ノート:民族浄化

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原爆や空襲について[編集]

また、大東亜戦争においてのアメリカの原爆投下や無差別の空襲もこれにあたる

当項目の「民族浄化」という主題と比して、ずれた主張のように思います。

執筆の意図が、これらは大量虐殺である、とする主張であれば、ジェノサイド等で書かれるべきでしょう(ジェノサイドの2004年10月13日 (水) 12:30(UTC)の編集にて、既に追記されていますね)。 - Gombe 2004年11月10日 (水) 01:24 (UTC)[返信]

「民族浄化」ではないと思います。自分の民族だけにするというニュアンスがありますし。個人的にはジェノサイドも違うような気がします。原爆は「大量虐殺」かも知れませんが「ジェノサイド」とは少し違う気もする。


>また、大東亜戦争においてのアメリカの原爆投下や無差別の空襲もこれにあたる

上記の定義に対する反論

理由

民族浄化は、ナチス・ドイツ、ヒトラーのアーリア人優生思想に代表されるように、本国民や占領した植民地の住民を共に、遺伝的に単一の民族にしようとする人類学的な純粋化策である。 だから、そこで行われる政策手段では、本国であろうが植民地であろうが、「異民族皆殺し策」とか国外追放策や排斥策をとらない限り、緩慢に既存の異民族住民を絶滅させようとする強制中絶策や不妊策が必然的に伴ってくる。 また、ナチス・ドイツの場合は「浄化」の期間を短期間に成就させようとして「異民族」に対してホロコーストなどの大量殺戮行為も伴った。 このように、民族浄化(策)では、大量殺戮という手段を使われることもあるが、大量殺戮が必ずしも民族浄化を目的としたものだ、と断定することでは論理的に無理がある。 何故なら、戦争では、戦略の面でいうならその第一目的は敵の継戦の意思、継戦能力を喪失させることであるから、その戦略の一環として大量殺戮をすることがあるからである。 換言すれば、大量殺戮行為は民族浄化(策)の一手段とはなりうるが民族浄化策の十分条件とはいえない。

そもそも米国は他民族国家であるから、民族浄化策は自国の存在意義そのものを自己否定することでしかなく、米国がそういった単一民族国家を目指す政策をとることはありえないのである。現に米国は、ナチス・ドイツとは違って、敵国を占領した後の政策においては特定の民族を「優性」と決めつけるような法令や規則や行政指導要綱の類は一切、見られない。 米国は占領後、ナチス・ドイツとは違って、特定の人種を優生人種と決めつけるようなことはしてないし(他民族国家だからなし得ない。)、それ以外の人種に対して、たとえば日本国民に対してもドイツ国民に対しても、その他、枢軸国側になった国民、諸民族に対しても、強制中絶等の民族絶滅策をとるようなことはまったくとっていない。

結論

よって、米軍による広島、長崎への原爆投下は、日本の継戦の意思や継戦能力を喪失させる戦略目的に限定されたものであったから、民族浄化(策)には該当しない。

具体例について[編集]

他の項目と重なる例が多すぎて、これでは辞典としての意義が薄れてしまいます。

語源の欄に90年代につくられた言葉であると書かれているように、あくまでも民族浄化という日本語の持つ意味、使われる場所、使われる(た)例を、書き上げてゆくのが良いのでは無いでしょうか?

拡大解釈されたものまで例を挙げる必要はありません。民族同化政策やジェノサイドに関してはリンクを貼って誘導しておくのが妥当では無いでしょうか。


・アメリカの広告代理店がつくった造語であるという説[要出典]。 ・セルビア人に対する敵意を醸成し、のちのコソボ空爆への道を開いたとされる[要出典]。

この二つは、「ドキュメント 戦争広告代理店 (講談社文庫) 高木 徹」 で読んだ記憶があります。借りて読んだものなので、自分では確認が出来ませんが。参考になれば幸いです。--58.85.202.164 2008年5月8日 (木) 14:17 (UTC)匿名[返信]

観点の貼付けについて[編集]

IPによるこの編集が要約欄の使い方が不適切で記述の一方的な削除に感じられたので観点の張付けとノートへの書き込み要請をしたところランさんという方から私の会話頁への返答がありました。英語で書くから私が訳ができるかという話になったのですが、英語で書くのも躊躇われているようなので、経緯と要約欄と私の会話ページに書き込まれた内容から適当に書いておきます。johncapistrano 2005年4月28日 (木) 19:16 (UTC)[返信]

IPおよびラン氏の提起
ウィルタやアイヌ、またチベットへは同化政策がとられており、追放等は行われていないので民族浄化とは違う。

挟み込むかたちですが私もコメントします。(私が書くとこうなるので英語でもご本人に記述してもらう方がよかったか知れないですが。)それに対しては、日本についてはまさに強制移住もあった、チベットについては労働改造所があったり、中国政府が難民の存在を認めようとしない特殊な国(日本もだが)の一つということもあり、民族浄化と同化政策は概念的には別個であるとしても相互補完(用語不適切か?)的な異民族迫害策ではないか、だから同化政策の存在が民族浄化に当たらない理由とはならない、と私は思います。johncapistrano 2005年4月28日 (木) 19:16 (UTC)[返信]


チベット[編集]

「計画出産」と「優勢保護」と言葉は違っても実質的になされることは「中絶」に変わりはない。そして、それが結局は、国策として「植民」の目的で肥沃でない土地、工業生産にも向かない地域、地下資源も貧弱な人口受容能力の少ない地域で行われるかぎり、それは民族差別を伴った「種族交替」を前提にした民族浄化策でしかない。

