を、記事「国民性」へ統合することを提案します。現在の当記事で試みられている独自研究的な解説ですが、その内容は「民族性」を説明していません。また、当記事で挙げられている類例は、いずれも「国民性」についてのものです。そして、他言語版へのリンク先も誤っています。--Lakebuel 2010年1月14日 (木) 19:54 (UTC)[返信]

独自研究ではありません。「内容は『民族性』を説明していません」とのことですが、下記ご参照。
初版とこの版までの典拠:
  • 『文化人類学入門』 祖父江孝男 中公新書 2006年3月10日増補改訂版28版 ISBN 4-12-190560-1 P169 - 193 第八章 文化・心理・民族性
  • 『文化人類学入門』祖父江孝男 中公新書 2006年3月10日増補改訂版28版 P187
  • 『風土』和辻哲郎 岩波文庫 2006年5月25日第47刷 P3 - 5
この節の典拠:
この節の典拠:
  • 『文化人類学入門』 祖父江孝男 中公新書 2006年3月10日増補改訂版28版 ISBN 4-12-190560-1 P192
  • 記事の履歴を参照してみて下さい。
  • 祖父江孝男については、記事「祖父江孝男」ご参照。
Uryah 2010年1月15日 (金) 22:16 (UTC)[返信]
他言語版へのリンクは、この版で行われています(リンクが貼られる前の版)。
Uryah 2010年1月15日 (金) 22:16 (UTC)[返信]
コトバンクには「民族性」を「その民族に特有の性質。特に、その民族の宗教・習俗に根ざす感覚・感情的な面についていうことが多い。」(1)、「国民性」を「ある国民に共通してみられる気質や性格。」(2)と書かれています。
初版は1979年に書かれた『文化人類学入門』 祖父江孝男 中公新書 2006年3月10日増補改訂版28版 ISBN 4-12-190560-1 には、民族性・国民性 と並べて書かれているところがありますから(たとえばp.187)、賛成が多数になるなら、記事の統合(とどちらかへのリダイレクト化)に反対しません。
ですが、記述の情報を落とすことには反対します(独自研究ではありません)。
それから、「民族ではない」ことは、ここに書いておかさせてもらいます。たとえばアメリカ合衆国でアイリッシュがポーリッシュがと民族性ジョークを飛ばし合う場合、アイルランド系アメリカ人、ポーランド系アメリカ人をジョークにしようとしているのであって、「国籍」を念頭に置いたものではないでしょう。華人は華人として1つの文化性を帯びていると思いますが、その文化性と、住んでいる国・持っている国籍/国名のそれとは「一致」しません。日本も、これから、2010年以降、訪れる・住む・そして帰化する「海外」出身者がもし増えていくなら、民族=国 ではどんどんなくなっていくでしょう。Uryah 2010年1月16日 (土) 06:46 (UTC)[返信]
コメント ご意見ありがとうございます。Uryahさんは、当記事「民族性」の作成者であり、主だったる編集をされてきたかたですね。 「民族性」という用語も使われ得ることは判りましたが、日本語の文脈のなかで「国民性」とのあいだに、それぞれ独自の明確な定義/使い分けをすることは、やはり不可能だろうと考えざるを得ません。 つまり、「国民性」と「民族性」とは重複記事であり、利用者・編集者にとっての不利益だろうと思います。 記事の履歴を参照しますと、2006年11月に利用者:Uryahさんが当記事「民族性」を立ち上げてからしばらく、先に存在していた記事「国民性」(2006年9月作成)には気付いておられなかったのではと推測します。また、両者の比較において日本語としての一般性が高いのは「国民性」で間違いがないと思いますが、如何でしょうか。--Lakebuel 2010年1月17日 (日) 09:24 (UTC)[返信]
>両者の比較において日本語としての一般性が高いのは「国民性」で間違いがないと思いますが、如何でしょうか。
「間違いがない」とは思いません。民族性へリンクしているページはこれ、国民性へリンクしているページはこれです(引用度(と言っていいのか?))。「民族性」を検索するとこう、「国民性」を検索するとこう出ます(言葉が使われる頻度、あるいは使われ方)。たとえば記事「馬英図 2009年11月26日 (木) 01:24の版」(最新版)には「源を同じくする八極拳であるが、民族性を反映し独特の発展を遂げていた。」という記述がありますが、これを「国民性」と置き換え得ると考えるのが日本語として妥当、あるいはリンクを開いたら「国民性」が現れるのがWikipediaとして妥当とは思いません。記事「イスラエル人 2009年12月23日 (水) 19:27の版」(最新版)のなかでは、「イスラエル人の中には彼らの国民性を民族性としてとらえず、国籍と祖先に求める人々もいる。」という使われ方もしています(言葉の使われ方)。両者がまったく同一のものを指す言葉だと、自分は思いません。
>2006年11月に利用者:Uryahさんが当記事「民族性」を立ち上げてからしばらく、先に存在していた記事「国民性」(2006年9月作成)には気付いておられなかったのではと推測します。
記事の統合を検討するにあたって、「どちらが先に立項されたか」は、あまり重要ではありません。
>日本語の文脈のなかで「国民性」とのあいだに、それぞれ独自の明確な定義/使い分けをすることは、やはり不可能だろうと考えざるを得ません。(Lakebuelさんの考え 2010年1月17日 (日) 09:24 (UTC))
自分としては、やはり「賛成が多数になるなら、記事の統合(とどちらかへのリダイレクト化)に反対しません。ですが、記述の情報を落とすことには反対します(独自研究ではありません)。」(Uryah 2010年1月16日 (土) 06:46 (UTC))を維持します。Uryah 2010年1月18日 (月) 12:26 (UTC)[返信]
◆本文にインラインでの典拠付加をしました。2010年1月18日 (月) 12:23の版最新の版Uryah 2010年1月18日 (月) 12:26 (UTC)[返信]
反対 Uryahさんが例で出された米国人(米国籍)のアイリッシュとポーリッシュの民族性ジョークのような例を、「国民性」という言葉で表現することはできないでしょう。「民族」と「国民」が異なるものであることはいうまでもありませんが、「民族性」と「国民性」もまた指し示す範囲が異なっており、統合することはできないと考えます。「民族性ジョーク」ではよくみかける「ロマ」や「黒人」、「ユダヤ人」という「国民」は存在しません。一方で、「アメリカ人」や「英国人」を対象としたジョークを「民族性ジョーク」とは言えないでしょう。--Peccafly 2010年1月22日 (金) 10:56 (UTC)[返信]
コメント ご意見ありがとうございます。「国民」と「民族」が異なるものである以上、「国民性」と「民族性」が本来異なる(〜厳密には異なる)ものであることには、全く異存がありません。 ただし、例えば今現在当記事「民族性」にある、節「民族性#民族性ジョーク」(日本人は・・・、アメリカ人には・・・、イタリア人には・・・)などを見ると、これはむしろ「国民性ジョーク」と呼ぶべきものであり、つまり現実には日本語で用いられる「国民性/民族性」の区別は極めて曖昧であり、それぞれの記事が言及すべき範囲も判然としないことが判ります。この点から、この二つの用語に関して、別々の独立した記事として存在するよりも、一箇所で纏めて言及されるほうが「より判りやすい」と考える次第なのです。なお、統合に際して「先に存在した記事が優先」であるとか、「記述内容を減らせ」というような主張は全く行っていませんので、ご確認ください。--Lakebuel 2010年1月22日 (金) 13:09 (UTC)[返信]
コメント それならば、「民族性ジョーク」の節に書かれた内容は「国民性」に転記して、こちらの記事にはロマのジョークでも入れておきましょう。もし良ければ明日にでも手持ちの本から一本入れておきます。ウィキペディアにおける「大項目主義」と「小項目主義」に関する問題はしばしば取り上げられますが、異なる概念を無理に一緒の記事に入れておくことにはあまり賛成できません。--Peccafly 2010年1月22日 (金) 13:30 (UTC)[返信]
◆賛成します。Uryah 2010年1月22日 (金) 22:38 (UTC)[返信]
◆==民族性ジョーク==
と書いておくのはどうでしょう。
「エスニックジョーク」の 2009年10月26日 (月) 15:13 の版はこちらUryah 2010年1月23日 (土) 16:41 (UTC)[返信]
賛成します。Lakebuelさんはそこらじゅうの改名議論・統合議論で忙しいようですし(笑)、このまま反応がなければ統合は行わないということでいったん議論をクローズすべきだと思います。あと1週間も待てば十分でしょうか。--Peccafly 2010年2月5日 (金) 21:13 (UTC)[返信]
賛成します。Uryah 2010年2月9日 (火) 20:31 (UTC)[返信]