># 1950年に中国人民解放軍がチベットに侵攻。僧侶や民衆を虐殺するだけでなく大量の漢族を移住させチベット自治区ではチベット族が少数民族に転落する事態となっている。

まったく根拠ない.削除. Sparta Praha 2005年5月9日 (月) 23:01 (UTC)[返信]

反論は? Sparta Praha 2005年6月19日 (日) 11:26 (UTC)[返信]

前半はリンクが示されています。後半は私が記述した訳ではありませんが(この引用については前半も)移動の自由が保障されていない国の人口統計には疑問があります。でも後半も記述した方がソースを示した方がよいですね。johncapistrano 2005年6月19日 (日) 19:48 (UTC)[返信]
>前半はリンクが示されています。
当事者の政治宣伝. Sparta Praha 2005年6月20日 (月) 18:27 (UTC)[返信]

いつの間にか記述が変わっていましたね。気が付きませんでした。 > 大量の漢族を移住させチベット自治区ではチベット族が少数民族に転落する事態となっている。 上記の記述に根拠がないと仰る件ですがソースを示します。 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 現在のチベットの状況 人口移入より http://www.tibethouse.jp/situation/index.html#03 利用者:koorong 2005年6月23日 (木) 12:25 (UTC)[返信]

「自治区」の「公式」人口は260万らしいので、上記は自治区の話ではなくチベット全域ぽいですね。johncapistrano 2005年6月23日 (木) 05:41 (UTC)[返信]

この記述自体は事実であると思いますし,チベット人が民族の自主性を暴力的に奪われることに対し反発するのは当然であり、中国の斯様な政策は咎められて然るべきであると思います。しかし、これを「民族浄化」とするのは当たらないように私は思います。この漢人移植政策は、中国と言う巨大な共産主義国家体制を維持するために反乱分子となる恐れのある少数民族を弱体化することを目的とするもので、もしもチベット人が従順なモデルマイノリティであったなら斯様な措置はとられないでしょう。多民族国家であることは中国自身が喧伝していることでもあります。無論、だからといって斯様な政策が許されるわけではありませんが、そのように「民族浄化」を拡大解釈していくと異民族に対する加害行為は全て「民族浄化」になってしまうのではないでしょうか?Hermeneus (talk) 2005年6月23日 (木) 06:09 (UTC)[返信]

一応保護依頼は保護せず終了としましたがチベット関係に関しては若干編集の対立のようなものがあるようです。私の勘違いかもしれませんので、こちらで結局どういう方針でチベットについて書くのか説明していただければありがたいです。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2005年7月23日 (土) 08:29 (UTC)[返信]

民族浄化と同化政策[編集]

>日本人がアイヌやウィルタ、植民地において朝鮮人や台湾人などを同化あるいは差別した歴史も広義にはこれに当たるという意見もある。

・・・こいつぁちょっとあんまりじゃないですか?いくら一意見だとしても。 少なくとも朝鮮民族高砂族を民族浄化したことは無いと思いますし、そんな説を言う人は見たことが無いんですが。雲居雁乃 2005年6月6日 (月) 03:05 (UTC)[返信]

こちらも私が記述したのではなかったと思いますが、二つ上のところにも少し書きましたが、[1][2]民族浄化という概念が出来て定義として定着してる訳でもないでしょうが、同化が緩慢な民族浄化に当たるというのは学術的には認識されているようです。johncapistrano 2005年6月19日 (日) 19:48 (UTC)[返信]

>民族浄化(みんぞくじょうか)は、英語のエスニック・クレンジング (ethnic cleansing) の和訳で、複数の民族集団が共存する地域において、ある民族集団を強制移住、あるいは大量虐殺、強姦による強制妊娠、略奪(掠奪)、拷問などの暴力や同化政策・差別などの文化的な手段によって抑圧し、その民族集団及び民族性をその地域から根絶/排除しようとする行為のことである。

>かつて大日本帝国が植民地(外地)で行った同化政策(皇民化政策)などもこれにあたるという意見もある。

この項目の冒頭、っていうか定義ですが、「その民族集団及び民族性をその地域から根絶/排除しようとする行為」が「大日本帝国が植民地(外地)で行った同化政策(皇民化政策)」で行われたというのはどうも聞いたことが無いんですが。もし同化政策が広義の民族浄化に当たると主張されるのであればそのように冒頭の定義を書き換えるべきだと思います。但し、私が思う民族浄化の定義というのはおおよそ現行の記事で間違いなく、平たく言うと「暴力的手段で一民族を抹殺するような行為」だと認識していますので、どうにも違和感を覚えます。雲居雁乃 2005年6月20日 (月) 06:21 (UTC)[返信]

明らかに反日の為にこじ付けた説のようです。--True 2005年6月21日 (火) 16:21 (UTC) 投稿ブロックの方針3.5により削除。--大六天 2008年3月6日 (木) 07:26 (UTC)[返信]

・・・どーにも記述がしっくりこない。

>大日本帝国がアイヌやウィルタ、植民地において朝鮮人や台湾人などを日本人と同化あるいは差別した政策も広義にはこれに当たるという意見もある。→民族性根絶には至っていない。

>1942年から1945年にかけて日本軍が占領下に置いた英領マラヤにおける華人の虐殺(華僑粛清)。少数民族集団をその地域から根絶しようとする行為の定義外とする意見もある。

>1942年から1945年にかけて日本軍が占領下に置いた東南アジア諸地域における、ヨーロッパ系住民の追放、強制収容。→・・・これを民族浄化にしたら終戦後朝鮮半島と大陸で大規模な日本人民族浄化が起こったことになりませんか?ナンセンスです。

>1941年日米開戦以降、アメリカ合衆国を初めとする連合国において日系人(非日本国籍者を含む)の追放、強制収容。 →これも民族性根絶には至っていません。

この4つは明らかに民族浄化の定義外ですよね?どうも現行の記事は定義の範囲を広く取りすぎだと思います。雲居雁乃 2005年6月21日 (火) 19:35 (UTC)[返信]

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「民族浄化」とは、要は暴力的手段による排外主義(虐殺、強制移住)ですから、「同化政策」とは分ける方が良いように思われます。同化(assimilation)は善意による政策の場合もありますし(racial integration)、自発的に生じる場合もあります。あまり良くない動機の場合でも、民族浄化のそれとは少し性質が異なるでしょう。例えば戦前の日本による朝鮮・台湾における同化政策であれば、仮に悪く解釈したとしても(1)帝国を維持・拡大するために都合がいいから同化させられただけで、後はよくて(2)朝鮮・台湾の民族アイデンティティの自主性を無視・蔑ろにしたことに差別を認められるくらいです。朝鮮人も台湾人も、個人として良き帝国臣民になる限りにおいては、悪く扱うべき故は無かったわけです。一般社会において彼等が差別無く普通の日本人と全く同く扱われたと言えば嘘になるでしょうが、逆に「民族浄化」の犠牲になったと言うのもまた言い過ぎでしょう。「民族浄化」というのは、第一の目的として、その対象民族を存在から消し去ろう(洗い流してしまおう)ということですから。Hermeneus (talk) 2005年6月21日 (火) 20:13 (UTC)[返信]

お二人とも上記リンク先はご覧いただけましたか? 絶滅を目指すのはジェノサイドです(現在の記事でもかなり被ってますが)。根絶に至らなかったら行為がなかったことになる訳ではないと思いますが。雲居氏の3つ目については既にそういう記述が本文にあります(私も疑問ですが)。johncapistrano 2005年6月22日 (水) 02:07 (UTC)[返信]
民族浄化は「絶滅」政策ではなくて「暴力的手段による排外主義」です。ある地域からある民族集団を暴力的に「排斥」する政策です。その手段として虐殺、強制移住などが行われる。敵対する民族を排斥することをその地域の「浄化」と見るのでしょう。地域の浄化である「排斥」は、必ずしも民族の「絶滅」政策と同じではないし、民族の「同化」政策ともまた違うように思われます。いずれもその対象となる民族に対する差別、敵愾心などを動機として生じることはあるとは思いますが。Hermeneus (talk) 2005年6月22日 (水) 03:12 (UTC)[返信]

中国に関する記事の削除を繰り返している方がおられますが、他の事例と比較して何が問題なのでしょうか。 221.184.164.68 2005年6月22日 (水) 15:33 (UTC)[返信]

明治大学の佐原徹哉氏が「強制同化は民族浄化の一類型である」と主張されているようです。[3] Hermeneus (talk) 2005年6月24日 (金) 01:52 (UTC)[返信]

外部リンクのリンク先サイトをご覧あれ220.96.104.97 2005年6月25日 (土) 09:40 (UTC)[返信]


が渾然一体となっているようなので、民族浄化の定義を明確にして仕切り直してはどうでしょうか。--222.11.249.54 2005年7月19日 (火) 06:38 (UTC) あと、本項目含め他の項目も英語版ぐらいは目を通してみても良いでしょう。--59.133.208.107 2005年7月19日 (火) 06:46 (UTC)[返信]

定義と語源の洗い直しを[編集]

基本的なところですが、今一度確認したいと思います。

> 1. 日本での優生学政策の標語。1905年頃よりらい予防法制定に向けて政府関係者から叫ばれた(ハンセン病参照)。
> 2. 英語のエスニック・クレンジング (en:Wikipedia:ethnic cleansing) の和訳に当たる近年の用法。以下で記述。

定義としてこの2つが挙げられていますが、「語源」の項にあるのは明らかに2.の用法のみです。1.の定義・用法・語源についての掘り下げも必要で、さらに2.との関係も示すべきでしょう。もし、たまたま1.と2.が言葉としてかぶってしまったのなら、1.の方を優生学ハンセン病のページ参照とするのが良いと思います。他国語版との兼ね合いもありますし。

語源について。現時点では、語源の説明自体がはっきりしていません。該当地域(旧ユーゴスラビア、現セルビア・モンテネグロクロアチアボスニア・ヘルツェゴビナを中心とした地域)においては虐殺、強制移住、集団レイプ去勢などがおこなわれました。"ethnic cleansing"という言葉がさかんに使用されたのがこの時期(1992年前後)であるのは確実ですが、それが具体的に何を指すのかの定義をもっと厳密にすべきかと思います。政治的プロパガンダとして作られた言葉かもしれない、という以上のことが語源からは読み取れません。そのプロパガンダの内実まで書かないと、ユーゴスラビア紛争を知らない人にとっては意味がわからないまま、具体例を読まされるということになってしまいます。現時点で定義の2.が「以下で記述」になっている以上。