報告 統合せずに終了としましょう。--Peccafly 2010年2月12日 (金) 22:39 (UTC)[返信]

英語版リンクについて[編集]

『「エスニック」とは何か エスニシティ基本論文選』 青柳まちこ編・監訳 新泉社 1996年第1刷 2003年第2刷 ISBN 4-7877-9604-6 によれば、語「民族」と「国民」は「国家を担うものとしての、統一体である人間集団」を表現しようとして生み出された様々な日本語のうち生き延びた二つの用語で(p.11)、語「エスニシティ」はアメリカ生まれの用語だそうです(p.10)。

現在(1996年)では、それぞれ下記のように定義されるとしています。

  • 民族・・・言語・生活習慣・生活様式・価値観や考え方・宗教などを共有する人類の集団。(p.12, pp.10 - 12)
  • 国民・・・国家を構成する個々人、あるいはその全体。(p.14)
  • エスニック集団・・・「国家のような上位の社会のなかに複数の民族が共存する場合、その一つ一つはエスニック集団である」とはいえる(p.15)が、社会学・人類学の65編の研究論文を調べてみたところ、13編の論文ではなんらかのエスニシティの定義づけを行っているが、52編の論文では明確な定義がなされておらず、まだ確定した定義はない、専門家の世界でいま議論の最中である、だそうです。(pp.73 - 139 第2章さまざまなエスニシティ定義、pp.190, 191 第5章キリスト教徒でもユダヤ教徒でもなく)

いま付けられている英語版の National character studies も、記事としてまだ未完成かついろいろ議論があるようです123

なので、現時点では本記事「民族性」に英語版リンクは付けないで置いておく(将来に渡っても、「無理に」付ける必要なしである)ことを提案します。Uryah 2010年6月11日 (金) 14:14 (UTC)、2010年6月11日 (金) 14:16 (UTC)、誤字脱字修正。Uryah 2010年6月18日 (金) 11:24 (UTC)、2010年6月21日 (月) 13:40 (UTC)[返信]

異論はないので、実施しました(2010年6月18日 (金) 11:14の版)。Uryah 2010年6月18日 (金) 11:17 (UTC)[返信]