英語版Wikiでも論争中(en:Wikipedia:ethnic cleansing)ですし、多種多様な意見がありますが、ここでは定義2.についてもっと詳しい説明がなされない限り、その他の例についてもあやふやなままだと思います。あるいは、もっと極端に簡潔にして、内容説明や歴史上の具体例なども省いてしまうかです。

同化政策についてですが、英語では「民族浄化」にethnic purificationという言い方があることを指摘させていただきます。こちらだと、浄化というより純化のニュアンスが強いので、同化政策についてはやはり、「同化政策」という項にまとめた方が、ユーザ側の使い易さも増すと思います。

事典という性質上、語義はある程度狭いものであるべきかと思いますので、ここでは92年前後の旧ユーゴにおけるethnic cleansing、それが遡及適用されるようになった例に留め、他の件については参照リンクを増やす方向で作り直していったらどうでしょうか? 内実に踏み込むとここに見られるように多くの異論が出てくるでしょうし、また、内実についても詳細な検討が必要になってしまうでしょう。--匿名2006年3月9日 (木) 10:30 (UTC)

冒頭については既にハンセン氏病参照と書いています。近年の方の語源については上にも議論がありますが古い英語版がソースのようなので最新の英語版を訳すなどして更新する必要があります。いずれにしても優生学と同根のようです。同化政策の詳細については別記事がいいというのは同意しますがこれも同根なので触れるなというのはおかしいと思います。johncapistrano 2006年3月9日 (木) 10:39 (UTC)[返信]
私は、すくなくとも、短期的かつ大規模な身体的強制・暴力を含まない同化・根絶政策を含めるのには反対です。本来は、ユーゴ紛争以前の事例に遡及適用するのにも大いに慎重であるべきだと思いますが、それはある程度仕方ないところだと思います。しかしこれはきわめてイデオロギッシュな用語であり、拡大解釈は避けるべきです。まず、具体的な「歴史用語」・固有名詞としての扱いを主として、そこから、これを普通名詞・一般的概念として他の事例にも適用することもあるくらいのことを書き、そこで関連する記事を参照させ、そしてその参照された記事で、具体的な事例について言及するのがいいのではないでしょうか。Clinamen 2006年3月9日 (木) 10:49 (UTC)[返信]

『らい予防法制定のさいに作られた標語(1905年~)』とありますが、もしどなたか出典をご存知の方いらっしゃいましたらリンク、あるいは書籍等の提示をお願いできますか?ハンセン病を読んでも見つからなかったので。--125.205.187.233 2007年3月15日 (木) 05:16 (UTC)[返信]

ググったらすぐに発見できました(;´Д`)-3 出典(高野六郎「民族浄化のために―癩豫防策の将来―」『社會事業』第10巻,第3号,1926)において民族浄化という術語を用いています。--125.205.187.233 2007年3月17日 (土) 06:28 (UTC)

中国の少数民族[編集]

「中華人民共和国における少数民族への強制的な断種、避妊手術 中華人民共和国における少数民族の漢族との通婚の強制」って根拠がありません。

実は中国では漢族だけに一人っ子政策が実施され、少数民族には制限なしということです。 また、「中華人民共和国における少数民族の漢族との通婚の強制」というのはウソ。 --Seen 2007年4月22日 (日) 20:37 (UTC)[返信]

「強制的な断種、避妊手術、少数民族の漢族との通婚の強制」はチベット併合等において行われたという通説があるので嘘と断定するのは無理だと思います。あとは記載するに当たっての出典の吟味の問題かと--Tabunoki 2008年5月16日 (金) 09:49 (UTC)[返信]

大日本帝国における民族浄化[編集]

事例のひとつに「大日本帝国軍朝鮮人中国人台湾人琉球人などの大量虐殺ならびに女性に対する強姦・強制売春(慰安婦)」とありますが、「民族浄化」としての大量虐殺および「強姦・強制売春」というのは、たとえばどういう事例・事件が根拠なのでしょうか?
定義には「複数の民族集団が共存する地域において、ある民族集団が別の民族集団を強制移住、大量虐殺、迫害による難民化などの手段によってその地域から排除しようとする政策」とありますが、そんな政策に基づいて大量虐殺や「強姦・強制売春」を行ったことなんてありましたっけ?
強いて当てはめるとすれば南京大虐殺ですが、これは戦時占領時の虐殺事件であったとしても、別に民族浄化を行って南京から中華民族を排除することが目的だったという認識は私にはないのですが、そういうソースがどこかにあるのでしょうか?
また、日本人も含まれていた慰安婦が民族浄化の一種であるというのはいったい誰の説に基づくものなのでしょうか?--いたる 2007年12月23日 (日) 14:43 (UTC)[返信]

日本人による民族浄化は不記載とすべきと考えます。--経済準学士 2007年12月23日 (日) 14:44 (UTC)[返信]

定義部分について[編集]

「強制妊娠させる」などとありますが、中国が行っている民族浄化などを考えると、普通は強制中絶させるのではないでしょうか。「特に強姦や強制妊娠などを伴う民族抑圧を指して言う場合もある」誰が言っているのでしょう?--Zuckwild 2008年5月13日 (火) 02:14 (UTC)[返信]

ユーゴ紛争で行われたとされる組織的強姦などがそれに当たると思われます--Tabunoki 2008年5月16日 (金) 06:17 (UTC)[返信]

日本の皇民化政策を民族浄化としたい方へ[編集]

この記述がしたいのならば、同化政策が「民族浄化」となる出典(著書とページ数をお願いします)&「日本の皇民化政策」が民族浄化の事例であるとする出典の提出をよろしくおねがいします。--Zuckwild 2008年5月13日 (火) 07:33 (UTC)[返信]

  • 出典がはっきりせず、投稿者どうしで論争や編集合戦になっている場合、出典が明示されていない箇所を除去するのがWikipediaの編集方針です。掲載を希望する方は、話題に関して直接記載された信頼できる引用元を明示してください。Boomyさんのご協力をお願い致します。--ネコバット 2008年5月14日 (水) 03:03 (UTC)[返信]
  • 大胆にコメントアウトいたしましたので、出典をご確認の上、引用元を明示したうえで各々復帰くださるようご協力お願い致します。--ネコバット 2008年5月14日 (水) 03:17 (UTC)[返信]
  • 定義自体がどうかと思うんですよねぇ。--Zuckwild 2008年5月14日 (水) 23:56 (UTC)[返信]
  • 学術的な定義がはっきりしないので扱いにくい話題なのですが、「民族浄化(ethnic cleansing)」の用語が用いられている文献や議事録などをコレクションする事はできるのかなと感じています。英語版のコレクション方針もその基準によるもののようです。逆にそういったコレクション帳ならば研究者の方にとってWikipediaが利用するに足る情報源になると思うのです。--ネコバット 2008年5月15日 (木) 01:02 (UTC)[返信]
  • 現在、単なる同化政策民族浄化に含まれるべきではないという体裁をとっている以上、大日本帝国だけを特別扱いすることはあまりに恣意的で公平性に欠けると思います。故に民族浄化項目に大日本帝国の同化政策を記述しない立場を支持します--Tabunoki 2008年5月16日 (金) 10:01 (UTC)[返信]
  • ちなみに、山川出版社の『新課程用 倫理用語集』P.272に、「ある地域から異民族を一方的に排除すること。強制移住や追放、同化、さらに大量殺戮へと発展していく。」とあります。少なくとも、日本の教科書と参考書では同化政策も民族浄化に含まれるという認識があるようです。「政治経済」や「現代社会」の用語集にも民族浄化について記載されているはずですので、調べられてはいかがでしょう。--M.M 2008年5月16日 (金) 13:13 (UTC)[返信]
  • おお、教科書に記載されている文言があるのですね。もし手元にお持ちでしたら引用元明示のスタイルで本文に投稿して頂けませんでしょうか・・--ネコバット 2008年5月16日 (金) 14:23 (UTC)[返信]
  • 定義についての文章を本文に反映することには反対しませんけど、同化政策を取り上げちゃうとほとんどすべての国家を取り上げる羽目になるので、残虐行為を伴う民族浄化とどう書き分けるかが問題になりそうです。おそらく「民族浄化のうち同化政策については同化政策を参照してください」って感じになるんじゃないかと--Tabunoki 2008年5月17日 (土) 10:08 (UTC)[返信]
  • 自分で引っ張ってきておいてこういうのもなんですが、『倫理用語集』の記述はやっぱりおかしいですね。「ある地域から異民族を一方的に排除すること。」と定義してますが、「同化政策」って「本国ないし支配民族が,植民地原住民や国内少数民族を,自分たちと一体化しようとする政策」(大辞林第二版)なわけですから、著しく矛盾していたりするんですよね(「どうも山川の用語集は信用ならん」と独白)。となると、同化政策(皇民化政策)は分けてしかるべきって結論になりますね。--M.M 2008年5月17日 (土) 13:48 (UTC)[返信]
  • (さらに追記)だけど、大辞林第二版で民族浄化を調べてみたら、「複数の民族集団が共存する地域において一つの多数派民族集団が他の少数民族集団を同化・強制移住,また大量虐殺によって抑圧する行為」なんて書かれてあるぞ。どうなってんだ? --M.M 2008年5月17日 (土) 13:52 (UTC)[返信]
  • 「同化」を定義として仮に含めたとして「朝鮮半島などでの皇民化政策」が「民族浄化」とそれなりの人間が主張するような論はあるのでしょうかね?あるのでしたら、「~が民族浄化だと述べている」という書き方でokとは思うのですが、どうなんでしょうね。--Zuckwild 2008年5月24日 (土) 20:13 (UTC)[返信]
  • 「『朝鮮半島などでの皇民化政策』が『民族浄化』とそれなりの人間が主張するような論」は、私は見たことがありませんし、出典が明示されていないようですので、現状は記事中には載せないというのが正しい選択肢ではないでしょうか。Wikipedia:検証可能性を充足するのであれば、信頼度の高い情報が提示された時点で掲載すればよいと思います。--M.M 2008年5月25日 (日) 00:41 (UTC)[返信]

「歴史上の民族浄化とされる事例」につて[編集]

 ネコバットさんへ。ヨシュア記のこの箇所については史実性が疑われています。歴史的実でもないものをコメントアウトとはいえこの箇所に入れるのは問題だと思います。誰か悪意ある人間によって復活される恐れもあるので、申し訳ありませんが、再度削除いたしました。--Bokemiann 2008年5月14日 (水) 09:20 (UTC)[返信]

そのまえに編集によって体裁が崩れていますのでご確認ください(;´Д`)--ネコバット 2008年5月14日 (水) 09:26 (UTC)[返信]
申し訳ありません。!を打ち忘れておりました^^; --Bokemiann 2008年5月14日 (水) 10:14 (UTC)[返信]

ネアンデルタール人絶滅が民族浄化?[編集]

どうも「ネアンデルタール人の絶滅が民族浄化である」と主張したい方がいるようなので、ここに議論のための節を作りました。

記事でのリバート合戦は無意味ですから、どうぞ、その思うところをここで説明してください。あなたにはここで自説の説明をする自由があります。ただし、もしその説明が妥当性の無いものであれば、記事の「ネアンデルタール人絶滅が民族浄化である」という部分は削除することになります。

一般的な感覚では、「民族浄化」は政治的な概念であり、「ネアンデルタール人絶滅」という生物史的な現象の説明には使いません。 どのような解説をしていただけるのか、期待しております。Petz 2008年6月1日 (日) 14:22 (UTC)[返信]

  • 信頼できる出典があるという1点だけですね。science紙に記載されていることが誰にでも確認できる状態で記述されているのに、Petzさんの独自の分析や分類、思い込みによって記事を削除するような必然性はまったく考えられません。Petzさんが述べておられる「一般的な感覚」「民族浄化は政治的な概念」「ネアンデルタール人絶滅という生物史的な現象の説明には使いません」という主張に信頼できる出典が提示されれば両論併記できるかな、という程度です。英語版にもネアンテルダール人の一件は記載されています。--121.112.80.153 2008年6月1日 (日) 14:37 (UTC)[返信]

そのscienceに掲載の論文ですが、私もざっと読んでいますが「ネアンデルタール人絶滅は民族浄化である」云々という主張をするような論文ではありませんでした。従いまして、これを根拠として「ネアンデルタール人絶滅が民族浄化である」という記述をするのは浅はかであるかと思われます。

しかし、あなたが「ネアンデルタール人絶滅が民族浄化である」とあくまでも主張し、その(唯一の)根拠がこのscienceの掲載論文であると述べるならば、この論文の趣旨についてあなたの言葉で解説する自由があります。この論文の趣旨があなたの主張に合致しているかどうかがポイントになりますね。Petz 2008年6月1日 (日) 14:52 (UTC)[返信]

  • いやいや、そうではなく、ネアンデルタール人の消滅を「民族浄化(ethnic cleansing)」であると呼称した信頼できる出典の事例として記述すべきものと考えるべきでしょう。現に出典元には”There has been intense debate about how this came about, with some experts believing that Cro-Magnons committed a form of slow "ethnic cleansing"”とあり、民族浄化と表現されたものの有力な事例を列記したものと見るべきでしょう。--121.112.80.153 2008年6月1日 (日) 15:01 (UTC)逆にこの出典元の記載が"ethnic cleansing"に相当しないと確定的に論じる(確定的に削除する)ことができためには、すくなくともscience紙に類似する信頼できる公表誌上でこの記事を論破したうえでネアンテルダール人の消滅が「民族浄化(ethnic cleansing)」に相当しないということを引用していただきたいと思うのですが。--121.112.80.153 2008年6月1日 (日) 15:05 (UTC)[返信]

論文を読むならば、もう少しきちんと読むべきと助言致します。大学の研究室などでそのように指導されませんでしたか?

あなたの引用された部分は、そのscienceに掲載の論文の主題ではない部分ですよ。 あなたが、このscienceに掲載の論文が「ネアンデルタール人絶滅が民族浄化である」と主張しているとあくまでも述べたいのならば、もっときちんと論文を読み込んで、その趣旨についてあなたの言葉で解説する自由があります。この論文の趣旨があなたの主張に合致しているかどうかがポイントになります。Petz 2008年6月1日 (日) 15:12 (UTC)[返信]

もうしわけないのですが、迷惑なのでそのような詭弁で抗弁しないでください。退屈なうえくだらないです。あなたが「大学の研究室」でどのような「指導」を受けたのかは知りませんし興味もありません。あなたの助言なども不要なのでこれ以上面倒をかけないで下さい。まずWikipediaの執筆ルールを百万回繰り返して読み直した上で、この記述を削除するためにscience誌に記載された投稿が誤りであると信じるにたる十分な信頼できる出典を明示してください。--121.112.80.153 2008年6月1日 (日) 16:22 (UTC)[返信]

私もPetzさんと同意見で、 民族浄化は近代になって使用されるようになった政治的な概念であると見ています。証拠とは言えないかも知れませんが、この言葉は『現代用語の基礎知識』05年版にも取り上げられています。また、世界大百科事典には「民族浄化」の項目はありませんが、ボスニア内戦に絡んでこの言葉が使われています。参考までに『現代用語の基礎知識』から該当箇所を引用しておきます。
《多様な民族集団が混在する地域で、支配的な集団が虐殺、追放、強制移住などで少数民族を排除し、「純血国家」を作ろうとする動き。歴史的には、19世紀ロシア・東欧でのユダヤ人虐殺(ポグロム)やナチス・ドイツによるユダヤ人抹殺(ホロコースト)などが先例。「民族浄化」という用語は、第2次世界大戦時に、ナチスに協力したクロアチアが領域内のセルビア人を排除する際のスローガンが起源。しかし、皮肉にも旧ユーゴのボスニア紛争の時に、セルビア人によるムスリム虐殺を象徴する言葉として、ボスニア政府が再び使い、広まった。》
また、scienceの記事だからといって鵜呑みにするのは問題だと思います。私もざっとながら記事を確かめみた限りでは、出典にされている記事ではPetzの言うように積極的に民族浄化であった旨を主張する記事ではありません。ただ「民族浄化」という言葉が文章の中で1回だけ使われていたからと言って、そのようなレベルで出典明示され、それを金科玉条の如く主張されても困ります。議論を迷惑がったりしないで、WEBで確認できるのですから、自分で論文を確認してみたらどうでしょう? WEB翻訳のサービスでも何とか文面は確認できましたよ。
なお、ネアンデルタール人の絶滅等は人類学上の話(仮説を含む)で、必ずしも歴史的に証明されたものではないので、「歴史上の民族浄化とされる事例」として相応しいとは思えません。ただ、これ以上の編集合戦をしてもしょうがないので、今回は取りあえず本文の方を出典の趣旨によって訂正のをしておきました。--Bokemiann 2008年6月1日 (日) 19:45 (UTC)[返信]
PetzさんとBokemiannさんの見解は妥当であると思います。まずもって化石人類を「民族」と同等に語ると言うこと自体、用語の誤用であると断定してよいと思います。ネアンデルタール人という化石人類は、民族の定義には当てはまりません。
また、ネアンデルタール人の絶滅が「民族浄化」であるという主張は、先にBokemiannさんが、引用されている定義と照らし合わせても適切ではありません。
先にIPユーザーさんが引用されている部分は、「クロマニヨン人が旧人に対する緩慢な『民族浄化』を行ったと考える一部の専門家の主張について激しい議論が展開された」というような内容のようですが、実際に「民族浄化」論議が展開されていたのかは私は分かりません(ひょっとしたら、この論文執筆者がクロマニヨン人によってネアンデルタール人は絶滅させられたという論を「民族浄化」と言い換えているのかもしれません)。少なくとも、この論文執筆者は「民族浄化」を誤解しています。ネアンデルタール人が単一民族であるとする根拠が示されていない限り、「民族浄化」という語を当てはめるべきではないのではないですか?(ネアンデルタール人が「民族意識」を共有し、類似の文化体系を持っていたというようなことを証明した学術論文は存在しないはずです)。--61.114.204.184 2008年6月2日 (月) 13:20 (UTC)--M.M 2008年6月2日 (月) 13:25 (UTC)(何故か投稿したらIPだったので、署名し直し)[返信]
まずWikipediaの執筆ルールを百万回繰り返して読み直した上で、そのような Original Reserch は外部の信頼できる出版社や学術機関に持ち込んだ上で、その文献を引用する形でWikipediaに投稿してください。すくなくとも信頼するに足る文献から適切に引用されている投稿を削除するには、その引用が中立性を著しく阻害したものであると判断するに足る他の信頼できる文献を紹介ください。重要なのはネアンデルタール人の消滅を「ethnic cleansing」と呼称している文献が存在しているという事実であって「ネアンデルタール人が民族浄化によって絶滅した」のかどうかではない。--121.112.80.153 2008年6月2日 (月) 19:27 (UTC)[返信]
はっきり言ってこれは用法を間違ったとみるとがしぜんですね。この人は人類学の専門家であって民族浄化の専門家ではないという事を理解してください--211.125.43.73 2008年6月2日 (月) 20:27 (UTC)[返信]
民族浄化の専門家?なにをいっているのですかあなたは。根拠のないレッテル張りはお止めなさい。--121.112.80.153 2008年6月2日 (月) 20:40 (UTC)[返信]

一応指摘しておきますが、その記事は、米国科学振興協会(AAAS)発行のScience誌に掲載された論文ではなくて、イギリスの新聞、インデペンデント紙の科学欄の新聞記事ですよ。 執筆者の Steve Connor は、別の記事にあるとおり、この問題の専門家ではなく、Science Editor です。 さらに、ネアンデルタールの記事では「"ethnic cleansing"」と、わざわざダブルクオートで囲っていますね。 同記事中で他の部分では、ダブルクオートを用いる際には発言者名を特定して引用していることからすると、ここの箇所では 「いわば」「いわゆるところの」という意味で用いているように読めますが。

であるから、もしもどうしても本文中に盛り込むのならば、

「『一部の専門家には緩やかな"民族浄化〟があったとする主張があって、激しい議論があった』と、新聞の科学欄の記者は書いた」

となる程度でしょう。ですがそれすら必要ないでしょう。何故なら Wikipedia:信頼できる情報源に、科学では一般向けの出版物からの引用を避ける とあるとおりですので。 まずはその Steve Connor が新聞記事の参考にした論文に、本当に ethnic cleansing と書いてあるのかどうか確認することですね。

ついでに、この記事の主題のひとつは、イベリア半島で発見されたネアンデルタールの子供の化石がハイブリッドであるという衝撃的な主張がある。という紹介記事です。 これにはいまだ賛否両論があるが反対意見が強いことは、人類学に興味がある方はご存知だと思います。 --220.156.107.7 2008年6月4日 (水) 11:33 (UTC)[返信]

やれやれ、まんまと騙されてしまいましたよ(笑)。121.112.80.153さんが「信頼できる出典があるという1点だけですね。science紙に記載されている」と自信満々に主張しましたので、それを素直に信じた私はなんと愚かだったことでしょう(自己嫌悪)・・・

単なる新聞の一つの記事を、あのscienceに掲載した論文と騙って「信頼できる出典」云々と担ぐ人をWikipediaで初めてみました。この「利用者名: 121.112.80.153」という方の投稿記録を調べさせていただきましたが、「ノート:民族浄化」以外にほぼ記録がありません。この方は人を担ぐためにのみ参加しているとみてよいでしょう。この議論はこれで終わりとしましょう。時間の無駄でした。 記事の方は誰か心ある人が修正しておいてください。お願いします。 やれやれ・・・ Petz 2008年6月4日 (水) 14:44 (UTC)[返信]

61.121.91.97さん、記事の修正ありがとうございます。たぶん、あの「利用者名: 121.112.80.153」というIPの方は二度と現れることはないでしょうね。ところで、この方([4])も文体や思考様式がよく似ていますね。Petz 2008年6月6日 (金) 13:24 (UTC)[返信]

おやおや。またWikipediaのルールを読まないで投稿するひとが登場ですか。出典のある記事を独自の判断でリバートしてはいけませんよ。反論があるなら反論が記述された信頼できる出典を(記事の引用を恣意的に合成することなく)明示してください。やれやれ。--121.112.80.153 2008年6月6日 (金) 16:12 (UTC)[返信]
Petzさんはご自身で資料類の検証すらなさっておられない事を図らずも告白されておられるわけですから、今後は専門外の記事の編集に煩わされるのではなく、ご自身が得意とされている記事の編集に専念されてみてはどうでしょうか。--121.112.80.153 2008年6月6日 (金) 16:17 (UTC)[返信]
6月4日に書きましたが
その記事が新聞記事であることはわかりますか?
学術論文と新聞記事の違いは理解できますか?
記事中の引用が不完全であることは理解できますか?
Wikipedia:信頼できる情報源は読みましたか?
英文は読めますか?--220.156.107.7 2008年6月7日 (土) 07:24 (UTC)[返信]
IPさんこんにちは。引用元を読まれたうえで検討されている態度に敬意を払いますが、ご主張には2点無理があると考えます。①民族浄化で取り扱っている内容は「科学では一般向けの出版物からの引用を避ける」に述べられるところの「科学」を話題にしているのではない。記事ネアンデルタール人に関する投稿にさいして、引用元としてインデペント紙を用いるのは適切ではない、とされるならそれは非常に適切な批判になるかもしれません。民族浄化#歴史上の民族浄化とされる事例の冒頭にあるように「現代の視点において「民族浄化」と評価され記述された事例を引用元を明示して列記する」のですから、このインデペント紙の記述が民族浄化にあたるかどうかを判定するのは我々投稿者ではなく、Wikipediaの読者ということになります。②「民族浄化」という用語をネアンデルタール人の消滅を説明する用語として利用した新聞・記事が存在するという事実を列記しておくことは、民族浄化という用語を研究しようとするWikipedia読者の役に立つ可能性が高い。--121.112.80.153 2008年6月7日 (土) 09:03 (UTC)[返信]

Petzさんの折角の編集に水を差すようで申し訳ないのですが、「『民族浄化』と表現された事例」ではきりがなくなる恐れがあると判断しました。そこで、題名を元に戻した上で、ネアンデルタール人問題を一番下のカ所に移動して、当記事の範疇からは逸脱した記述であることが分かるよう若干の訂正をしておきました。この部分が不適切なのは議論済みですが、少なくとも人類学上の問題で歴史的事実とは言えません。よって、この箇所をどうしても残すというのならばどこか適切な箇所に注解的な形で移動しようと考えていました。しかし、適切な箇所が見当たらず思案していたところ、貴方の編集がありました。編集理由は上に書いた通りで、取りあえずこのような形にしました。本来は消すべき内容なのですけどね。--Bokemiann 2008年6月7日 (土) 16:43 (UTC)[返信]

121.112.80.153さん
焦点は「科学的内容(この場合は化石人類学・考古学)」として妥当なものかどうかにあるととらえていますが、情報源の信頼性や重要度を考慮したうえで読者に誤った印象を与えないような記述であれば問題ないと思います。現状では皆さんの編集によってだいぶ良い表現に改められたと思います。以前の記述よりもお互いに歩み寄ることができたと思います。--220.156.107.7 2008年6月9日 (月) 07:23 (UTC)[返信]


民族浄化策と大量虐殺は異なるが両者とも人種差別が根底にあることでは同じ[編集]

民族浄化策と大量虐殺は、異なると思う。しかしどちらも根底には民族差別(人種差別)があって、その人種差別が「優生学」的な意味合いをもつと、一過性の大量虐殺ではない恒常的政策としての民族浄化策に至ると思える。 よって、民族浄化策も大量虐殺も、どちらも根底には人種差別があるが、民族浄化策は大量虐殺を正当化する思想が更に発展した思想によるもので、大量虐殺は民族浄化策の前兆現象、あるいは消極的民族浄化策の初期段階と捉えることができる、と思う。

--FIGHTINGFREEDOM 2009年2月1日 (日) 07:44 (UTC)[返信]

近代以前の「大量殺戮」と民族浄化[編集]

「民族浄化」という形而上概念はきわめて現代的なもので、たかだか20年ほど前につくられたものです。またその意味する事象もほとんどが「特別の、ある事件」を指して塗布されることが一般的です。過去の歴史的虐殺に安直に「民族浄化」のラベルを一般名詞として塗布するのは史学上問題がありますのでご注意ください。ウィキペディアにはすでに大量虐殺という項目があります。--大和屋敷会話2012年7月3日 (火) 01:00 (UTC)[返信]